プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニア
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。
エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、座禅、ヨガ、正食に励む。

後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。

以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。

「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。カナダBC州ネルソン在を経て、2013年1月から日本に在住。



2分でわかる愛知ソニアのMAO
「ミラクルアカシックオラクル」




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イナンナから人類へメッセージ

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2015年09月30日

10月のエネルギー



ことばで表現する領域をこえるほど、
いろいろたくさん今起きています。

ということで、長くなるかもしれませんが、
理解していただけるように意識を集中します。

たしかに外的世界に起きていることも含めて、
どちらかというと、
内的世界のほうが、むしろ再調整されています。

先日9月28日の皆既月食をピークに、
多くの種類のポータルが開いたために、
新しい感情や思考、状況が現実に引き寄せられては、
古いものが押し出されるという、
パワフルでありながら、
とても気ぜわしいタイムゾーンを通過中です。
頭の中が思考でいっぱい状態になりやすいです。

決断を迫られていることもきっとあるでしょう。
前に決めたプランで進行しようか、
いや、新しいプランで、と前後を繰り返し、
なかなか決められないかもしれません。
そのような困難な決断も含む、
挑戦的な状況が続いているかもしれません。

皆既月食はあの一日だけのイベントとしてではなく、
少しの間、‘皆既月食シーズン’として余韻を残します。

多くのことが不明瞭であり、また変化し、再形成されます。
そのため不明瞭さと不安が募り、つい他人を批判したり、
ネガティブ分析する人も周りにいるかもしれませんので、
影響を受けないようにしてください。
フラストレーション気味になる前に一歩離れて、
‘楽観的’な気持ちにセンタリングすることが大切です。

というようなことで、巷で噂されていた
‘スーパームーンとアセンション’とはほど遠く、
取り残されたと感じておられるかもしれません。

しかし、あれは、
これからの6カ月間を凝縮させた日でもあったのです。
敏感な方は、美しい月光の元で、
素晴らしく解放された気分と心の奥から沸き起こる
不明瞭な影が交互に入り混じるのを感じたかもしれません。

実は、あのスーパームーンという空のサインから
本格的なアセンションがスタートします。

アセンションとは、誰もが理想とするような、
一瞬にしてエレベーターで、
一階から最上階に上がるような現象ではありません。
挑戦的で正直しんどい経験も伴うでしょうが、
前後を繰り返しながら、
確実な一歩、一歩を実感しつつシフトが起きるという、
いたって現実的な現象です。

あの空のサインによって次なる6ヶ月間が幕開けしました。
それはあなたに多くの癒しと解決、安定をもたらします。
そのための苦労は当然伴いますが、
二元性を超越した融合と、
自分で選択し、自分で考えて解決できるといった
独立心が高まり、さらなる自己確立へと導かれます。

「自分のやり方でやる」という、
いい意味での自己主張がこれから増してきます。
自分のパワーを証明したい気持ちも募ってきます。

「自分がほんとうに必要とすることはなにか?」
「私の立場は?」
というような疑問が湧いてきたりもします。

平等で、もっと愛が感じられる
真のパートナーシップへの要求も募ってきます。

光と影、自分の立場と他の立場、安心感と将来への不安、
ポラリティ(両極)に引っ張られる感覚があります。 
次なる6ヶ月間は、あらゆる2極性が融合へと向かいます。
パラドックスに橋を架けるワークを意識してください。

感情的にならずにすんなりと手放すという、
デタッチメントの訓練でもあります。
しかし、諦めたり、切り離すのではなく、
参加し続ける忍耐力も試されます。

決断や選択には、極端な方法ではなく、
シンプルかつ容易い方法を見出し、
できるだけ穏やかなやり方を。

「ねばならない」という、
自分への厳しさは反応や抵抗を引き寄せます。
もっとも大切なのは、自分を許すことと柔軟性です。
さもなければ、結果として健康を害します。

バランスと調和をもって、
融合へと向かうようにすることが、
すなわち、自ら学んで進化する、
これがこれからの最大のテーマでありゴールです。

10月7日から10月中旬にかけて、
新たなるエネルギーの上昇によって、
次なる展開への鍵となる人物に出会う
チャンスが訪れるので社交的になってください。  


Posted by 愛知 ソニア at 10:41パーソナル・メッセージ

2015年09月28日

スピリットガイドを感じるとき

自分ひとりで人生をナビゲートしていると考えているのなら、
苦しくなります。

口に出さなくても、
友だちや家族はあなたをいつもサポートしてくれています。

もちろん、誰にでも少なくともひとりのガイドと天使がついてくれていて、
苦しいときには手を差し伸べてくれます。

あなたが過去世を通して学んだ叡智に気づかせてくれます。

彼らはあなたの魂の旅がスムーズに運ぶようにしてくれます。

オープンになってガイドからのメッセージを受け取ってください。
こころを静めると、
あなたが必要とするサインやシンクロニシティに気づくことができます。
今知るべきことをスピリットガイドはタイミングよく教えてくれます。

スピリットガイドの存在を身近に感じられるときは、
理由もないのに喜びの感情であなたは包まれます。
エネルギーが満ちてくるのを感じられます。

「なぜ?」と理由を探らないでください。
すると、その感情は一日に何度も押し寄せてくるようになります。
スピリットガイドをあなたは感じているのです。

あなたが感情の波に流されているとき、
思いもよらず、そこから抜け出ている自分に気づきます。
スピリットガイドがあなたを導いてくれたからです。

人生の大切なレッスンを学ぶために、
スピリットガイドは必要な人にあなたを巡り会わせてくれます。
スピリットガイドに感謝することを忘れないようにしましょう。

  


Posted by 愛知 ソニア at 11:16パーソナル・メッセージ

2015年09月27日

明日のスーパームーン

 9月28日の皆既月食は、イスラエルの仮庵祭と重なる歴史上初のスーパームーンです。

 「仮庵の祭り」は、紀元前13世紀にヘブライ人がエジプトから脱出し、砂漠を40年間彷徨ったときに、砂漠の暑さを逃れて仮設の小屋を建てて住んだところからこの祭りが始まりました。砂漠で過ごした40年間を記憶するために、庭先やベランダに仮庵を建ててその中で食事をしたり、人によってはそこで寝て祝いを味わいました。荒野から解放された事を記念する祭りでもあります。

 皆既月食とは、太陽と月の間にちょうど地球が入り込み地球の影が月にかかることによって月が欠けてみえる現象です。この皆既月食が4回連続で続く現象をNASAはテトラッド(Tetrad)と呼んでおり、これは過去500年間に3回、過去2000年の間でも8回しか起きていない、西暦が始まって以来の極めて稀な現象です。今世紀中はもう起こらない最後のテトラッドです。

 2014~2015年の間に、日食2回と月食4回。計6回もユダヤの祭の日に起きるというのは、なんとも奇妙な話です。2014年からスタートした一連のテトラッドは、過越祭/仮庵祭/過越祭、そして最後が仮庵祭です。全てイスラエル/聖書の重要な祭り一致しました。

【1回目】 2014年4月15日 ユダヤの「過越の祭」初日にあたる重要な日、皆既月食が起こる

【2回目】 2014年10月8日 ユダヤの「仮庵の祭」の前夜祭の日、皆既月食が起こる

【3回目】 2015年3月20日 「ユダヤの宗教暦の新年」の前日、皆既日食が起こる

【4回目】 2015年4月4日 「過越の祭」初日、皆既月食が起こる

【5回目】 2015年9月13日 「ユダヤの政治暦の新年」の前日、日食が起こる

【6回目】 2015年9月28日 ユダヤの「仮庵の祭」の初日、皆既月食が起こる

 現在NASAが発表しているテトラッドが起こる日付はこの春に既に起こったものを含めて、2014年 4月15日、2014年 10月8日、2015年 4月4日、そして明日の2015年 9月28日です。

過去の例を見ると、「イエスキリストの磔刑」、「イスラエル共和国の建国」、「聖地エルサレム占領」と、ユダヤの大事件が起こった年には、ユダヤ教の祭礼の日に日食と月食が連続して6回以上起こっているのです。

 この過去500年の間に起こった3回のテトラッドの期間の歴史を見ると、偶然にもユダヤ史の重要な出来事が起こった年と符合します。

1493年: スペイン・カトリック教徒によってユダヤ人追放が行われた
1949年: ユダヤ人国家のイスラエルが建国
1968年: アラブ=イスラエル間の6日間戦争で奇跡的な勝利をイスラエルがおさめ、エルサレムを管理下に置いた

  


Posted by 愛知 ソニア at 12:21天文

2015年09月26日

パラレル次元に滑り込んだ実話



 私たちは異次元や別の宇宙が存在するという話には慣れていますが、実話をいくつか紹介します。

 別次元とこの次元とは、わずかな周波数のちがいであると考えられています。別の次元からこの次元をいとも簡単に出入りできる、ということを信じられるでしょうか? 意外と私たちの多くが、けっこう日常的にそれを経験しているのです。もとに戻れば、なんてことはないと受け入れられるのですが、そうでない場合は深刻な問題ともなるのです。それにしても、体外離脱から私が知り得たリアリティは、なん層ものパイ皮のようになっていたということです。肉体に戻ろうとしたときにそれが見えました。一瞬、どの自分い戻ればよいのか、躊躇したくらいです。私たちは、知らず知らずのうちに、ちょっとズレたどれかに紛れ込んでいるということもあり得ると思います。そのズレによって現実が少しずつ異なるのかもしれませんね。

次元間の壁は、これからますます薄くなっていきますので、パラレル宇宙に知らない間にシフトしてしまうことも増えてくると思われます。次の話を読んでいただき、参考にしていただきたいと思います。

私も数回経験していますが、それらのうちで一度は強烈な経験でした。

1995年にエジプトでワークショップをしたときのことです。ルクソールに辿り着いた私たちは、ホテルでチェックインしてから各部屋に入りました。少し休憩してから夕食まで時間があったので、私は美しいホテルの庭を散歩することにしました。こんなにステキな庭なのに私と一緒に旅をしている28名の参加者の誰にもなぜ会わないのか、1時間ほどしてから不思議に思いました。そこで私はホテルのフロントに行き、皆さんがお部屋にいるのかどうかたしかめてもらいました。するとフロントの係り人が、「今日は日本人の方は誰もチェックインしていませんよ」というのです。「そんなはずはないです。2時間ほど前に皆でチェックインを済ませて、皆さんを各部屋に案内してくれたじゃないですか?」

 口論しても仕方がないので、私はまた先ほどの庭に出て、一人でもいいので誰かに会いたいと、あちこちを覗きました。汗をかきながら気持ちはだんだん焦りぎみになったのですが、ベンチに座って少し待とうと思いました。シャカシャカと目の前が瞬きしたようになったそのときです。向こうの方から知っている人がようやく現れました。「ソニア、どこに行ってたの? みんな探していたのよ」というのです。それこそ私がいいたかったせりふでした。

 ルクソールという磁場のせいでそのような不思議な現象が起きたのでしょうか? しかし次なる実話は、特別な場所を訪れたというのではなく、ごく普通にパラレルが起きたある女性の話です。朝起きると人生も過去もすっかり変わっていたというのです。彼女の記憶は、彼女をいちばんよく知っている周りの人たちのリアリティとちがっていました。レリーナ・ガルシアさんは、教養もあって、良い職に就いている女性です。しかしながら、彼女はある朝目を覚ますと、彼女が後に知るに至った異なる宇宙のもう一つの自分の人生を発見します。

 ガルシアさんは自分に起きていることに対する理解を求めて、2008年にインターネット上で自分の経験を2008年7月16日に公開し、助けを求めました。以下は彼女が書いた記事です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 こんにちは。私はレリーナという名前の41才のスペイン人女性です。私はパラレル宇宙に飛び込んでしまったと思います。自分の話をするのはとても難しいです。なぜなら、みんな私が精神異常者だと思い、誰も信じてくれないからです。もし誰か私と同じような経験をもつ方がいるのなら、ぜひメールしてください。

 私はある朝、目が覚めるとすべてがちがっていたのです。タイムトラベルのようなこととは全くちがいます。眠りに就いた人同じ年で、同じ日付だったのですが、多くのことがちがいました。さまざまな事柄のささいな違いにすぎないのですが、それでも私にははっきりとちがうとわかるのです。私がこれを書いている現実がもし夢の中の出来事なら、皆さん全員が私の夢の中の人たちです。どうかお返事をくださる方も、私と同じリアリティにいる夢の中の人かどうか教えてください。

 4カ月前にいつもと同じように7年間借りているマンションで私は朝目覚めました。すべて同じだったのです。しかし、ベッドのシーツがちがっていることに気づいたのですが、そのときは気に留めませんでした。それから仕事に行きました。20年間働いている同じオフィスに着くと、オフィスのドアの名前がちがっていました。自分のオフィスではないのです。フロアを間違えたのかと思ってたしかめてみましたが、たしかに自分のオフィスでした。自分のデスクに就いてから周りを見ると、自分が所属する部署ではなく、部長もちがう人でした。それを報告してから気分が悪くなって家に戻りました。私のIDやクレジットカードなどをチェックしましたが、変わっていませんでした。それにしても部署を移動したなど、まったく記憶にないのです。私は病院で薬物とアルコールなどの検査を受けましたが、すべてクリアしました。翌日またオフィスに行ったのですが、元通りではなかったので、気分が悪くなって帰宅しました。

 家に戻ってから置いてあった新聞をすべてチェックしましたが、それが起きた前日となんの変わりもなくすべてが同じでした。しかし、自分が記憶喪失になっていたかのようなある重要なことに気づきました。それは6ヶ月前にそれまで7年間付き合っていた彼氏と別れてから、近所に住むある男性と4カ月間付き合っていて、その男性の名前や仕事場、彼の子供の話など彼に関するあらゆることを知っているのに、その男性の存在が完全に末梢されていたのです。私は探偵を雇って彼のアパートを調べてもらいましたが、そんなアパートも存在していなければ彼もまったく存在する人物でないことがわかりました。

 私は精神科に行って自分の状態を調べてもらった結果、強度のストレスと幻覚ということでしたが、私は自分が正気だと知っています。私は前のボーフレンドに助けを求めて、アウグスティンという名前の今のボーフレンドのことを調べてもらったのですが、またしてもそのような人物は見つからず、その男性の子供の存在もなく、彼のアパートもないということでした。私は正気です。狂ってはいません。
2カ月ほど前に私の妹が肩の手術を受けているのですが、家族に聞いてみるとそんな手術はぜったいになかったというのです。このような小さなことですが、たくさんあることに私は気づきました。

 世間一般のニュースについては、私は重要な出来事をよくは覚えていないにしても、同じで変化はないようです。それにしても私の周りで起きた過去5カ月間の諸々の小さな出来事はちがいます。どんどんたくさん私は気づくようになりました。たとえば、私の衣類タンスには、私が買った覚えのない服が何枚も入っていたり、私と元彼氏が投稿したという見覚えのないブログ記事などです。いったいどうなっているのでしょうか? どうかよく似た経験をされた方はメールをください。

次は日本で起きたパラレル次元に関係する記事です。

 1954年、英字新聞『週刊ジャパン・タイムズ』の犯罪欄に短い記事が掲載されました。それは「偽のパスポートを持った男が日本に入国しようとしたので、入国管理官がその男を抑留した」という内容でした。何人かの作家がその記事に注目し、独自に調査を行いました。その結果、当時出版された何冊かの「不可解なできごと」を集めた本に、この話が収録されました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 1954年7月の蒸し暑い日。日本で不可解なできごとが起こりました。存在しない国のパスポートを持った白人男性が飛行機から降り、羽田空港に現れたのです。

 入国管理官が入国を拒否した時、謎の旅行者は怒りをあらわにしました。管理官は記録を注意深く調べたのですが、その男性が持っていたパスポートを発行した「トレド」という名の国は見つかりませんでした。

 普通、偽造パスポートを使って入国しようとする人は、存在する国のパスポートをできる限り本物に似せて再現しようとするはずです。存在しない国のパスポートを使ったら捕まることは目に見えているので、この上なく愚かだといえるでしょう。

 その男は自分がよく知られた欧州の国からやってきたビジネスマンだと主張しました。トレドという国は、約千年前に建国された、長く豊かな歴史を持つ国だというのです。彼はフランス語訛りの流暢な日本語を話しました。トレドの公用語はフランス語とのことでした。彼は日本語のほかにも数ヶ国語に通じていました。身なりはきちんとしており、洗練され、成功を収めた国際的なビジネスマンのような印象を与えました。

 彼は国際的な企業に勤めており、その会社は日本と約10年に渡り事業関係を樹立しているとのこと。その年だけでも三度目の訪日だというのです。実際、彼の パスポートには、日本の入管のスタンプが押してありました。つまり、前回来日した時、そのスタンプが押されたということです。彼は自分が働く会社の名前を 入国管理官に伝えたのですが、調べてみたらそのような会社は存在しませんでした。

 彼はフランスの通貨を中心に、数カ国のヨーロッパの通貨を携帯していました。財布は大きめで、手製の良質なものでした。彼はまた国際免許証を携帯していま した。それはどう見ても偽物には見えなかったのですが、にもかかわらずその免許証は無効でした。なぜなら未知の機関によって発行されていたからです。小切手も携帯していましたが、それを発行した国際銀行は世界のどこにも存在しませんでした。

 そんななか、入国管理官が名案を思いつきました。世界地図を持ってきて、トレドがどこに位置しているかを地図上で指差すよう、男に頼んだのです。地図を見 回した男は、トレドが地図に載っていないことに動揺したように見えました。しかし、最終的に彼はイベリア半島のアンドラ公国を指さしました。アンドラはスペインとフランスに挟まれたミニ国家で、公用語はカタルーニャ語ですが、その他にスペイン語、フランス語、ポルトガル語などが使われています。アンドラは 988年に建国されたので、約千年の歴史があります。男はアンドラという国を聞いたことがないと主張しました。

 謎の旅行者は憤慨し、政府の高官と話をさせろと要求しました。彼は自分がとんでもない悪ふざけを仕掛けられたのだと確信していました。彼は予約を入れてある東京のホテルに行く許可を与えろと要求しました。実際、彼は予約証明書を持っていました。ところが、調べてみたら、そのホテルは日本に存在しませんでした。

 政府関係者は、空港の狭い警備室で8時間も拘束されている彼に同情し、彼をホテルに泊まらせることにしました。部屋の外にガードマンを配するというのが条 件でした。男はその処置に不満を訴えましたが、彼に与えられたもう一つの選択肢は留置所で一晩を過ごすことだったので、その申し出を受けるしかありませんでした。

 男は二人の入国管理官に付き添われてホテルに向かい、そこのレストランで食事をとることを許可されました。その後、彼は部屋に向かい、そこで一晩を過ごすよう命令されました。ガードマンが部屋の外に立ち、夜通し見張ることになりました。

 翌朝、入国管理官が部屋にやってきてドアをノックしたら、返事がありません。そこで管理官はホテルの合鍵をもらい、部屋に入りました。そこはもぬけの殻 (から)でした。彼の荷物も見当たりませんでした。唯一の出口である扉はガードマンが夜通し見張っていたし、部屋はにぎやかな通りの数階上に位置しており、窓の外に足をかけられるような出っ張りはなかったので、男がその部屋から出ていくことは不可能でした。そして窓が開けられた形跡もありませんでした。

 政府関係者は大がかりな捜査をおこないましたが、謎の旅行者は一向に見つからず、遂に捜査は打ち切られました。彼は二度と見つかりませんでした。

 果して謎の旅行者は何者だったのでしょう? そして彼の身に何が起こったのでしょう?

 アメリカ・ワシントン市に在住の弁護士で、子供のころプロジェクト・ペガサス(米政府の極秘タイムトラベル実験)に参加したというアンドリュー・バシャー ゴさんは、謎の旅行者が、何らかの形で、旅行中に別の時間軸(並行宇宙)に踏み込んでしまったのではないかと推測しています。そして、ホテルの部屋にいるときに、元の時間軸に戻ったか、もしくは別の時間軸に入ったのではないかと、バシャーゴさんは推測しています。

*[FBへの転載はご遠慮ください]  


Posted by 愛知 ソニア at 16:03不思議な話

2015年09月20日

ベネシアさんをインタヴューする

2日前にエハンさんが京都大原に住むベネシアさんをインタヴューしました。

題して 'PEACE ONE DAY'

初回インタビューは、まず'PEACE ONE DAY' ムーブメントについてです。

Youtube をぜひご覧ください!

☆ FBその他への転載はご遠慮ください。


  


Posted by 愛知 ソニア at 09:39この人と出会って

2015年09月18日

神秘体験の裏話

先日私のクンダリーニ体験について短い文章で綴りましたが、
あのあと、ある方からこんなコメントをいただきました。

『ソニアさんは、クンダリーニが最終的に昇華しましたか? 
またその前にプラーナが上がる体腱はなさいましたか?
私は知識がないままにプラーナがあがり、その後クンダリーニ昇華し、数年後に光の柱になる体感の後、梵我一如にはなったのですが、余りにも知識がなさ過ぎて、自分の状態があまり良く解っていません。
ヨーガをちゃんとされていた、ソニアさんの体験、体感を、差し支えなければもう少し詳しくブログで教えていただけると嬉しいです。』

この方には、私が書いたあの時の体験は、たった一度の完全昇華で、30年も前のことなので、大まかな記憶しか伝えられなかった、というようなことをお伝えしました。
あの経験以来、何度かクンダリーニをまた経験したいとトライしたものの、あれほどはっきりとした体験はできませんでした。

しかし、その試みは何年か後のことでした。
なぜ引き続き訓練しなかったのか、わけがあります。
ある恐怖心から立ち直る必要があったからです。

あの短い記事を投稿した後、
私が一度電話したあのダンテツさんのウィキペディアに
ちゃんと目を通したところ、
若くしてガス自殺で亡くなられたと書いてあったのに初めて気づいた次第です。
『なるほど』と思いました。
実はヨガを教えてくれていた私の友人も若くして命を絶たれています。

このようなことには触れずにいようかと思っていたのですが、
やはり書いた方がいいのかなと感じました。
むしろこのほうが、お伝えすべきなのです。

私はというと、あのすごい体験後、
数日内に思い出すのも恐ろしい奇妙な出来事に遭遇しています。
私だけではなく家族全員の命も危機一髪のところで助かった事故でした。
どんな事故かは、書くのを控えておきます。

それが起きる前兆として、体外離脱を2度経験しました。
どちらも不動明王のような恐ろしい顔つきの剣を振りかざす者に、
宝箱のようなものを私に開けさすまいとして追いかけまわされました。
般若心経を唱えて、やっとこさ自分の体に戻ることができました。

知識を備えずにただ神秘体験に好奇心を抱くことの恐ろしさを、
いやほど知らしめられました。

なぜ、ふらっと先日クンダリーニの体験談を語ったのでしょうか?
きっとこのことを書くためだったのでしょう。

あの頃、夫は鍼灸学校に通いながら、
夜は井村宏次先生の弟子としてクリニックで働いていました。
井村宏次先生には、私も体外離脱の実験に参加させてもらったりして、
当時お世話になっていました。
先生の紹介であるとき本山博先生に引き合わせてもらいました。

すると私を見るなり本山先生は、
「アストラル体がむき出しになっている。保護しないとだめだよ」
といわれました。
なるほど、どおりで、
体外離脱中に霊的アタックを受けたこともあったわけが納得できました。
それだけではなく、当時は現実でもなにかと辛い経験が重なりました。
先生に教えてもらったイメージトレーニングで、
私のアストラル体は、時間はかかりましたが、徐々に回復しました。

神秘体験は常に私を魅了させるものの、
どこから何が出てくるかわからないジャングルに飛び込む覚悟が必要ですし、
それでも冒険したければ、
知識が豊富なシャーマンなどの導きが必要なことはたしかです。

  


Posted by 愛知 ソニア at 16:00ソニア物語

2015年09月18日

タイムコンプレッション・カオス・クォンタムリープ

メンタルオアシスNo.3ができました。

タイトル:タイムコンプレッション・カオス・クォンタムリープ

エハン・デラヴィ & 愛知 ソニア

1. 今回のテーマについて…
2. カオス理論 予測不能
3. 異常気象
4. 地球温暖化を疑う人々が増えてきた
5, 氷河期のはじまり?
6. 巨大な太陽フレアの発生 危機一髪の地球
7. 太陽の周りにいるUFOに地球は守られている?
8. 天気と集合意識との関係
9. 避難の準備?
10. 地球からのエネルギーと宇宙線との関係
11. 二極性 進化とシステム崩壊のタイミング
12. 銀河宇宙線と雲の関係
13. ビジネス戦略の温暖化
14. カオスの中のプロパガンダに影響されない
15. 情報が増えると崩壊が進む
16. 予測不能なゆえスケジュールの無意味さ
17. 未来に焦点をあわせる無意味
18. 情報の遮断
19. 量子コンピューターとは…
20. 禅の世界に科学が追いつく?
21. カオスを読み解く量子コンピューター
22. 情報を乗り越える!
23. 古代宇宙人は
既に使っていた量子コンピューター
24. ME 神様の道具
25. 半神半人
26. お金でコントロール可能な未来?
27. アトランティスの崩壊原因?
28. 時間圧縮とは…
29. 情報との深いかかわりを断ち切れないが…
30. 地球のエネルギーを取り入れる
31. 概日リズム
32. 地球とひとりひとりのかかわり方
33. 日本を守っている組織?
34. カオスの中に予言者は?

エハン・デラヴィ
タイムコンプレッションとカオス状態から
メンタルと身体を対応させ進化させる方法
Part. 1
Part. 2
Part. 3

愛知ソニア チャネリング



販売サイトリンク先
http://castlerock.free.makeshop.jp/shopdetail/000000000078/

  


Posted by 愛知 ソニア at 09:39お知らせ

2015年09月17日

穴のあいた桶

読書の秋ですね。

きのう庭図づくりで有名な、友人のベネシアさんから
一冊の本がプレゼントとして送られてきました。
日本ではきのう(2015年9月16日)発売となった「穴のあいた桶」という
タイトルのプレム・ラワット氏の初の著作でした。



彼が少年だった頃は、「グル・マハラジ」と呼ばれていて、
私もロンドンに滞在していた若いころに一度お目にかかったことがあります。
でもなぜみんなあんなに若い少年を讃えるのか、
あのときはあまりよくわかりませんでした。

ベネシアさんと知り合った40年近く前に、
プレム・ラワット氏のすばらしさを彼女から教えてもらいました。
それでもあまりピンとこなくて今日まできました。
さりげないティーチャーだからです。
しかし、彼はベネシアさんの人生の支えとなり、
また彼女の存在そのものが、
彼の教えの影響を受けていることはたしかです。

彼女のおかげでもうすぐ日本で再会できそうです。
新たな気づきが与えられるかもです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

http://www.premrawat-japan.com/ より

☆「穴のあいた桶」の紹介

さりげない言葉が、いつしか心に響きだす
プレム・ラワット氏が、40数年間行ってきた講演をもとにつくられた初の著作。
そのシンプルで普遍的なメッセージは、これまで世界中の人たちの心を捉えてきました。人生や、人との関係、働き方について、少し立ち止まって考えたい、素敵な未来を築きたいと考える人におすすめです。

また、大切な人への贈り物にしたい一冊です。
「自分は何かの役に立っているのだろうか」「何にも確信がもてず、自分がぐらぐらしているように感じて将来が不安」「人間関係がなかなかうまくいかない」。こんな思いを抱く人は多いのではないでしょうか。

本書はそんな私たちに、やさしい言葉とオリジナルの寓話(ぐうわ)を通じて語りかけます。
「ないもので自分を測るのは、やめよう」
「確信のないことを信じるのではなく、自分のなかの確かなものを感じよう」
「まずは自分の心を穏やかにしよう。そうしないと、人との争いごとは消えない」
といったメッセージの数々には、自分らしく人生を楽しむための “心の持ちよう”や“考え方”のヒントが詰まっています。

読み返すごとに、自分の心のなかの気づかなかった思いを発見したり、お守りになるような言葉が見つかるはずです。

プレム・ラワット氏について



世界250以上の都市で講演会を実施
1,500 万人以上の人々が聴講
プレム・ラワットは1957 年、インド北部の生まれ。幼い頃から、「すべての人の心の中に、生まれながらにある平和」について語りはじめました。1971年6月、13歳の時に初めてインドを出発。以降、休むことなく世界中で講演を続けています。

40数年間に世界250以上の都市で講演を実施。1,500万人以上の人々が聴講しました。講演の内容は75カ国語に翻訳されています。2011年に故郷インド・ビハール州の屋外特設会場で開かれた講演会には、50 万人が集まりました。

ネルソン・マンデラ氏、
ヒラリー・クリントン氏と並んで受賞
プレム・ラワットは、イギリスのグロスター公爵リチャード王子の公邸ケンジントン宮殿(2012年6月21日)、欧州議会(2010年6月29日、2011年11月28日)、国連(2005年6月24日)、各国議会などにも招かれて講演を行っています。

2015年9月、ミラノ万博の公式行事に講演者として招かれました。
彼はまた、自らの財団を通じて人道的支援活動を行っています。

こうした活動が認められ、2012年には、アジア・パシッフィック・ブランド財団(Asia Pacific Brands Foundation)より特別功労賞を受けました。これは世界中の人々の生活、社会に好影響を与えたとされる個人や主導的政治家に与えられる賞で、他の 3人の受賞者の中にはネルソン・マンデラ氏とヒラリー・クリントン氏の名があります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「穴のあいた桶」より抜粋

砂漠の種

サハラ砂漠。どこまでも続く、乾ききった世界。
ここには、鮮やかな色などありません。
強い風が、大地をますます乾燥させ
厳しい日差しがわずかに残る水分を奪い、地面を焼いていきます。
こんな世界に生物などいないだろうと思うかもしれません。
しかし、地面の下をのぞいてみると、そこには、
数えきれないほどの直物の種がチャンスを待っているのです。

種は地面の下で、ただひたすら雨を待っています。
10年も待ち続けることだってあります。
雨の気配などなく、降る保証もない。
そんな環境の中で待ち続けることは、
簡単ではありません。

もう降らないかもしれないと
絶望してしまうほどの、長い長い時間です。
しかし、種は決して希望を失いません。
雨さえ降れば、いつだって芽を出せる。
そんな準備を整えています。
ある日。
空に雲が集まり始め、湿った空気が上がってきます。
遠くに雷の音も聞こえてきました。
空中の水分が増えるとともに、
甘い香りがあたりを包みます。
そして、ついに最初の一滴がぽたり。
そしてまた、ぽたり。
一度降り始めると、そのテンポは速くなり
たくさんの雨粒が、土の中に吸い込まれ
長い、長い間、乾ききっていた土壌が水分をたくわえます。
眠っていた種が目覚めるのは、そんなときです。
もっている力を、今こそ発揮しようと動き出すのです。
その瞬間。

あたり一面、砂色だった砂漠に
赤、青、オレンジ、紫の鮮やかな花々が顔を出します。
こうして砂漠は、命と美しさに満ちていくのです。

砂の中で雨を待つ種は、その日、その時を待ち続けています。
いつでも準備を万端にして、「まだだと思った」「雨は来週では?」
などと言い訳はしません。静かに、静かに、ただチャンスを待ち続け、
その瞬間を逃すことは決してないのです。

 私たちもまた、雨を待つ種をもっています。その種は、
サハラ砂漠の種と同じように、今か今かと準備を整えているのです。
その種が待つのは、私たちが「満たされたい」という思いを確かにし、
満たされるために動き出すことです。
あなたが動き始めたとき、あなたもまた、色とりどりの花が咲きほこるのを
目にすることができます。

人類をむしばんでいる病気があります。
世界中の至るところで猛威を振るっています。
それは「生きることに対して無関心になる」病気です。
かかるとなかなか治らない大変な病気です。

あなたは自由とは何だと思いますか?
自由など、微塵もないような
戦闘の地や、刑務所でも
自由を欲するなら、それは可能です。
なぜならそれは、すでにあなたのなかにあるからです。
しかし自由を感じたいなら、生きることに対して
無関心になる病気を治さなくてはいけません。
それを治す方法はたったひとつ。
命の大切さを感じることです。


(本のイラスト: 城井 文)

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Posted by 愛知 ソニア at 11:24書籍紹介(和本)

2015年09月16日

クンダリーニ体験

私は26才のときに友人の誘いでヨガを始めることになりました。
いちばん最初の先生は、ジバナンダ・ゴーシュ先生でした。
当時日本ではまだヨガが今日のように盛んではなかったのですが、
物珍しさに私はいち早く習い始めました。

ゴーシュ先生が教えてくれたヨガは、正直いうととてもハードでした。
アーサナ(ポーズ)が難しいというのではなく、
先生の教え方が難しかったのです。
当時はまだヨガマットが開発されていなかった時代だったので、
レッスンには白いシーツを一枚用意していきました。

ヨガレッスンは先生と一対一で行なわれました。
先生がたしか3、40分ぐらいの一連のアーサナを見せてくれて、
次回のレッスンまでに家でそれを練習してから、
先生の前で一連のポーズ全部を披露するという教え方でした。
その間先生は、私をじっと見ているのです。
なかなか覚えきれなかった自分をいつも恥ずかしいと感じていました。

私は28才のときに沖ヨガに出逢いました。
沖ヨガと同時に佐保田ヨガ、
それらに加えてT.K.V.デシカチャーのヨガセラピーを、
インドで学んだ友人からも教わるという、
ヨガ三昧の日々を数年間送っていました。
あのまま続けていたら今頃きっとスゴイことになっていたでしょうね。
ヨギソニア?
少なくとも今の体形ではないでしょうね(笑)。

32才のある夜のことでした。
私はその日、夜7時から始まる
沖ヨガの高木先生宅にレッスンを受けに行く予定をしていました。

私はその数日前からエネルギーが回りすぎて落ち着かない状態が続いていたので、
先生に電話をかけて相談したところ、
レッスンには出席せずに家で瞑想しなさいというアドバイスを受けました。
今思うには、明らかにヨガのやりすぎでした。

夕食を終えて子供たちも寝静まった10時ごろから
私は白いふすまに向かって座禅を組みました。
最初は30分ほど結跏趺坐で呼吸に意識しながら瞑想していました。
すると呼吸ごとに太もものあたりから上に向かって、
体がコンクリートで固めたようにどんどん硬直していくのです。
やがて指一本すら動かせない状態となりました。
呼吸に意識をやると、まったく呼吸をしていない自分がいました。

そのときでした。
急に尾てい骨のあたりから背骨に沿って、
まるでぐにゅっと蛇が上に向かって這い上がったような感覚がしました。
上に向かってはまた下方へと、
蛇が体内を駆け巡っているような感覚がしばらく続きました。

半眼で白いふすまを見つめていると、
普段の明るさよりずっと明るさが増していて、
視角もぐっと広がって後ろの方まで見えていました。
すると自分の周りに波のように分子のような輪が広がっていて、
そのひとつひとつに蛍光色の赤、黄、緑がついていました。
驚いたことには、ふすまにたまゆらのような炎の影が映っていたのです。
これって私!? これって悟りの境地では?


19才の時に経験した臨死体験とよく似た感覚を味わいつつも、
その後思考は完全に消えてしまい、
いわゆる‘三昧’(サマーディ)状態を数時間経験しました。

日の出とともにその状態がようやく終わりました。
まるでスウィッチを抜いたように体がぐにゃっとなりました。

その日から数日間は、時間が逆になったかのように、
先になんでも予知することができました。

あの状態がどんな体験にも比較にならないほど最高だったので、
また経験したいと何度か座禅をしながら試してみました。
でもあれほどの境地を得ることはできませんでした。
そこで、クンダリーニヨガについて書いるある本を購入して読むことにしました。
ダンテス・ダイジという禅の老子が書いた本です。
それを読んでからまたトライするのですが、やはりだめなのです。
期待を込めて座禅するというのはもってのほか。

その本の最後に著者の電話番号が載っていたので、
ダメもとでかけてみることにしました。
すると、ベルが鳴ったとたんに老子ご本人が受話器を取られたのです。
なにも説明しない前に、
「座布が低すぎる! それでは、喉で止まってしまう!」
と二言でガチャンでした。
なんとも凄すぎ! すべてお見通しだったのです。



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Posted by 愛知 ソニア at 13:14ソニア物語

2015年09月15日

確実に地球のポールシフトが起きている



グローバルレベルの気候変動を告げるイヌイット


最近またしても、‘地軸がシフトした’という報告が、カナダ、米国、グリーンランドの北極圏に住む地元のイヌイットの長老たちからNASAに入りました。

世界各地で激しさを増している気候変動は、地球温暖化の影響によるものではなく、地球がシフトしたことが原因だと彼らは述べています。

イヌイットたちは、大昔から気象の変化に関するエキスパートです。今回彼らがNASAに警告したのは、この変動によって地震や噴火が世界的に起きやすくなっている、ということです。

長老たちは、日の出の位置が以前と比べると変わってしまったと述べています。最近では以前よりも明るさが増しているので、狩りする時間も延びているそうです。太陽の高さが以前よりは高くなり、気温も以前と比べると速く温まるといっています。

北極圏の別の地域に住むエルダーたちも口をそろえて、太陽と月、星の位置が変化し、気温も気象もそれに伴って変わってしまったので、もはや以前のように予測することは不可能になったと述べています。地球は北に傾いたといっています。

以上のような報告を受けたNASAの科学者たちは、その報告を深刻に受けとめています。

この記事を知った南半球に住むある男性は、以下のように述べています。

「夏の日没時の夕日は、私の家の壁の柱の位置に沿って差し込んでいたのに、最近その壱に変化が現れています。コンパスで測ると25度も移動しているのです。最近では月のクレーターもはっきり見えるようになっています。」

2011年にも地軸が今回のように少しシフトしたことがイヌイットの人々から報告されたことがありました。

グリーンランドの西海岸のイルリサットという小さな町では、毎年時計仕掛けのように、きまって1月13日に極夜が明けて初日の出が現れます。その日の出は住民たちとって、太陽の出ない真っ暗な冬の世界の終わりを告げる空のサインとして現れます。その日は町中の人々が集まって例年通り初日の出を祝います。しかし今年にかぎり、48時間も早く極夜が明けたという知らせが届きました。現地の人々は、11111と重なるので、初春に相応しい太陽の象徴として喜んだそうですが、しかし問題は、なぜ2日も早くなったのかという理由です。

グリーンランドのKNR放送局がこのニュースを伝えたのですが、最初にそれに気づいたのは、イルリサットの住民でした。この異常現象について科学者たちに問い合わせ、説明を求めたそうですが、誰ひとりとしてその事件のことを知らなかったようです。

実際にすごい重大ニュースであっても、一般の人々の注意をひかないことがしばしばあります。その中にはもちろん専門家や学者たちも含まれているのです。

2011年といえば、私たち日本人にとって忘れられない東北大地震が起きた年でした。今年も相次ぐ噴火や先週関東地方を襲った豪雨といい、イヌイットの長老たちの警告と関連性が深いように思われます。

2004年に発生したスマトラ沖大地震と大津波以来、地球は以前のようではなくなってきているのは、明らかだと考えられます。地球のポールシフトは少しずつ確実に起きていて、2011年、そして今年2015年は著明な傾きを地球は見せているのではないでしょうか。

  


Posted by 愛知 ソニア at 11:21天文ニュース