プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニア
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。
エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、座禅、ヨガ、正食に励む。

後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。

以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。

「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。カナダBC州ネルソン在を経て、2013年1月から日本に在住。



2分でわかる愛知ソニアのMAO
「ミラクルアカシックオラクル」




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イナンナから人類へメッセージ

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2007年05月25日

聖書の旅日記 2 悲しみの道の終点



エルサレム旧市街は十字架で区切ったように四つの民族の地域に分かれている。
ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、アラブ人地区、アルメニア人地区である。
ダマスカス門からこの動画のような活気に満ちたアラブ人地区を抜けると、
すぐに聖墳墓教会にたどり着いた。



エルサレムにはキリストの墓と考えられるところが二箇所あるが、
この教会こそイエスが十字架にかけられたゴルゴダの丘の上に建っているらしい。
左の小さな部屋こそがキリストの墓であり、女たちがキリストの墓を訪れたとき、
天使たちが座っていた岩の一部が納められているという。
しかしここは「悲しみの道の終点」でもある。



ずっとまた歩き続けていくと、思ってもいなかった場所に導かれていった。
あの「嘆きの壁」に出てきた。そこはユダヤ民族の信仰の地であり、
また全世界のユダヤ人の巡礼地である。
キリストがこの世を去った後、
約二千年間さすらいの民となったユダヤ人の唯一のふるさとともいうべき「壁」である。



壁の石、ひとつひとつが、この世界中の人々が分けられていった
過去の歴史が悲しみの記録を語っているような気がする。

ここでも壁は男性サイドが向かって左、女性サイドが右と分けられている。
そばまで近づいていくと、激しい嘆き声が聞こえてきた。
その壁に向かって左の女性は激しく泣き叫んでいた。
どうしても少し観察したくなったのでチラと様子を伺い、耳を傾けた。
その女性はおそらくガーナか、どこかのアフリカ系の国からやって来た
黒人女性には違いなかったが、ともかく壁に向かってドンドンと叩きながら、
何か激しく神に訴えている。
左を見てもよく似た姿の人がいて、やはり嘆いている。

決して神さまありがとうの涙と嘆きではなかったのは確かなようだ。
正直に自分を表現するためにわざわざ旅してきたのかもしれないが、
女の嘆きが伝わってきた。ずっとそこにはとどまりたくないという気持ちに早々なり、
そこを去った。

後でエハンにどうだった?
男性サイドはと聞くとそんな人誰もいなかったなあ・・・という答えだった。






  


Posted by 愛知 ソニア at 11:46Comments(365)ダイアリー

2007年05月22日

聖書の旅日記 1



 朝、4時半ごろ、礼拝告知(アザーン)がフルボリュームで流れるミナレットの塔が、
ホテルの部屋のまん前にそびえている。
それが流れると、夢心地の中、突然、祈りモードに入っている自分がいる。
祈りは祈り・・・どんな宗教の祈りであっても崇高だからこそ、
半分眠っている自分の意識に自然とスイッチ・オンされるのだろう。
だからやかましいとか、うるさいと感じることは不思議なほどまったくなかった。



 エルサレムでの最初の朝、十分ほどホテルから歩いていくと、
ある大きな門の前まで私たちはやって来た。
これがどうやら、ダマスカス門らしい。
エルサレムの旧市街は約四キロにわたる砦壁で囲まれている。
ほかにもヘロデ門、獅子門、黄金門(別名:糞門)、シオン門がある。

 イエスは一体、どの門からエルサレムに入ったのだろうか? 
聖書によるとイエスは、
そこでも人々の期待を裏切るような意外な行動に出たとある。

 取り巻きを大勢従えて勝ち誇ってエルサレムに入城すると誰もが思い込んでいたとき、
イエスは明らかに、虚飾や見かけのきらびやかさを拒絶する行動にでました。
イエスは弟子数人にロバを用意させ、あえてそんなぶざまな動物に乗ってエルサレムに入城したのです。
崇拝されている人物としては、考えられない方法です。
      
  


Posted by 愛知 ソニア at 00:08Comments(311)ダイアリー

2007年05月20日

闇と光の奥に潜む平安京 「エル・シャローム」



  二日前、パリ経由でイスラエルから戻ってきた。五月を振り返ってみると、まずは英国ホワイトイーグルロッジ本部から来日されていたアストラ・フェローさんの通訳をさせていただき、そして三日後、イスラエルに旅したので、ひとことで五月は凝縮されたキリスト三昧だった。ホワイトイーグルの教えについては、後日じっくりと振り返ってみたいが、アストラさんを通じてキリスト意識と深くつながるすばらしい経験を得ることができた。

 さて、イスラエルはわずか一週間の滞在だったが、今までいろんな国々を旅した私たちにとってこれまでにない深い体験となった。今のところは深くて、すごかったとしか表現しようがない。エルサレムを出たのは朝の4時半。エルサレムからほんの一時間ほどの距離にあるガザの紛争はこの数日間でかなりエスカレートしていき、今ではミサイルがボンボン飛び交っている状態にある。この緊迫状態の中、私たちは空港にたどり着くまで幾つもの検問を通過した。空港の取り締まりも厳重なので、今回お世話になったガイド、バラさんの奥さんから彼女の運転する車の中で、空港で受ける質問に対してどのように答えるべきか、すべて予行演習してから出国するという緊張感を朝早くから味わった。

  こんなときにエルサレムに行くなんて、エハンと結婚していなかったならまずないだろう。この一週間どこにいたかなんて、心配性の母親にはいえない。無事出国したあと、パリに向かう飛行機の中でこのたった一週間ではあるが、とても貴重な体験をしたひとつひとつを振り返ってみた。ひとつ間違えれば、とんでもない経験になったことは確かだが、この年になってもまだこんな旅のスリルを楽しむ自分がいたことに気づくと、精神的にもまだまだ自分は若いんだという妙な満足感がある。

 思い出せば、1970年頃から5年間ほど私は一人でイギリス―イタリア間を何度もヒッチハイクし、野宿しながら往復したものだ。その頃のスリル感が不思議なほど体を通して蘇ってきたのが今回の旅だった。そして、32年経った今、はっきりいえることは、冒険野郎エハンと結婚したことに悔いはまったくないということと、自分も彼同様スリルな人生が好きだということ。

 さて、今回の旅のひとつの目的は結婚リニューアルだった。私たちは今まで世界のあちこちで、五回も結婚式をやっている。結婚生活は一生という長い月日の間、お互いの考え方や人生観などいろいろ変化していく。だからこそ、お互いの「むすび」は現在進行形でなければならない。あいまいではなく、しっかりとさせておきたい。そんな願いから私たちは何年かに一度セレモニーをやろうと決めている。平和と愛に満ちた関係性をずっと維持していくために・・・シャローム!  


Posted by 愛知 ソニア at 11:57Comments(2289)ダイアリー