2006年04月29日
Honoring the mother EARTH
妖精の国アバロン
チャリスの井戸の蓋は鉄と木を細工して作られたもので、“vesica pisces” とか “Jesus fish”とよばれる魚のシンボルを模っています。このシンボルはまた、アーサー王の剣にも見られます。二つの円が中心で重なる聖なる幾何学は、一つの円であるこの次元からもう一つの次元につながることを意味します。
10日間にわたるイギリス南部の旅を終えて戻ってまいりました。
8というナンバーが最初から旅のサインとして導いてくれました。
八人の素晴らしい女性たちに次々と出会えた旅でした。
まずは、エハンの姉、アンの愛に感謝します。

ほかにも7人の女性たちに感謝します。
・アイリーン・クレイグ(エハンの母)
・サンサ・ファイーア(グラハム・ハンコック氏婦人)
・アキアネ(インディゴちゃん)

・リンダ・ストーレイ
・ジェニー・ハーディング
・アリス
・マグダレーナ
八人の女性たちに感謝!
ありがとう、素晴らしい時と学びを!
それから、もちろん不思議なシンクロに導いてくれた
イングランド、アーサー王の
アバロンの妖精たちや森の精にもありがとう!

10日間にわたるイギリス南部の旅を終えて戻ってまいりました。
8というナンバーが最初から旅のサインとして導いてくれました。
八人の素晴らしい女性たちに次々と出会えた旅でした。
まずは、エハンの姉、アンの愛に感謝します。
ほかにも7人の女性たちに感謝します。
・アイリーン・クレイグ(エハンの母)
・サンサ・ファイーア(グラハム・ハンコック氏婦人)
・アキアネ(インディゴちゃん)

・リンダ・ストーレイ
・ジェニー・ハーディング
・アリス
・マグダレーナ
八人の女性たちに感謝!
ありがとう、素晴らしい時と学びを!
それから、もちろん不思議なシンクロに導いてくれた
イングランド、アーサー王の
アバロンの妖精たちや森の精にもありがとう!

2006年04月18日
喜び(意識のマップ:540)

私たちは人間であるかぎり、喜びがなければ生きていけません。
世の中には探せばいくらでも
喜びを自分に引き寄せられることがたくさんあります。
好きなものを食べたり、好きなものを手に入れたり、
好きな人と一緒にいたりもできます。
しかしピュアな喜びはそうはいきません。
ピュアであればあるほど、その喜びは持続します。
このような高いレベルのピュアな喜びは、
私たちの健康から生活のあらゆる面で豊かさを与えてくれます。
一時的な喜びは、繰り返すことで慣れてしまい、
喜びとして感じられなくなります。
「パワーか、フォースか」の本ではホーキンズ博士は、
この「喜び」は意識のマップにおいて540という高い数値で示しています。
ひとつに統合される、つまり宇宙と一体感を感じられるのが「喜び」であり、
私たちが何かを完成させたときにもこの種の喜びが得られます。
ですから、自分が創造したものが完成したときに、
この喜びが湧いてきます。
この種の喜びは、興奮した気持ちではなく、
静けさの中に感じられる喜びです。
宇宙と一体になることで、
宇宙において自分のエネルギーが調和した時にその喜びは訪れます。
実際にはいつもそこにあって、終わりもなければ、始まりもなく、
ただ、私たちがアクセスするのを待っている
宇宙意識なのかもしれません。
時空を超えてあらゆる次元からやってきます。
この宇宙だけにはかぎらない壮大な神のクリエーションに
「喜び」が含まれています。
私たちが普通は触れることのできないものに、
触れることができるようにさせてくれる宇宙意識なのでしょう。
目に見えない次元のものが、
肉体次元で実用的な意味が通じるようにまとめてくれるのがこの宇宙意識です。
宇宙意識には制限や限界はありません。
宇宙意識と一体になっているとき、私たちは調和が取れます。
神と一体になっていることに気づきます。
自分の期待することや、現実に対する限界のある考えなどを、
意識的に解放すると、時空の扉を私たちは開くことが可能です。
この扉を開くと、可能性へのヴィジョンは広がり、
実際にこのようにできることが理解できるようになります。
拡大している自分に気づきます。
宇宙意識ってこのような気づきだと思います。
これがよくいわれる
KNOWINGNESS の世界でしょう。
この世界において、自分の信念や態度に
執着する必要はまったくないのです。
そんなことより、もっと大きな世界なのです。
宇宙のどんな存在も知らない未知の世界へ導いてくれるかもしれません。
この次元以外の魔法やテクノロジーがあるかもしれません。
それはともあれ、私たち、個々のライフパーパスに
鮮明な気づきと方向性をもたらすためには、
「宇宙意識」と一体になる必要があります。
Success ではなく、SUCCESSへの鍵もこれです。
なぜなら、過去と未来、そして今に存在するすべてと
私たちが一体となるからです。
このエネルギーが自分の中に自由に入ってこれるようにするには、
常に柔軟性をもって生きることでしょう。
宇宙意識とともに行動できるように、
自分の中に自然に浸透してくるようにするには、
「喜び」と共にあることでしょう。
2006年04月15日
女神はトータル

私にとって女神とは一言でいうと、女性性のかぎりない側面を表現するものであり、そういったすべての側面を受け入れてくれるエネルギーです。
宇宙における「女性的な表現のエッセンス」であるといえます。
女性的な表現は女だけに限られているのではなく、もちろん男性にも反映されます。女神とは存在するすべての次元の母であり、その母なる本質とは、私たちが心で創造するすべてを認めてくれることなのです。だから人間はみんな女神の子供たちということになります。すべての次元の母ですから、宇宙の創造の母であり、この大自然が女神の存在を私たちに地の恵みとして明かしています。
彼女の大地の土をこの手で感じるとき
愛している子供たちをこの胸に抱きしめるとき
おいしい空気をいっぱい吸うとき
春の太陽のぬくもりを感じるとき
この体を走る情熱を感じるとき
鏡に映った自分をじっと見つめるとき
こんな身近な生活の中で、実は直接、女神を私たちは体験するのです。
自分を通してだけとはかぎりません。ほかの人を通しても感じられます。そしてまた、喜びだけにかぎらなく、苦しみ、悲しみ、怒りといった感情を通して彼女は現われるのです。
愛を失い絶望した気持ちの中にも彼女はいます。差別なしに、あらゆるフィーリングを通して女神の存在を自分の中で体験することができます。
なぜなら、「創造の女神」は、人間のトータル的で、ホリスティックな全体像として現われているからです。私たちの予測を超える可能性といったものも含めて、私たちのあらゆる創造がそこに含まれています。一時的で、また周期的な私たちの側面だけではなく、包括的なものです。
前にも述べたように、古い時代から地と共にあったこのような人間が自然とすべてを受け入れる包容力のある女神文化は、その真髄となった女神崇拝から根こそぎ滅ぼされてしまいました。男中心の神の宗教を確立させるために陰謀が企てられ、恐ろしい拷問や集団虐殺の手段まで使われました。
今の心理学をみても、人間の側面として内在している女神に対する意識や敬う気持ちなどの傾向は、あまり認められていません。こういった側面はとかく、拒否されがちで、押さえ込まれたり、認められたりしないのが現状です。そしてトータルに認められない女神の側面は、どうしても歪んだ形で社会の表面に現れるのです。
たとえば私たちが学校で教わる神話は、全能の神が中心です。怒りや復讐の念で燃える「男の神さま」の話がほとんどです。その神さまは自分が創造した人間すら、罰し、敵対心を抱くこともあります。その神さまは、いけにえなどの儀式の仲介人を必要とします。その仲介人がいなければ、普通の人たちは近づけない神として崇められるのです。仲介人もその神とまったく同じで、私たちが神への分離や仲たがいを起こさせる原因のひとつとなります。
私たちが集合的に経験している精神的な心を見失っている社会や、人間が自らの魂との関連性を薄れさせ、女性の価値をも、見下してしまう傾向を生んでいます。さらには、命あるものすべての価値が見下されてしまいます。全体的な女神の表現を抑圧することから、これらは生じているのではないでしょうか。
天に住む全能の男の神さまを重視する人々は、少なくなってきたといえども、まだまだ私たち、人間よりも大きな力を持つ神々を応援する傾向が勝っています。そしてこのような傾向が社会にどんな影響を与えているか、はまったく議論されない現状があります。
どんなに環境や地球そのものが被害を受けても、どんなに人類すべてや、個々の人間が被害を受けても、それでも手に入れたい、実行したいという、まったく全体性を失った欲望として現実化されます。
神聖な女神へのアウェアーネスが男性的な考え、つまり、あまりにも左脳的な考えによって抑圧されると、彼女の抑圧された影は、無差別に私たちそのものの存在を脅かすようになります。私たち、個々の内なる神聖な女神の存在が尊重されないかぎり、生まれながら私たちがもっている人間独特の感覚が混乱し、失われてしまいます。
そうなると、私たちの命そのものに意味がなくなり、深い喜びを感じることも薄れていきます。喜びは人間に平等に与えられている権利であることを忘れないようにしましょう。
Posted by 愛知 ソニア at
10:24
│Comments(249)
2006年04月09日
安息日の朝に考えたこと

マグダラのマリア(19世紀に描かれたもの)
女神と聞いただけで、関心ないというどころか、
「結構です」といわれたことが実際あります。
もちろん相手は誤解しているのですが・・・
1995、6年ごろの日本に私が講演に来たとき、
前にもお話したとおり、
講演テーマはまさにこの「女神たちのパッチワーク」でした。
この講演を通して女神の古代から伝わる神話や様々な女性について
私はお話しながら全国数箇所をまわりました。
その中でちょうど長野にさしかかったとき、
私の講演を主催してくださる方から妙な話を聞かされました。
講演内容が女神に関係することからある会場を貸してもらうのを
断られたというのです。
私は非常にカルチャーショックを受けました。
思い出せば、ちょうどあの頃は日本ではオーム事件があり、
何かと宗教にからむ事件が多かった時代でした。
それで「神」と聞いただけで怯える人々がたくさん日本にいたと思います。
もともと信仰のある人はそれがなんであれ、
あんな騒ぎでビクともしませんが、
信仰のない人は、あんな事件があると信仰のないことに
益々、これでよかったと思うでしょう。
中には信仰を失った人たちも大勢いると思います。
私たち、皆が信仰を失うと、人間はどう変わるでしょうか?
かえって平和になる!?
それとも混沌とするこの社会の中で一層、見失っていくでしょうか?
しかし、ここにいるのは私たちだけではなく、
目に見えない存在によって生かされていると信じるほうが、
心も楽になり、感謝の気持ちを忘れず暮らせることは確かです。
私もエハンと同じで、何の宗教にも属したことはありません。
しかし神々の神話に昔から非常に関心を寄せていて、
この宇宙について科学的に学ぼうとすればするほど、
古代の人々や彼らの信仰、そして言い伝えなどが、
科学と一致していることによく気づかされます。
西洋文明で大きな歴史の分岐点は、
なんといってもギリシャ時代で、
今日に至るまで男性中心的な世の中を作り上げてきたことは事実です。
その結果、やはり暴力的で破壊的な世の中に至りました。
では、それまではというと、前にも述べたように
女神崇拝と共に家母長社会が形成されていたようです。
だからその時代は平和だったのか、と男性の方は思われるでしょう。
いえ、女神たちも戦いました。しかし今の世の中のようではない
秩序はあの時代、地球人はしっかりと
守りながら暮らしていたような気がします。
私たちは多くを忘れています。
間違ったことも教えられています。
誤解もたくさんあります。
女神信仰はキリスト教時代となってからPagan(異端信仰)に変わり、
マグダラのマリア信仰もその一つです。
マグダラのマリアは男性的なカトリック教会のおかげで、
娼婦だったと、私たちは信じさせられてきました。
やっと今日となって本当の彼女が
世の中に理解される時代となりました。
RETURN of the GREAT GODDESS
小さなムーブメントとして、今起きている
女神意識の復活は非常にタイムリーで、
今となって、私たち人間は女性や母親の性質を
再び確認する必要に迫られている時代を迎えているからです。
こういった神聖な女神を完全に見捨てていない文化もありますが、
家父長制度が存在する社会が現実としてここにあり、
その宗教もあり、それは天にいる神の宗教です。
これが今の主な先進国の宗教ベースとなっているのです。
こういった社会は古来から大地と共に、
そして女神に基づく宗教を隅に追いやり、滅ぼしてきました。
その結果、私たちは何を見失い、何を忘れてしまったのでしょうか。
女神とは一体、誰なのでしょう?
こんな質問を私は、あの宗教では安息日とする日曜日、
とんがった建物に入る日に考えつきました。
では、「私にとって女神とは」を次回、お伝えすることにします。
Posted by 愛知 ソニア at
09:33
│Comments(571)
2006年04月05日
ヴィレンドルフのビーナス
THE VENUS OF WILLENDORF

「偉大な母なるゴデスと呼ばれているこの小像は石灰石で彫られていて、
オーストリアのヴィレンドルフで発見されました。
紀元前2万5千年前のものだとも、3万年前のものだとも言われています。
これによく似たものがヨーロッパ全土で出土しており、
その数は2千個にもなるそうです。
よく壊れずに今まであったと思います。
したがってヴィレンドルフのビーナスは、世界最古の女神像だといえます。
彼女はすべて命あるものの母であり、
「創造の神」として古代の人々が崇めていたようです。
その豊かな姿は地球そのものを象徴しています。
ヴィレンドルフのビーナスは、また、植物、動物、人間、そして宇宙とが
互いにつながっている、すべての統合を意味しています。
さらにこの女神像は、
人間が豊穣を願う世界の「地母神」の原型だともいえます
豊かな胸と足は、かつてこの地球において、
家母長制度が栄えた時代の文化を示す証拠となっています。
ヴィレンドルフのビーナスからは、
私たちを私たちのオリジンに強く結んでくれる
力が伝わってくるような気がします。
もし、遠い未来に、まったく同じ様に
今の私たちの遺産が発掘されたとしたら、
きっとバービー人形みたいなものが発見され、
「彼らはダイエットを信仰していた病んだ人類だった」と
いわれるかもしれませんね。

「偉大な母なるゴデスと呼ばれているこの小像は石灰石で彫られていて、
オーストリアのヴィレンドルフで発見されました。
紀元前2万5千年前のものだとも、3万年前のものだとも言われています。
これによく似たものがヨーロッパ全土で出土しており、
その数は2千個にもなるそうです。
よく壊れずに今まであったと思います。
したがってヴィレンドルフのビーナスは、世界最古の女神像だといえます。
彼女はすべて命あるものの母であり、
「創造の神」として古代の人々が崇めていたようです。
その豊かな姿は地球そのものを象徴しています。
ヴィレンドルフのビーナスは、また、植物、動物、人間、そして宇宙とが
互いにつながっている、すべての統合を意味しています。
さらにこの女神像は、
人間が豊穣を願う世界の「地母神」の原型だともいえます
豊かな胸と足は、かつてこの地球において、
家母長制度が栄えた時代の文化を示す証拠となっています。
ヴィレンドルフのビーナスからは、
私たちを私たちのオリジンに強く結んでくれる
力が伝わってくるような気がします。
もし、遠い未来に、まったく同じ様に
今の私たちの遺産が発掘されたとしたら、
きっとバービー人形みたいなものが発見され、
「彼らはダイエットを信仰していた病んだ人類だった」と
いわれるかもしれませんね。
2006年04月02日
ジェシカ・ノース物語
カリブ系黒人の父とケルト系ユダヤ人の母といった非常にユニークな血が流れるジェシカを見るとどこの国籍の人か分かりません。エチオピア人? と、たいていの人は思ってしまうでしょう。この写真は私たちがビクトリアに住んでいたときに、家に訪ねてきてくれた彼女を撮ったものです。あんなによく一緒に時間を過ごしたのに、これ以外彼女の写真は不思議と見つかりません。
私は数ヶ月ほど前に、ふとジェシカのことを思い出し、彼女をインターネットで検索しました。すると“ALIVE”というカナダのヘルス雑誌に彼女の記事がたくさん載っていたのです。ジェシカのバスオイルのレセピーが毎月のように連載されていました。
私たちがコンタクトを絶ったのは、たしか5年ほど前でした。ちょうどわが家は日本で生活し始めたその時期に、実は彼女に大変なことが起きてしまいました。次女のヴァネッサを血液癌で突然、亡くしたというメールを私は受け、その後、彼女とは音信不通となっていました。正直言って、私はどうやって彼女に対応したらよいのかわからなかったのです。お恥ずかしいことながら、なぐさめの言葉ひとつさえ、かけてあげることもできませんでした。考えるだけで、ショック状態で固まってしまう自分だったからです。ふり返ってみると私もその年は大変でした。日本に再び移住したところで、私はかなり浦島太郎状態だったのです。それに帰国する前、カナダで17年間も一緒に暮らしてきた愛犬のグレースを亡くして、間もない時期でした。ペットをお持ちの方にはいうまでもないのですが、本当にいつまでもつらいものです。というわけで、ジェシカとはここ数年、連絡が途絶えていました。長い友人関係で、こんなこと一度は誰でもありますよね。お互いに本当につらい時は、そっと遠くから見守りあい、離れておくことも大事ではないでしょうか。大切なのは、音沙汰が無くてもきっといつかまた、以前のように会話できる日が来ることを祈りながら互いを思う気持ちを忘れずにいることでしょう。本当の友情は、そう簡単に切ることはできません。なんと、まさにそのとおりで、一ヶ月ほど前に突然、ジェシカは私に電話をくれたのです。悲しい経験の後、彼女はバンクーバー島の北にあるダンカンという小さな町に移り住み、今までどおりまたアクティブな人生を送っていると聞かされて私の心は安らぎました。電話をくれた私への彼女の思いにとても感謝しています。
さて、カナダ東部で育ったジェシカ・ノースは、モントリオール大学にてジャーナリズムを専攻し、その後、カリフォルニア大学でメタフィジックス(形而上哲学)の博士号を修得しました。ジェシカは多くの才能を早くから発揮し、五人の子供たちの母親になった後も先生として教えたり、また執筆家、講演家、パーフォーマー(ケルト歌手・ベリーダンサー)として、幅広く活躍してきた女性です。彼女が書いたケルトの占い「ルーン」の本、“Runemal”や、“The witch’s book of days”というタイトルの魔女日記は、古代の知恵を学術的にまとめてある専門書として知られています。彼女は他にもタロットや占星術、ハーブ、アロマなどを教えています。

このようにジェシカは、非常に豊かな知識を持つクリエーティブな女性であり、また素晴らしい母親でもあります。彼女は実は最初からシングルマザーなのです。五人の子供たちをひとりでジェシカは育てたのです。私がびっくりしたのは、なんと五人の子供たちの父親はみんな違うと聞かされたことでした。しかもどの父親からも金銭的な支援も受けていないし、政府からの援助も彼女は受けてない、というのです。受けない理由は、法律的に子供たちを手放したくなかったからだそうです。もっとすごいことは、一人一人の子供たちは、みんないわゆるインディゴなのか、賢すぎるのかはわかりませんが、普通の教育システムに合わないため、全員、家でホームスクーリングしたことです。ジェシカは長年、お父さんとして稼ぎ、お母さんとして世話をし、先生として毎日、自分の子供も教えました。私には到底、考えられないすごい人です。ジェシカのことを思い出すと、彼女はストレスやキレそうなところを一度も見せたことはなく、いつも穏やかに丁寧に子供たちに受け答えする姿が目に浮かびます。子供たちはみんな素晴らしく育ち、優秀な子たちばかりで、二人も大学院を卒業しています。ホームスクーリングでそこまで子供を教育できるなんて、本当に彼女は立派だと思います。
ジェシカと私が最初に出会ったときも、人生の変わり目を互いに経験していた時でした。ちょうど17年前、私たち家族がカナダに移住してまもない頃、アンテロ・アリという有名なアメリカ人の占星術師の講演を聴きにいったときに、私は彼女と知り合いになりました。生後まもない赤ちゃんをジェシカはバスケットに入れて、真っ白な素敵なドレスを着ていたのを思い出します。その中に入っていたのは五番目の娘、ジャスミンでした。この子は中でも特別に個性的で、輝く黒い大きな瞳、どうしてもインドの女神の生まれ変わりじゃないかと思わせる雰囲気の子でした。しかしジャスミンは困った事に、他の姉妹たちよりももっと早く、幼稚園の二学期で登校拒否が始まりました。「私、ミュージカルが大好き。歌うからきいて」というなり、身振り、手振りを沿えてすごく響く声で歌いながらショーが始まります。服装もいつも衣装でした彼女は。先日の電話では、やはりジャスミンは、今でもその道をどんどん突っ走っているようです。
しかし、毎日すべきことをこなしながら忙しくしているジェシカの疲れきった様子は、時にはそれこそ年老いた魔女のようにも私には映ったのです。そんな可愛そうなくらい忙しい生活をしていたのですが、七年ほど前のある日、私の家に彼女からカードが一枚届きました。封を開けたところ、中には招待状が入っていたのです。結婚式の招待状でした。私は自分の目を疑って何度も目を通したのですが、確かに「ジェシカ・ノースの結婚式」と書いてあったのです。その式場も変でした。ビクトリアの町の中心にあるビーコンヒル公園内にある池の前の道と町から続く通りが交差するところが式場だと書かれていたのです。当日、その場所に出向くと驚いたことに、30人ほどの女性たち全員が、中世の魔女のような服装で出席しているではありませんか。中には男性も数人いました。普通の格好をしていたのは、男性たちと私だけでした。いったいジェシカはこの中の誰と結婚するのだろうか? どの男性? ひょっとしたらあのホウキを持っている魔女かも? こんなことを私が考えていたら、このわけのわからない結婚式はいよいよ始まりました。「さあ、みなさん、この十字路を中心に輪になってください。」とジェシカ。十字路はエネルギーが集中する場所なので、たしか中世の魔女たちは十字路で集会をしたと、私は本で読んだことがあったのを思い出しました。輪になった私たちは少しの間、手をつなぎながら目を閉じて静かにしていると、ジェシカが語り始めました。手にはすごい杖を持ち、見るからに魔法使いのようでした。みんなの前で彼女は、「私は今日、自分自身と結婚します。いつか、誰かと結婚しようなんて夢は捨てます! この輪にいるふたりの男性は私の子供たちの父親ですが、まったく頼りになりません。男なんて、もうコリゴリです。これからも力強く生きていきますので、そんな私をお友だちのみなさん、どうかこれからもサポートし続けてください。ありがとうございます。」と、このような驚くべき宣言をしたのです。その時、私たちの横にあった木にカラスが止まりました。ちょうどその瞬間に、どこからともなく黒いネコが現れて、同じ木を駆け上り、カラスはそのネコにカーカーと鳴き叫びながら攻撃し、ネコはギャーギャーと鳴き声を立てるので、その後のジェシカの言葉が聞き取れないほど、うるさくなりました。一時は中断状態となり、みんながその不思議な光景に見入りました。これって、一体、何? 私は少し気味悪く感じたのですが、やっとピンときました。ああ、なるほど、逆魔法か! やっぱりその通りでした。その日から一年もしないうちにジェシカは、晴れて本当の結婚式を挙げたのです。相手の男性は自分の生徒で、彼女の長男と同じ年のハンサムな若者でした。二人は愛し合いながら今も一緒に暮らしています。
Posted by 愛知 ソニア at
21:18
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