プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニア
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。
エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、座禅、ヨガ、正食に励む。

後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。

以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。

「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。カナダBC州ネルソン在を経て、2013年1月から日本に在住。



2分でわかる愛知ソニアのMAO
「ミラクルアカシックオラクル」




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イナンナから人類へメッセージ

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2006年04月15日

女神はトータル

女神はトータル

私にとって女神とは一言でいうと、女性性のかぎりない側面を表現するものであり、そういったすべての側面を受け入れてくれるエネルギーです。
宇宙における「女性的な表現のエッセンス」であるといえます。

女性的な表現は女だけに限られているのではなく、もちろん男性にも反映されます。女神とは存在するすべての次元の母であり、その母なる本質とは、私たちが心で創造するすべてを認めてくれることなのです。だから人間はみんな女神の子供たちということになります。すべての次元の母ですから、宇宙の創造の母であり、この大自然が女神の存在を私たちに地の恵みとして明かしています。

彼女の大地の土をこの手で感じるとき
愛している子供たちをこの胸に抱きしめるとき
おいしい空気をいっぱい吸うとき
春の太陽のぬくもりを感じるとき
この体を走る情熱を感じるとき
鏡に映った自分をじっと見つめるとき
こんな身近な生活の中で、実は直接、女神を私たちは体験するのです。

自分を通してだけとはかぎりません。ほかの人を通しても感じられます。そしてまた、喜びだけにかぎらなく、苦しみ、悲しみ、怒りといった感情を通して彼女は現われるのです。

愛を失い絶望した気持ちの中にも彼女はいます。差別なしに、あらゆるフィーリングを通して女神の存在を自分の中で体験することができます。

なぜなら、「創造の女神」は、人間のトータル的で、ホリスティックな全体像として現われているからです。私たちの予測を超える可能性といったものも含めて、私たちのあらゆる創造がそこに含まれています。一時的で、また周期的な私たちの側面だけではなく、包括的なものです。

前にも述べたように、古い時代から地と共にあったこのような人間が自然とすべてを受け入れる包容力のある女神文化は、その真髄となった女神崇拝から根こそぎ滅ぼされてしまいました。男中心の神の宗教を確立させるために陰謀が企てられ、恐ろしい拷問や集団虐殺の手段まで使われました。

今の心理学をみても、人間の側面として内在している女神に対する意識や敬う気持ちなどの傾向は、あまり認められていません。こういった側面はとかく、拒否されがちで、押さえ込まれたり、認められたりしないのが現状です。そしてトータルに認められない女神の側面は、どうしても歪んだ形で社会の表面に現れるのです。

たとえば私たちが学校で教わる神話は、全能の神が中心です。怒りや復讐の念で燃える「男の神さま」の話がほとんどです。その神さまは自分が創造した人間すら、罰し、敵対心を抱くこともあります。その神さまは、いけにえなどの儀式の仲介人を必要とします。その仲介人がいなければ、普通の人たちは近づけない神として崇められるのです。仲介人もその神とまったく同じで、私たちが神への分離や仲たがいを起こさせる原因のひとつとなります。

私たちが集合的に経験している精神的な心を見失っている社会や、人間が自らの魂との関連性を薄れさせ、女性の価値をも、見下してしまう傾向を生んでいます。さらには、命あるものすべての価値が見下されてしまいます。全体的な女神の表現を抑圧することから、これらは生じているのではないでしょうか。

天に住む全能の男の神さまを重視する人々は、少なくなってきたといえども、まだまだ私たち、人間よりも大きな力を持つ神々を応援する傾向が勝っています。そしてこのような傾向が社会にどんな影響を与えているか、はまったく議論されない現状があります。

どんなに環境や地球そのものが被害を受けても、どんなに人類すべてや、個々の人間が被害を受けても、それでも手に入れたい、実行したいという、まったく全体性を失った欲望として現実化されます。

神聖な女神へのアウェアーネスが男性的な考え、つまり、あまりにも左脳的な考えによって抑圧されると、彼女の抑圧された影は、無差別に私たちそのものの存在を脅かすようになります。私たち、個々の内なる神聖な女神の存在が尊重されないかぎり、生まれながら私たちがもっている人間独特の感覚が混乱し、失われてしまいます。

そうなると、私たちの命そのものに意味がなくなり、深い喜びを感じることも薄れていきます。喜びは人間に平等に与えられている権利であることを忘れないようにしましょう。


Posted by 愛知 ソニア at 10:24│Comments(249)
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