プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニアfoaf.rdf
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。 エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、 座禅、ヨガ、正食に励む。 後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。 海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。 以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。 「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。 現在は長期海外滞在を終え、兵庫県に在住している。
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2010年07月21日

Starbelly Jam

先週の日曜日7月18日の朝にネルソンを出発して、
クートニー湖をフェリーで渡り、Starbelly Jam というお祭りに参加してきました。
日本の夏もそろそろお祭りの季節にはいってますよね。
お祭りはどこの国でも楽しいものです。
どんな感じか少しご覧ください。



どこの国のお祭りでも子供たちがいるので楽しいです。
でもこの日、あのあと突然すごい雷と雨が降ってきました。
山間だからしかたがない。
ちょうど日が暮れようとしていたとき、
ステージに超ノリのいいバンドが現れたんです。
もう体が踊りたくてたまらない。
周りを見ると傘をもって子供を抱いて踊る人たちでいっぱい。
そのバンドは;
LES BOUKAKES(レ・ブカース) (日本語のアルバム紹介
フランスを拠点にアルジェリア、チュニジア、フランスからなる6人編成バンド「LES BOUKAKES」2008年リリースの3rd。ロックのスピード感にライ、グナワ、シャービを混ぜ、「マノネグラ」や「ラシッド・タハ」のようなバランス感を持った北アフリカとのハイブリッドサウンド。通称ROCK'N'RAI。独特なリズムがくせになるレゲエや(m3)、シンセが絡んだニューウェイブ(m9)など色々な表情もあり。社会的意味を持った力強いメッセージをライのリズムに載せて!

この曲は日本の祭りの音頭とかわらない。
体はついに雨の中踊りだしてしまった!

  

Posted by 愛知 ソニア at 14:27Comments(0)ダイアリー

2007年10月02日

生命の木

今年は翻訳の仕事は止まっていて、
書くということをなるべくやらないようにしている。

もう一度、しっかりとそれについてふり返り、
考えてみる時期に入っているからだと思う。

今年はいろんな人々と出会い、
互いの情報を交換し合う時期にいる自分。

今年の初めから通訳の仕事をまた以前のように
させていただく運びとなり、
注目すべき人々との出会いの輪も私なりに広がっている。

それは精神世界と交じり合いながらも、
もっと一般PEOPLEと交わることが多い。

怖れずに自分を表現して出会う新しい関係性が広がっている。
今まで知らなかった人たちや、
会ったこともないのにどこかで、以前、
遠い昔に出会ったことがあるような人たちと出会っている時期が今。
(誰かさんの歌のように)

今、私だけではなく、
多くの人たちも同じように素晴らしい出会いを今経験している。

これもまた、共時性の輪が広がる。
電波のように私たちの意識は目に見えない輪となり、この地球を包む。
その輝きが次第に増していく。

驚きと喜びが二つ重なるなかで、
人々は互いにまた、「なに、これ?!」とこの現象をいう。
それしか、この地球上にはない。
このことばが最後に残るだけ
ことばで始まり、ことばで終わる

しかしこのように現れる現象は、
別の次元からすると、どんなことであれこの三次元の現実は、
まるで私たちが本の中の物語に、
ネバーエンディングストーリーのように入っていくことができないのと同じように、
紙に描いてあるモチが食べられないのと同じように、
また、ピーターラビットのように絵を描いたら
突然、動き出すようなことはまずない。

このように3Dと2Dと同じほど、
別の次元から私たちのやっていることすべては映る。
そしてそれらの異なる世界はそれぞれの次元では
どうにでも自由に変化することができても、
この二つが相互的な関係を保ちながら交わることはない。

だけどそれができると、
この現実は魔法のように一瞬にして変わる。
これも可能であることを知識としてこの次元は残している。

実際にどのようにしてこの二つは、
いやすべての次元はそんな関係になれるのか?
その歩み寄りはたくさんある。

かた足ずつ、ホップしながら確実に五次元の扉がひらき、
ついに完全にシフトしてしまうか、
あるいはいっきょにきちゃうのか?
何が?
それはさまざまあるだろう。
アセンションというアイデアから
絶滅シナリオから
どれもが一挙にシフトしてしまうシフト?

我々のちっぽけな想像を遥かに超えるもの
Welcome to the fifth dimension!
Welcome to the transdimension!


1993年 愛知ソニア作


この間、ルーク君のブログで見つけた気になる一枚(magicha)


「生命の木」  

Posted by 愛知 ソニア at 12:45ダイアリー

2007年06月09日

イエス、弟子の足を洗う 

イスラエルの旅はキリストのエネルギーを実際に自分の体で感じてみようとスタートした。
旅ではまったく予期せぬことだらけを経験した。なるほど、キリストエネルギーは、期待通りにはやってこない・・・

自分がなぜ、不思議なほど聖書というものを忘れることができないのか?
気がつけばやはり一ヶ月に一度はところどころ読んでみたくなる。
なぜ、自分はイエスという存在に惹かれるのか?

それを直接感じたかった。
歴史が語る架空の人物なのか、実際に存在した人物なのか?
そして、どのようにその存在は超越していたのか?

イエス・キリスト、ブッダ、ムハマド・・・
世界の宗教の始まりとなった偉大な大師たちの中でもキリストは、
ほかのマスターたちとちがった点は何か?

それは、「キリストは弟子たちの足を洗う」という、
聖書の中のキリストの不可解な一つの行動にも顕著に現れていると思う。

「イエス、弟子の足を洗う 第13章1~20」  
ヨハネによる福音書  
弟子たちの足を洗ってあげたキリスト
Gospel by "1-20 Chapter 13
that washes Jesus and apprentice's feet" John

イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、
また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、

4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、

5 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。

6 こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。

7 イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。

8 ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。

9 シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけでなく、どうぞ、手も頭も」。

10 イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。




ゲッセマネの園

オリーブ山の斜面に広がるオリーブ園が
人々の不信仰によって追い詰められたイエス・キリストが
人類の運命をかけて血の汗を流し、
神の前に祈りを捧げたと言われるゲッセマネの園

  

Posted by 愛知 ソニア at 22:43Comments(0)ダイアリー

2007年05月25日

聖書の旅日記 2 悲しみの道の終点



エルサレム旧市街は十字架で区切ったように四つの民族の地域に分かれている。
ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、アラブ人地区、アルメニア人地区である。
ダマスカス門からこの動画のような活気に満ちたアラブ人地区を抜けると、
すぐに聖墳墓教会にたどり着いた。



エルサレムにはキリストの墓と考えられるところが二箇所あるが、
この教会こそイエスが十字架にかけられたゴルゴダの丘の上に建っているらしい。
左の小さな部屋こそがキリストの墓であり、女たちがキリストの墓を訪れたとき、
天使たちが座っていた岩の一部が納められているという。
しかしここは「悲しみの道の終点」でもある。



ずっとまた歩き続けていくと、思ってもいなかった場所に導かれていった。
あの「嘆きの壁」に出てきた。そこはユダヤ民族の信仰の地であり、
また全世界のユダヤ人の巡礼地である。
キリストがこの世を去った後、
約二千年間さすらいの民となったユダヤ人の唯一のふるさとともいうべき「壁」である。



壁の石、ひとつひとつが、この世界中の人々が分けられていった
過去の歴史が悲しみの記録を語っているような気がする。

ここでも壁は男性サイドが向かって左、女性サイドが右と分けられている。
そばまで近づいていくと、激しい嘆き声が聞こえてきた。
その壁に向かって左の女性は激しく泣き叫んでいた。
どうしても少し観察したくなったのでチラと様子を伺い、耳を傾けた。
その女性はおそらくガーナか、どこかのアフリカ系の国からやって来た
黒人女性には違いなかったが、ともかく壁に向かってドンドンと叩きながら、
何か激しく神に訴えている。
左を見てもよく似た姿の人がいて、やはり嘆いている。

決して神さまありがとうの涙と嘆きではなかったのは確かなようだ。
正直に自分を表現するためにわざわざ旅してきたのかもしれないが、
女の嘆きが伝わってきた。ずっとそこにはとどまりたくないという気持ちに早々なり、
そこを去った。

後でエハンにどうだった?
男性サイドはと聞くとそんな人誰もいなかったなあ・・・という答えだった。  

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2007年05月22日

聖書の旅日記 1



 朝、4時半ごろ、礼拝告知(アザーン)がフルボリュームで流れるミナレットの塔が、
ホテルの部屋のまん前にそびえている。
それが流れると、夢心地の中、突然、祈りモードに入っている自分がいる。
祈りは祈り・・・どんな宗教の祈りであっても崇高だからこそ、
半分眠っている自分の意識に自然とスイッチ・オンされるのだろう。
だからやかましいとか、うるさいと感じることは不思議なほどまったくなかった。



 エルサレムでの最初の朝、十分ほどホテルから歩いていくと、
ある大きな門の前まで私たちはやって来た。
これがどうやら、ダマスカス門らしい。
エルサレムの旧市街は約四キロにわたる砦壁で囲まれている。
ほかにもヘロデ門、獅子門、黄金門(別名:糞門)、シオン門がある。

 イエスは一体、どの門からエルサレムに入ったのだろうか? 
聖書によるとイエスは、
そこでも人々の期待を裏切るような意外な行動に出たとある。

 取り巻きを大勢従えて勝ち誇ってエルサレムに入城すると誰もが思い込んでいたとき、
イエスは明らかに、虚飾や見かけのきらびやかさを拒絶する行動にでました。
イエスは弟子数人にロバを用意させ、あえてそんなぶざまな動物に乗ってエルサレムに入城したのです。
崇拝されている人物としては、考えられない方法です。
      
  

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2007年05月20日

闇と光の奥に潜む平安京 「エル・シャローム」



  二日前、パリ経由でイスラエルから戻ってきた。五月を振り返ってみると、まずは英国ホワイトイーグルロッジ本部から来日されていたアストラ・フェローさんの通訳をさせていただき、そして三日後、イスラエルに旅したので、ひとことで五月は凝縮されたキリスト三昧だった。ホワイトイーグルの教えについては、後日じっくりと振り返ってみたいが、アストラさんを通じてキリスト意識と深くつながるすばらしい経験を得ることができた。

 さて、イスラエルはわずか一週間の滞在だったが、今までいろんな国々を旅した私たちにとってこれまでにない深い体験となった。今のところは深くて、すごかったとしか表現しようがない。エルサレムを出たのは朝の4時半。エルサレムからほんの一時間ほどの距離にあるガザの紛争はこの数日間でかなりエスカレートしていき、今ではミサイルがボンボン飛び交っている状態にある。この緊迫状態の中、私たちは空港にたどり着くまで幾つもの検問を通過した。空港の取り締まりも厳重なので、今回お世話になったガイド、バラさんの奥さんから彼女の運転する車の中で、空港で受ける質問に対してどのように答えるべきか、すべて予行演習してから出国するという緊張感を朝早くから味わった。

  こんなときにエルサレムに行くなんて、エハンと結婚していなかったならまずないだろう。この一週間どこにいたかなんて、心配性の母親にはいえない。無事出国したあと、パリに向かう飛行機の中でこのたった一週間ではあるが、とても貴重な体験をしたひとつひとつを振り返ってみた。ひとつ間違えれば、とんでもない経験になったことは確かだが、この年になってもまだこんな旅のスリルを楽しむ自分がいたことに気づくと、精神的にもまだまだ自分は若いんだという妙な満足感がある。

 思い出せば、1970年頃から5年間ほど私は一人でイギリス―イタリア間を何度もヒッチハイクし、野宿しながら往復したものだ。その頃のスリル感が不思議なほど体を通して蘇ってきたのが今回の旅だった。そして、32年経った今、はっきりいえることは、冒険野郎エハンと結婚したことに悔いはまったくないということと、自分も彼同様スリルな人生が好きだということ。

 さて、今回の旅のひとつの目的は結婚リニューアルだった。私たちは今まで世界のあちこちで、五回も結婚式をやっている。結婚生活は一生という長い月日の間、お互いの考え方や人生観などいろいろ変化していく。だからこそ、お互いの「むすび」は現在進行形でなければならない。あいまいではなく、しっかりとさせておきたい。そんな願いから私たちは何年かに一度セレモニーをやろうと決めている。平和と愛に満ちた関係性をずっと維持していくために・・・シャローム!  

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2007年03月17日

ネオエルサレムの言語

これから闇のエネルギーも、光のエネルギーも
ますます強くなっていく
これはあたりまのこと

だから自分の中の闇の部分も光の部分も、
今までよりも一層、
はっきりと見えだすようになる

こんな気づきも含めて共感できる「うなずきのサイン」があったら便利だ
短いことばとしてこれがたくさん生まれるとすばらしい
シンクロや共感を表現するハートフルなことばの生みの親になる
うーん、おもしろい

これからの流行語として、
ハートを開くことばが妙に受ける時代になるだろう
たとえば
LOHAS(Lifestyles of Health and Sustainability)もそう
環境、自然、健康に優しいライフスタイル
LOHAS時代はしっかりと定着していく可能性がある
当然のなりゆきとして、そこにハート加わっていくだろう

ことばだけでなく、
ほんとうにつながっていける時代を人々は強く求めるようになる
あなたもそうなの、私もそうですと、
互いにもっとうなずきあうようになる
あなたのいっていることは間違っているとか、
皮肉に批判する余裕のある時代はどんどん消えてなくなっていくだろう

ことばで共感しあうことによってつながりだす時代こそ
Neo Jerusalemの領域の言語が誕生していくことであり
そこで生まれるさまざまな言語は
光の速度で全世界に伝わり
光の輪でNeo Jerusalemを包み込む
この地球上にエーテル体の光が創造される

それらは昔からあることばではないにしても、
それ以上に意味深く、
誰にでもわかるような、感覚的にピンとくるような
同意のサインとして誕生する
だから自然とヒットする

ユーモアがあって、
それをことばとして発することによって
みんなが自分を可愛い天使になったように感じられることば
矢を放つようなスピード感のあることば

皮肉なことばで汚染されているこの世界を
愛でつないでいくことばに置き換えるワークは始まる
それはまず、自分の頭の中によぎることばのひとつひとつを
置き換えることからはじまる

  

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2007年03月13日

DNAの微妙なアライメント

 二日前に東京でエハンと宮崎先生のジョイント講演会があった。
その時の内容としてDNAについて少しずつ話があった。
 DNAの暗号の3パーセントぐらいしか私たちは今のところアクセスしていなくって、それはこの物質次元の情報であり、あとの97パーセントはこの次元に関するものでなく、これから私たちがアクセスしようとしている異次元の情報が含まれているとエハン。

 うーん、そうか。つまり、脳の今、私たちが使っているわずか3パーセントと同じなんだろうか?

 翌朝、私はもう長いこと会っていないMさんとの約束があった。彼女はとても興味深い考え方をする人で、以前からお互いにたまに会っては情報を交換する仲だ。
朝、まだ10時にもなっていないのに紅茶を飲みながら、彼女と異次元的な話ははずんだ。

 「今、何しているの? あれからエッセンスは何か作った?」
Mさんはどうやら面白いエッセンスを最近、開発したようだ。
「あのね、私たちのDNAは、ほら螺旋に連なっているでしょ。その柱みたいのが、実はちょっきり36度ずつねじれていて、10回ねじれるとちょうど360度回転して、もとの位置に戻る。これが正常なDNAの螺旋なんだけど、最近の私たちのDNAは36度ずつねじれていなくなっているから、異次元の情報がキャッチしにくくなっているの。だからそのねじれを正常に戻すエッセンスを創ったの。」なんて、いきなり面白いことを彼女は言い出した。

 確かにこれはいままで耳にしたこともない情報だ。その上、前日のDNAの話とも共時性がある。こういう話を聞くと、そのフラワーエッセンスでもない不思議なエッセンスをぜひ試したくなった。

 「それ、あなたの家にあるの? 欲しい!」と私。
それで早速、彼女の家までもらいに行くことにした。
Mさんは知る人ぞ知る魔女だ。彼女の家に入ると不思議なものがいっぱい置いてある。
「これ、どうぞ、あげるわよ」と目の前に出された。そのボトルを手にとって、私は早速、舌下に数滴垂らしてみた。

 次の約束があるのでそろそろお邪魔しないと。
彼女の家を出て数歩あるいたころ、おもしろい現象が私に起きた。
実は数年前に自分のオーラをコンピュータで映し出してもらったことが何度かあるが、
私の頭上から白い光の線がまっすぐ伸びていて、コンピュータの画面の端まで届いているのが決まって見えていた。その線のほうがオーラより面白いので、なんだろうかとその珍しい現象をみんなで見入っていた記憶がある。
その映像を私は歩きながら思い出したのである。
気分的にはずれていた何かが元の位置に戻った鮮明さを感じることができた。
まるでカイロプラクティックでズレている背骨がなおったような快感と、ずい分、長い間宇宙とつながっている感覚を味わっていなかったような気がした。

 これはすごい!
エハンと友人のネスとその後会った。
興奮気味の私は、二人の舌下にその魔法の水滴を落としてあげた。
「ほら、すごいでしょ。」
30十分後に二人から、「悪いけど、何にも感じないよ」という返事が戻ってきた。

 やっぱり、彼女は私に特別な魔法をかけたか、それとも彼らが鈍感なせいなのか?
いえに戻ってきて、何回かそのエッセンスを舌下に垂らしたが、あの時のようなインパクトはもはや消えていた。
でももうちょっとこの実験は続けてみたい。  

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2007年03月04日

Peace & Prayer

きのうのひな祭りの日にお友だちの桑名晴子さんに誘われて、
“Peace & Prayer” というイベントに参加しました。
自分の今までの周りの人々とはまた違った雰囲気を楽しむことができました。
たくさんの若者たちに囲まれて最高でした。
彼らはオーガニックな人たちで、
アースマザーがウランやプラトニウムなどに汚染されることこれ以上許してはならないというメッセージを真剣に伝える人々のサークルでした。

さまざま異なるグループの人々が互いに交じり合い、理解しあう時が来ています。
融合のひと時、それはハートに訴えるメッセージと共に始まりました。
今は病の床につく人となった夫の作品、「ホピの予言」を上映し、夫の意志を受け継ぐランドアンドライフの辰巳玲子さんとの出会いもすばらしいでした。

 もう一つ、すばらしいCD、 “Shanti” にも出会えました。平和という意味ですね。ヨガをするときのバックミュージックにしてもいい曲がいっぱいです。

平和メッセージを強く感じ,平和の歌にハートをゆだねた「ひなまつり」の一日でした。  

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2007年02月25日

ミニパニック

きのうの朝、さあブログを書こうとルンルン気分でパソコンを立ち上げた。まずは、次男の生活ぶりを覗こうと、ガールフレンドのミカちゃんのブログを開いてみた。それを読んでから数分後に私はミニパニックにおちいっていた。

先日、私がアップしたウツ関係のブログを読まれたある方から、『私は10年前の妊娠中にあることがきっかけでパニック症(自立神経症)になり1年おきに4回(決まって夏です)繰り返しました。』というコメントをいただいたので、今日はパニック症に関係したことを書きたいと思っていたところだった。なんと皮肉な共時性。

カナダで暮らす息子と彼女がもう少しでブラックアイスに車のハンドルを取られ、がけっぷちから転落しそうになった・・・考えただけでも身震いがする。しかし不幸中の幸いにもその前に玉突きに追突していた5台の車によってすべる車はストップし、命拾いしてケガもなく助かった。

守られているということにありがたく感謝して、少し安心したのだが、その後、マイルドではあるがパニック状態に陥ってしまった。体はカッと何回か熱くなる程度でおさまったが、心は完全に静けさを失っていた。

今となって振り返ってみると、きのう一日で十年間分くらいの学びがあったように思う。ひとりの母親として感情的に暴走してしまった自分自身を冷静に見つめてみることにした。いまではやっと気持ちも落ち着いたが、きのうはいろんな感情と思いが私を包み込んだ。今、冷静になって自分を振り返ってみるとやっぱりヘン! でもバラバラの場所にいる家族のメンバーたち、ひとりひとりと連絡が取れた上で、さらにはExtended Familyたち、つまり子供たちのガールフレンド、ボーイフレンドとも、コミュニケーションがとれ、慰められたことに今では感謝している。

『ソニアさーん、声聞けてうれしかった。道と共に、こんな不幸に負けずがんばるから心配しないでくださいぃ!』というメールを彼女から受け取ったので、ひと安心。

感情を取り乱している間に私の頭によぎったネガティブ思考をバラすと

1) なぜ、そこまでしてあなたたちはスノボーをしたいのか?(ここはどちらかというと怒りが優先した感情)
2) サバイバルモードをいつまで続けるつもりなのか?(これは説教じみた怒り)
3) 相性や方位は?(否定モード)
4) 別々の道を歩んではどうか?(アドバイス+マニピュレーターモード)
5) 日本に帰ってきて、私の目の届く場所で暮らしなさい。(命令、コントロールモード)
6) 勝手にしなさい!(あきらめ+疎外感+自己憐憫モード)

すべて「パワーか、フォースか」の意識のマップからするとレベル200以下ばかり・・・・子供に関するトラブルとなると、普段の意識状態は感情に完全にやられてしまう。そんな自分を省みて、自分の母親の私自身が嫌っている部分と同じネガティブパターンに自分自身がおちいっていることに気づく。母も同じような目にあったんだなあ。可愛そうにと母に対する理解と同情がこみあげた。だが、娘のマーサからは、『年とともにママもおばあちゃんと同じになってくるね』と聞きたくない一言をいわれてしまった。

娘からほかにもいわれたこと:

☆ 守られているということを信頼して恐怖を解放しなさい。
☆ ママが心配しても今、何の助けにもならない。
☆ 起きてしまったことは後戻りできない。
☆ 人を責たり、コントロールすべきじゃない。
☆ ママは若いとき私たちよりももっとクレージーだったはず。

などなど、いろいろ娘にいわれて、受話器をにぎりしめながら小さくなった私はこう思った。

娘も成長して、いいことをいってくれるけれど、でも、『あなたも子供をもったらわかるよ』と・・・つい彼女にアタリたい気持ちでいっぱいになった。しかしそこで思いとどまった自分自身を誉めてやることにした。それらの厳しいことばは、ほんとうは異次元の存在の誰かが、娘の口を通して私にアドバイスしてくれたんだなあ・・・と、素直に受け取ることにした。愛する人からいわれることばこそ、厳しくあっても自分が一番成長し、必要とすることなんだと納得し、感謝すると、だんだんとパニックはおさまってきた。

  

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2007年02月19日

偶然のシナリオに注意を払え!

最近になって私の現実には、シンクロニシティーがたくさん見えてきたように思う。それは最初からたくさんあり、ただ自分が今まで見えていなかったことが見えてきただけなのかなあ? とにかくその計らいが、あるものは皮肉っぽくもあり、あるものは滑稽であり、あるものは何度も現れるパターンを認識できるシンクロだったりする。何かに注意すべきというサインもシンクロで現れることがあるには間違いなく、でもまったく意味が見い出せないものもある。

実はこの現実はすべて100パーセントシンクロしているのはあたりまえで、私たちはそれが見えていないから、意味を見い出せないままこの三次元で喘いでいる。現実の意味は、まるでマトリョーシカ人形のように何層にも分かれた異なる構造になっているとしたら、自分の今の気持ちはどこにつながっているのか? 癒される必要があるのか?

それは何を通して?

シンクロの運びが意味しているのは何か? それははっきりと目の前でパイ皿をビシャリと投げつけられたように明白に理解できるメッセージなのか? プライドが傷つくようなシンクロ? ・・・「癒される必要アリ」 出会いに感謝するシンクロ? ・・・「愛が芽生える」

うーん、どちらともいえるシンクロといえるときもある。

今、私たちは小さな殻を脱ぎ捨てて、一層大きな器に自分を広げるワークを誰もが一生懸命やっていると思う・・・とはいっても、なかなか広がらないことが多々ある。

例えば何か新しいことをやってみようと決心をしたのに、止めどもなく、「やめろう」、「やめろう」というサインがシンクロとして現れる。それはただ、自分の前に立ちはばかる外されることを恐れる抵抗する古いエネルギーの仕業なのか? それとも今回の新しい夢が今までどおりの自分の器に収まるものではないないほど大きいからか? 挑戦的なエネルギーをたくさん乗り越えなければならない感じがする。

今自分がやろうとしていることが、今までの自分のキャパを乗り越えなければ、何も始まらないことは確かなようだ。だから今までの自分の限界を進んで外そうとしている自分がいる。

今回こそ、成し遂げねばならない何かがある。それはシンクロが運んできてくれる過去を思い出すような諸々の出来事を通して、自分のこれからの道をしっかりと見つめさせてくれている。それは今回こそ、一度違うやり方をトライしてみようという気にさせてくれる。シンクロは、そのチャンスを惜しみなく提供し続けてくれる宇宙からの贈り物なのかもしれない。

あせらずに一歩ずつ、それに向かって歩んでいけば必ず達成できるということを信じること・・・これが大切。無理をしないでもそれは達成できるということを、シンクロは教えてくれている。そういう風に考えると、あらゆるシンクロがバラバラではなく、一連の意味を成し、自分の次のステップに赤いカーペットをひいて迎え入れてくれるように感じる。

その微妙なシンクロの計らいに気づくためには、カタブツで硬直した今までどおりの見方では見えない。ちょうど3Dピクチャー(ステレオグラム)を見るときのように見方を変えなくては見えないようなシンクロもあるし、明確なアンサーを返してくれるシンクロもある。

  

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2007年02月16日

雪の中のゴンパ

カナダ、B.C.州ネルソンの町外れを車で十分ほどの山の中に走っていくと、黄色い旗が道の脇に立っているのが目に付いた。その旗には”Gompa”と書いてあった。ゴンパとはチベットの僧院を意味するようだ。

「チベット」は私にとって最近、よく遭遇するキーワードなので、早速、Gompaという旗のたっている私有地に入っていった。何回かベルを鳴らしたのに、誰も出てきてくれない。そっと中に入っていくと、60才ぐらいの白人女性が出てきてくれた。その女性に案内されて中に入ると、瞑想するスペースがあった。中央には祭壇、周囲の壁にはタンカがたくさんかかっていた。



毎週日曜日にそこで瞑想会があり、誰でも参加できるというので、三日後の日曜日の朝、私とエハン、息子たちと四人で参加してみることにした。これで当分、タオには会えない。最後を瞑想でお別れするということに一同が同意して、その朝、ゴンパに向かった。

シーンと静まった雪の中のゴンパで、指示されたように自分の呼吸に意識を向けていると、私の思考はやっとストップした。何ヶ月ぶりだろう・・・ここまでの静けさを味わったのは。いつこの静けさを私は忘れたのだろうか? このように思考はまたスタートする。

ただこれを再認識するために、私はるばるこんな遠くまでやって来たのか? それでもいい、大切なことだから。

息子といっしょにこうして瞑想できるとは、まったく想像外の経験だった。何はさておき、これはすばらしい。

瞑想会は、まずチベットのお祈りとスートラを唱えた後、瞑想に入った。それからしばらくして、チーンという鐘の合図で私たちは立つと、ゆっくりとサークルを歩き、その後また瞑想に入った。それが終わるとスートラを参加者全員で一緒に唱え、瞑想会は終わった。たった十人足らずの集まりだったので、だから余計に静かだったのかもしれない。平和で静かな気持を感じさせてくれたゴンパに感謝して、その後ネルソンを去った。  

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2007年01月25日

竜の上に立つ観音様

 先日、神戸すぴこんで、刑部恵都子さんの講演を聞いていましたら、一番、後ろの席だったので、刑部さんが前で見せておられたある絵のコピーがあまりよく見えなかったのですが、お話の中で一番、私にとってインパクトがあったのは、その絵でした。「竜の上に立っておられる観音さま」の絵でした。


 今の私にとってとても深いメッセージがあると思っています。
この絵とあれから起きている次々と現れる共時性が感じられるからです。

 確か、観音さまは聖母マリアのようなエネルギーで、
この世をその壮大なご神体で守り、
観音さまがどんなか、おもしろいことが書かれていました。

 毘沙門さま、聖天さま、不動さまとか多くの仏さまがおられます。私たちが生活していく上で、どのようにしたら幸せになれるかを説いた仏教の教えを、それぞれの仏さまの形で象徴して、寺院でおまつりしているのです。日本全国の寺院で、観音様が一番たくさんおまつりされています。西国三十三カ所など、多くの観音霊場があるように私たちに一番親しみがある仏さまが、観音さまです。

 観音様は、インドではアバロキテーシュバラといいます。これを中国で、観世音菩薩、観自在菩薩と漢字に直されました。この名の通り、世の中の音を観る、自在に観るということです。

「観音経」の一節に「もし無量百千万億の衆生があって、もろもろの苦悩を受けるに、是の観世音菩薩を聞き一応に名を称ふれば、観世音菩薩即時に其の音声を観じて皆解脱を得しむ」とあります。一心に観音の名を称えれば、色々な姿に変わって、どんな私たちの悩み苦しみも見逃すことなく救ってくださるという意味です。ですから、観音さまに願いをかければ、何でもかなえてくれるのです。



 観音さまは、蓮の花を持たれています。蓮の花は沼地に花を咲かせます。汚い沼地に根を下ろしても、その汚れをよそに、佳麗な華を咲かせるのです。人の心も同じです。たとえ環境が悪くても、清浄なすばらしい心をもっていられるのです。人間だれしも、仏・観音さまの心をもっていることを、蓮は意味しています。観音さまの心とは、どんな心でしょう。観音さまは、私たちのどんな苦しみも解決して下さいます。が、観音さまの本当の願いは、私たちが観音さまになることです。観音さまが私たちを救われるように、私たちも周りの人々を救うのです。これはたいそうなことではなく、ちょっとした思いやりです。人々の心の苦しみをとり、楽しい思いにさせるという抜苦与楽(ばっくよらく)、すなわち”慈悲”の心です。



 慈悲の”慈”とは友情、この友情は特定の友のものではありません。また人間だけとも限りません。私たちをとりまく自然のすべて、鳥や魚、みんな友達です。同じ空気を吸い、同じ水を飲む仲間たちだ、と実感するのが”慈”です。

  ”悲”はうめき・痛み、友の痛みやうめきを、自分のものとして受け取る心、人の苦しみを自分の苦しみとして受け取る心です。大自然の喜びや苦しみを、自分のそれとして受け取れるのが「もののあわれ」です。”悲”です。ちょっと愛に似ています。しかし、裏切られると憎しみに変わるような愛ではなく、裏切られれば裏切られるほど相手をいとおしまずにはおられない、大きくて深い”愛”です。

 この慈悲をもって、人間らしい道を生きていきなさいというのが観音さまの教えです。そうして、観音さまは、あなたがいま、そこにいるように、会いたいと思えばすぐ会えるように、私たちのすぐ身近に、私たち自身のなかに、さまざまな姿形をして、私たちとともにいらっしゃるのです。

「観世音菩薩」最近では、「クアンイン」といったほうがピンとくるかもしれません。

宇宙の神化が目覚めていくことが
これからの課題となり
忘れるなかれ 忘れるなかれ
産声をあげて愛と知らそう
愛しています 愛しています
無限の引き出しに祈りを与えています

贈ります 贈ります
移行を示す光の導きに
耳を澄ませる時ぞ
祈ります 祈ります

高次波動によって
見守っています 見守っています

竜というと地底にも竜がいると私は信じています。
スマトラの方に頭があり、尻尾は北海道の先のほうにある・・・こんな感じが昔からしてならないのです。確かに尾っぽは揺れているし、頭のほうもご存知の通り、大きく揺れている。
そろそろ、竜が深い眠りから覚めてきているようです。
このようなときこそ、観音さまのパワーを信じて、その暖かい光を感じましょう。

  

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2006年11月10日

アストラルボディ

今朝、六時半ごろ、例の如く線香のかおりが私の夢の中に漂ってくる。
意識は夢の世界から線香のにおいに誘導されて、
すこし現実に戻ろうとしていた。
エハンがいつものように瞑想してるんだ。

結婚した当時は、私も一緒に座禅を組んでいたが、
子供ができた頃からだんだん毎日、瞑想するような習慣は消えていった。

しばらくすると、エハンが誰かと元気よく会話している。
夢か、現実か、まだはっきりしない。
7時半?
こんな早くから誰とディープな会話をしているのかなあ・・・

グーグルで話しているので相手の声も聞こえてきた。
相手はやっぱりカナダにいる娘のマーサだった。

マーサは7年ほど前にカレッジからオートバイに乗って帰宅しようと、ちょうど家の車庫に入ろうとしたときに、後ろから走ってきた車に追突され、思いっきりシリモチをつきました。あれこれと、カイロやいろいろ受けてもなかなか治らないので、最終的に自分で治そうと、ヨガを真剣に始め出したのです。



マーサ(コスタリカの海岸にて)

アシュタンガヨガなどいろんなヨガを試した後、今はスティングのヨガの先生が手ほどきするジヴァムクティ・ヨガを習いながら、教えたり、先生を招いてワークショップを開催したりしています。



左ジヴァムクティ(デヴィッド・ライフ)

さて今朝、娘とエハンの会話をベッドの中で聞いていると、トピックは体外離脱でした。先日、神戸で行われた私の講演で、この体外離脱に関しては興味本意にやると、とんでもなく危険なことになる可能性もあることをお話させていただきました。

人間にはこの肉体以外にもエーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体と、肉眼では見えない微細なエネルギー体を衣のように重ね着しています。体外離脱体験は、その中でも深くアストラル体と関係していて、エーテル体は肉体と密着していますが、アストラル体はかなり自由に移動することができます。

この経験に共通するのは強い金縛り状態がまず、訪れることです。若い頃、何回か体験しましたが、最近ではまったくそんなことは起きなくなりました。肉体疲労とか、様々な要因が重なると起きるようです。アストラル体は別名、「感情体」とも呼ばれるので、感情も多いに関係していると思います。

コーザル体体験は、非常にすばらしいです。私が32歳のとき、ちょうど私もヨガに夢中で、一日中ヨガに明け暮れていた頃、ある晩、瞑想を始めていたら呼吸法が深くなった10時ごろ、まさにあのクンダリーニ体験が始まったのです。明け方、まるでスイッチを抜いたようにもとの体に戻ったのですが、コーザル体をしっかりと数時間体験していました。ヴィジョンはすべてが美しい虹色に輝き、普通の視覚のときよりも一層、明るくなっていて、あたりが全部、自分も含めて幾何学模様として見えたのです。白いふすまに向かって結跏趺坐で座っていたのですが、そのふすまには自分のオーラがタマユラのように見えました。調和と至福の気持ちいっぱいで、思考は停止し、呼吸もなぜか停止状態なのに驚きました。本当に息をしていない自分がいて、背筋が筒のようになりエネルギーが下から上へと、また上から下へと滝のように流れていました。今、ここにいるという感覚しかない状態が続きました。体はコンクリートにように固定していたのです。また、このような体験をしたいと、何度かチャレンジしたのですが、あれ以来、戻ってこなかったです。  

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2006年10月10日

悲しい日

悲しい日

今日は悲しい日、きのう母なる大地に毒の注射が打たれた。
どこまで虐待すれば気が済むのか?
ロボットのような冷酷な宇宙からの侵略者のしわざだった。
それに踊らされている世界のリーダーたちよ、悲しい。

もうひとつ悲しいニュースBBCニュ-スより

勇気あるジャーナリストの死

ロシア人ジャーナリストとして世界的に一番よく知られているアンナ・ポリコブスカヤ(Anna Politkovskaya)は昨夜、自宅で殺されました。彼女の死はジャーリストとはどうあるべきか、ということを多くの人々に示してくれました。

プーチン政権の裏を暴き、特にチェチェンの本当の政治情勢、政府やジャーナリストグループからの年々にもわたる弾圧に耐えながらも、いかにロシアが本当の意味での民主主義に向かうことに抵抗しているのかを調査を重ね、世界に伝え続けてきた勇気あるジャーナリストです。外国では彼女はよく知られていても、ロシアでは抑えられていて、あまり知られてはいませんでした。

昨日、自宅で彼女は殺されて発見されたようです。
プーチン政権が犯した最もも悲惨な誤りと批判の声が高まっています。  

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2006年10月08日

結びの月

きのうはセレモニーに参加してくださったみなさん、ありがとうございました。きのう一日を振り返ってみて、時間が経つほど、すごかったと、じゅわーと感じてます。

満月のようにまるくなろうと意識してみんなで輪をつくったわけではなかったのに宇宙のエネルギーがたくさんその輪に充満していました。静かに美しく空で私たちを見守ってくれているお月さまが感じられた一日でした。女性性のエネルギーの原点は、女神イシスのように大きな羽で包むような愛です。その大切さをじっくりと感じられた一日でした。

空から光のように、今となって降り注ぐ「恩恵」・・・それのみに心をひとつにすると、すべては結ばれる。

お月さま、ありがとう! ひとつとなること・・・昨夜、最後に「大阪城満月祭」で桑名HALKOさんの「ONE」という曲を皆が奏で、歌ったコンサート最後に大阪城の上のほうから寒空に輝いていた満月の輝きは、すべての時空をつき抜けて降り注ぎながら一緒に喜んでくれているお月様の微笑でした。

このすべてがバラバラになりそうな世界で、結ばれることの喜びをしっかりとバイブレーションとして世に捧げることだけが一番大切だと思います。

至福の母、「アナンダ・マイマー」のような生き方に私たち、一人ひとりがチューニングできたら世界はたちまち愛と平和と神々の恩恵を受けて変わってしまうでしょう。

そして結ぶことの喜びの心によってあらゆるエネルギーが結ばれ、まるでばらばらになっていた細胞がつながりはじめ、癒しが起きるように、たちまち世界は修復される・・・こんなことが感じられた『満月の祭』でした。

昨日の朝、「結び」のきっかけをくださった神さまに感謝します。ありがとう!  

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2006年09月23日

メッセージを伝えること

書くという仕事をはじめて
ずい分と年数が経つのですが、
なかなかうまくはありません。

二十年ほど前に兵庫県の芦屋に数年間暮らしていたときがあり、
その頃知り合ったスイス人で、ドイツ語学校の先生をしていた
マグリット松本さんという女性がいました。
今から思い出すとすごいご縁でした。
彼女は占星術をすごくマスターされていたので、わたしのチャートを作ってもらったのです。
すると、「あなたはいつか書くことが仕事となりますよ。」といわれたのです。
五井昌久」のお弟子だった方を紹介していただいたこともありました。

あの時は、「書くこと」なんかあまり自分には関係ないと思っていたのです。
絵を描くほうが、どちらかというとそれまでの自分だったからです。
この頃から、霊能者のカテゴリーに当てはまる人たちとよくお会いするようになりました。

いろいろおられますね。この世の中には東西をとわず、
特殊な能力をもっておられる方々が。
この数週間は特に多くて、何人かの霊能者とよばれる方々にお会いしました。

なぜ、立て続けにお会いしているのか?
もちろん、互いに引き寄せられるからです。
中には、ちょっと待ってと、考えさせられる方もおられました。

先日DISCOVERのイベントで船井幸雄さんが、
ご講演の途中でポロリとチャネリングしたようなことばを述べられました。
そこだけはっきりと覚えています。
「霊能者で脅かすようなことや、ネガティブなアドバイスなどするのは、
本物じゃない・・・」
たしかこのような発言をチラリとされていました。

私も大いに同じ意見です。
そしてほめすぎるというか、よすぎるようなことをいうのも何かと思います。
最近、ある霊能者の方からその方が書かれた本と一緒に手紙が一枚入っていました。

「2006年8月12日、天と地と人間の封印がすべて開いた今、
ホピ族の霊人カチナであったエハンデラヴィに読んでいただきたかった。
又、奥様の方は「お釈迦様」だったようです・・・」

とこう書かれていたので、
ついうれしくなり、その本を夢中になって読みました。
二時間で全部読み終えたなんて初めてです。
お釈迦様のようと言われると、こんなにも素直に喜べる自分がいることに気づきました。
でもその本の内容やバイブレーションからはおぞましい何かを感じました。

ご意見を聞かれても、正直に言えば怖い感じもするバイブレーションでした。
それって、自分に対してほかの人たちもひょっとしてそう思っていたら・・・・
これに気づけというメッセージかな?

ともかく、その本の感想はノーレスポンスです。
その本も次にお会いした霊能者に渡してしまいました。
一体、なんでしょうねえ。
もうすぐすると、この世は霊能者だらけになるという意味なのかもしれません。
そこで、船井さんのおっしゃられていたような基準がますます大切になってくると思います。  

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2006年09月22日

今日のエハンのブログを見て

ちょうどエハンの「電気的太陽」という学研ムー出版予定の本の
褐色矮星に関するところの翻訳までこぎつけたところです。
ブログもちょっとご無沙汰しているところで、エハンの今朝のブログを見て、
ペアで現われる星に関してとても参考になりました。

空もペアで、あるいはそれ以上の三つ子や四つ子で存在するとしたら、
この三次元にも並行宇宙とよばれるパラレルワールドがあり、
これは私の今までの不思議体験のいくつかとも重なる世界です。

とくにすごいと思ったのはモンロー研究所での出来事でした。
1997年のちょうど今頃、私はモンロー研究所で、
一週間のゲートウェーコースをとっていました。

その数週間前にダイアナ妃がなくなったところでした。
私はその頃、チャネリングメッセージが一番盛んになっていた時期でした。
カナダでセッション(自分はかなりトランス状態になるので、
セッションに参加した人からあとで情報を聞くと、
私が伝えたメッセージがどういうものだったかわかるのです。

「もうひとり、一週間以内に偉大な女神がこの世を去ります。」
こんな内容があり、私の回路はまるでテレビのニュースのように
ダイアナ妃以外、チャネルできなくなるような状態でした。
そして、相次いでマザーテレサがなくなったとき、
私自身も自分のチャネリング能力も捨てたものじゃないと思いました。

さて、そんなさなか、私はアメリカのモンロー研究所に着きました。
いっしょにその時、ワークショップに参加していたアメリカ人のほとんどはCIA関連のひとたちで、
精神的トラウマをとるためにモンロー研究所に送られてきたという男性たちが数人いました。
体外離脱とトラウマ解消?

休憩時間に彼らといろいろ話してみると、足には銃弾のあとが幾つもあったり、
バグを誰かの家に仕込むとか、いうではありませんか。本当にそんな世界があるなんて、驚きました。

実際にフォーカス9とか、何とか忘れましたが、ヘミシンクを耳からヘッドホーンにつけて、黒いカーテンで仕切られた列車のベッドのようになブースに入って、ワークショップは毎回行われました。
なんと楽なワークショップなんだろうか。
でも問題は、ヘミシンクが流れると、体外離脱前に起こる睡魔との戦いに負けることが多く、結局はセッションが終われば眠りから覚める自分に気づき、また失敗かと残念に思うばかりでした。

でもワークショップの最終日にフォーカス20かなあ、すごいことにやっと体から離れた私は、ブースを出て、遠い過去の世界や、未来の世界を訪ねたのではありません。そこは数週間前のモンロー研究所だったのです。それはあとでわかったことなのですが・・・・

その時リアリティーを確かめるために、ほかのブースの黒いカーテンを次々とめくっていくと、私と一緒に受けている参加者ではない人たちが各ブースに寝ていたのです。後で確認すると確かにその人たちは数週間前にワークショップに参加していて、研究所の廊下では職人さんたちがカーペットを張り替えていたのです。

あわてた私は自分のベッドに戻ると、自分が横たわっているのですが、
なんとその自分はまるでパイ皮のように何層も重なっていて、どの自分に戻ったらよいのかわからない・・・
少しでも違う自分に入ると、時間がズレるかもしれないと、一瞬かなりパニックになりました。
そうそう、こんなときは「般若心経」をとなえる。
一瞬にして自分の体に入った私は、セッションが終わったあと、参加者にメンバーを確認しました。
よかった現実がズレていなかった。

もしかしたらこのように現実はズレル可能性があり、気づかないこともあるんじゃないでしょうか。

ともかく、すべてひとつでありながら、空の連星のごとくペアであったり、それ以上の数があるということは、この二元性の三次元における本当のところなのかもしれない。
すると自分も少なくてもどこかの次元にもうひとりいる・・・
それはハイアーセルフではなく、実際にこの私と同じくらいリアルな存在かもしれません。

  

Posted by 愛知 ソニア at 11:34Comments(3)TrackBack(0)ダイアリー

2006年09月16日

祝おう! 新たに道開く出発点

いまこそ今まで学んだすべてを生かして、人間意識をとりはずすときが来た!

女性は女性、男性は男性

女性は大地です
祝福の時が来た

神様は人間界で人をつかっています
あなたにゆだねています。
あなたもゆだねて安心して道をたのみます

神光、心光の強さ日月以上です
神とは偉大、この宇宙すべてのつくり主です
神を信じてください
神のはたらき信じきって、ゆだねること
霊的に生きること

何事も成就、思うことが思うように実現できます

自信
自らを信じることは自らの神仏真我を信じることです
生かされています
神の愛、恵みばかりの中で、自分のものは何ひとつなしです
すべて神のみこころの中で生かされています
新しきことさせていくのであります

いまこそ学んだすべてを生かして、
人間意識とりはずす時が来た!  

Posted by 愛知 ソニア at 10:48Comments(0)TrackBack(0)ダイアリー

2006年08月28日

みんなつながっている!

きのうの「DISCOVER」のイベントにて音楽はやっぱりすごいと思いました。
SUGIZOさんと岡野弘幹さんのジョイントセッションも素晴らしかった!
岡野さんとはあとでいろいろ話がはずみました。
次回のDISCOVERの第二回目は大阪城公園で「満月祭」です。
私の後輩にあたる桑名HALKOちゃんにぜひ、参加してもらいたいと思って、一ヶ月ほど前に電話したところ、
「ごめん、その日、ほかんとこで満月祭入ってんねん」という返事だったけど、
きのうは岡野さんから「HALKOちゃんも出れるようになったよ」とのこと。
きっとすごいことになりそう!

音楽は一瞬にしてみんなのハートをつないでくれる最高のPEACEMAKERであることはいうまでもありません。
昨日は講演の最後にエハンもジョン・レノンの 
”All we are saying is give peace a chance"
をみなさんも一緒に歌ってもらうようにお願いするハプニングもあり、
本当に素晴らしい「Discover」のオープニングイベントとなりました。

「満月祭」もすごいことになる予感がします。  

Posted by 愛知 ソニア at 19:48Comments(0)TrackBack(0)ダイアリー