プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニア
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。
エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、座禅、ヨガ、正食に励む。

後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。

以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。

「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。カナダBC州ネルソン在を経て、2013年1月から日本に在住。



2分でわかる愛知ソニアのMAO
「ミラクルアカシックオラクル」




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イナンナから人類へメッセージ

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2015年08月31日

9月のエネルギー

この夏はいろいろあってあっという間に過ぎたような気がします。

8月15日くらいを境に人生の方向性が一時的に失われるような、ちょうどコインの表と裏面が代わる代わるパッパッと交代するような変な感覚があったように思われます。

私たちの多くが新生地球(ニューアース)の本格的なエネルギーに包まれて、以前は想像もつかなかったような現実を目の当たりにすると同時に過去から続いていたよくないパターンを観察して手放すといった時期のようです。自分自身にとって新しい時代が確実に訪れています。

2015年は、大きなプロジェクトとか問題に対して、素早く分析して機敏に対処するというスキルと、ハートレベルの‘無条件の愛’を養う訓練の年でもあります。

2015年前半は、あなたの魂の成長にエネルギーが注がれる流れとなっていました。無力にさえ感じることがあったでしょうが、それは自分自身というよりも先祖の誰かのカルマをあなたが浄化していたからです。天使界の存在やガイドたちの援助を求めることをお忘れなく!

さあ、これから9月に入りますが、エネルギーはどんなふうになっていくのでしょうか?

今まで無意識的にしか感じていなかったことが、突然はっきりとわかるようになります。夢から覚めたように、なにかがクリアになるのを経験するでしょう。引き続き、しっかりとセンタリングする必要があります。

社会レベルでも同じことが起きるでしょう。秘密のうちに進んでいた宇宙開発プロジェクトとか進化したテクノロジーが明らかになり、誰もが唖然とさせられるようなことがあるでしょう。

9月中半くらいには、エネルギーに満ちた自分を感じることができるでしょう。

9月28日頃になると、私たちの意識がさらに一段階またアップグレードする進化のエネルギーの新たな波が押し寄せてきます。そこでさらに拡大された視野から、「自分は誰だろう?」、「一体、どこに向かっているのだろう?」といったような、存在の根本的な疑問が湧いてきて、自らを再調整するタイミングに入るでしょう。

これは、3,4次元から5次元意識へ完全飛躍するという人類にとって重大イベントが起きるからです。

ちょうどこの頃に直径4キロの彗星が地球に接近するという噂もあります。その接近による世界的な気象変化が予測されています。


  


Posted by 愛知 ソニア at 11:37パーソナル・メッセージ

2015年08月19日

中世時代の宇宙人からのメッセージ??



知人だった故テレンス・マッケナ氏が、「これは世界七不思議のひとつだよ」と生前に教えてくれた謎の本があります。12~14世紀に書かれた本で、誰が記したか、今でも解明できません。アンドロメダ宇宙や地球にはない植物のイラストがあったりする不思議な謎の暗号で書かれた内容とイラストが載っているこの本は、長い間イエズス会によって秘密の解明研究が行なわれていました。

以下はこの不可解な本についてのhttp://nabataea.net/vintro.htmlの内容です。

誰も知らない場所で、誰も知らない時に、誰も知らない文字で書かれた書物を想像してみて欲しい。ここに誰も知らない日付で、誰も知らない場所で、誰にも知られない文字で書かれた一冊の書物がある。これは決して空想の書ではない。「ヴォイニッチ手稿(VionichManuscript)」と呼ばれる中世のいつかに何者かによって書かれたこの謎の書物は、これまで長年に渡って科学者や歴史家達を悩ませてきたのである。このヴォイニッチ手稿は1912年、イタリアのローマに程近いモンドラゴーネ寺院書庫にてアメリカの古書収集家Wilfrid M. Voynich(書物の名前は彼の名前に由来する)が発見、彼はその原稿の異常さと潜在的価値を見込んですぐにその「読めない書物」を購入したのである。彼はアメリカに持ち帰るなり、すぐにコピーを取り、古文書学者、暗号学者、歴史家、言語学者、哲学者、更には天文学者から植物学者といった様々な人々にそのコピーの解読を求め、送りつけたのである。その後ヴォイニッチ手稿は彼らの膨大な知識を動員して解読を試みたにも関わらず、その書物は"未だに読まれていない書物"のままなのである。

その手稿は少なくとも116枚のページから成っていると推測されており、現存するのはそのうち104枚である。ページのサイズは6"×9"(約15cm×約23cm)で、その内何枚かは2重もしくは3重に折りたたまれているページもあり、一番大きいページは18" × 18"(70cm × 70cm)のものもある。また中に描かれた挿絵と文字は非常に独特で、前述の通り、文字は未だに解読されていないために、挿絵がその内容の推測を助けるのみである。また、それら挿絵を見る限りこの書物はおそらく自然科学(とりわけイラストは空想と未知の植物についてが多い)について書かれた本であると推測でき、更に細かく以下のセクションに分かれているという。

1 . 天文学(占星術のシンボル挿絵入り)
2 . 生物学(幾つかの疑似解剖図と人体図のドローイング入り)
3 . 宇宙学(難解な幾何学図形入り)
4 . 薬学 (瓶と植物の部分挿絵入り)
5 . レシピ(ほとんど簡単な文章のみ)

あなたはこの書物の奇妙な文字と、ユニークな挿絵から一体何を想像できるだろうか。


文字について

文字は数種類の絵文字から構成されており、それらは一連の数種類の基本的なシンボルの組み合わせから構成されている(シンボルの数は凡そ24~36)。そして全書中で5000以上の異なる絵文字が使われているが、現在の研究ではそれらの構成が単語を形成していると見なされているという。また中には書中1度から2度しか使われない文字もあるが、単に文字の筆写ミスという見方も出来るため、それらの意味する所は定かではない。

書中で使われている単語群の分析によれば、それらは自然言語の一般的な分布に従っているものの、ラテン語、英語などの単語の平均的な長さよりも文字数が少なく、またそこから推測するにこれらの文字が省略文字で書かれた非常に古い言語で書かれた可能性を示唆している。更にそれらをハッシュ暗号、もしくは古いハミングコードとして解読を試みる事も出来るが、その場合は元になるハッシュ表が現存しなければまず解読は不可能になる。

また文章は全て異なる2種類の言語で書かれており、最初のパートは言語A、そしてここでは8AMという単語が頻繁に現れる。そして最後のセクションは同じ文字で描かれているものの、単語の分配は異なっており、そこでは8AMという単語は余り登場しなくなる。この事実は文章の主題もしくは書き方、言語あるいは暗号の強度が変化したという事と、同時にこの暗号が順応性のあるものではなく、ストリーミング暗号でも置き換え式の暗号でも無い事を指し示していると考えられるのである。

もう一つの重要な問いとして、この文章に違う言語で書かれた原本は存在するのか?という事がある。そもそも我々が見ているのは言語なのだろうか?誰かが個人的な代理文字で著した文章なのだろうか?あるいはこれはラテン語、ギリシャ語、イタリア語、ドイツ語、英語、サンスクリット語、ヘブライ語、、いずれかの言語を暗号化したものなのだろうか?誰に知る由もない。

そして更にもう一つ明らかでないのは、その文法である。単語の配列順序、単語の出現率、いずれもまだ謎が多く、明らかではないが、ひとつには、我々が知っているのは8AMが2度連続して現れることである。これはおそらく接続詞として使われていると推測できる。

平均的な単語の長さは英語やラテン語のそれより短いという事は既に述べた。これは同時にフランス語やイタリア語、ドイツ語よりも短いことを示している。しかしながら、ヘブライ語に関しては多少の可能性が考察できるだろう。初期のヘブライ語は母音を持たないというユニークな特徴があるからである。こうした特徴は単語を凡そ20%から30%短くする事が可能にする。この手稿の著者がユダヤ人、もしくはカバラかトラー(共にユダヤの神秘学)を学ぶ者だったとすれば、ヘブライ語を使うは可能だったと推測できる。またこの事から元の言語が母音を持っていない可能性は十分に推測可能である。あるいはまた、部分的に母音を抜かれたラテン語、イタリア語、フランス語、英語(あるいはその他の言語)を元にした可能性も示唆しているが、ドイツ語に関してはドイツ語の単語は大抵英語のそれよりも30%程度長いので、可能性は低いと言えるだろう。

しかし母音の省略に関していくつか注意すべき点がある。何故なら多くの西欧言語の場合、ある文字から母音を抜いた場合、残るのが一文字になる単語も多いために、意味が不明瞭になるからである。一方、セム系の言語(ユダヤ系の言語)では一般的に単語や動詞の中に発音や前置詞を組み込むために、意味は消失しないのである。また手稿の特徴(ドットの使用、単語の区切り、文書構造の欠落)からこの手稿が西暦1600年よりも古い事が推測されるという。ある研究者はこの手稿を西暦1350年前後に英国のフランシス・ベーコンの仕事であると結論付けたが、未だもって真相は明らかではない。 



  


Posted by 愛知 ソニア at 10:18ミステリー

2015年08月16日

原点に還る

 近々今までのすべてがすっかり変わってしまうほど劇的なゲートを通過するような気がする今日この頃です。もうすでに通過したかもしれないですが……。

 というようなことで、ある意味で私自身のスピリチュアル原点を振り返ってみたいと思いました。以前のブログでも投稿した部分も含まれています。

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臨死体験に至るまで

 私は17才のときにイタリアのウンブリア州ペルージアで生活し始めていました。もとはといえば、オーストラリアに一年間留学することが決まっていたのです。ほか数名の留学生仲間は全員すでにブリスベンやシドニーに向けて出発したというのに、私だけがホームステイ先がなかなか決まらず、半年間も今か今かと旅立つ日をひたすら待ち続けていました。

 そんなある日、苛立ちながらも私はじっくりとオーストラリア留学について考えてみました。外国ならどこでもいいという気持ちで、あるチャリティー機関に応募したことはたしかですが、別にオーストラリアでなくてもよかったとさえ思えるようになりました。ちょうどその一年前は、短期留学で私はデンマークで数か月間過ごしていました。あの旅から戻ってきて数か月も経たないうちに私は日本での生活も、私立女子校にもうんざりしていました。どこにいても自分だけがひとり浮いてるような気がしてならなかったのです。

 デンマークから帰国してからは、まるで別の惑星に辿り着いたような違和感でいっぱいでした。オーストラリア留学がなかなかスムーズに運ばなかった理由は、ほんとうはオーストラリアに行きたくないことに私は気づきました。とはいっても、そのまま日本にいる気持ちはまったくありませんでした。あと半年ほどで高校卒業というのに、一日たりとも日本でのいい加減な学生生活に我慢できなかったのです。幸いにも私が通っていた私立高校は当時では珍しく単位制でしたので、出席日数が足らない以外は高校卒業をクリアしていたことをなんとかうまく利用して、日本脱出を計画しました。後になってわかったことですが、私が日本を発ってから学校と両親の話し合いのもとに、私は一応高校を卒業させてもらったことにしてもらったそうです。

 私は親の反対を押し切って、18才のお誕生日の数か月前にアリタリア機に乗り、ひとりローマに着きました。家出同然でした。ローマから列車に乗ってペルージャという小さな田舎町に私は辿り着きました。その翌日からUniversita per Stranieri (ペルージャ外国人大学)に通い始めました。憧れのイタリア生活がはじまったのです。学校から紹介してもらった下宿先には、もう一人オペラ歌手を目指す日本人女性がいました。それにしても、当時イタリアに留学する日本人の数はしれていました。おそらくあの頃は、イタリア中で私がいちばん年少の日本人留学生だったでしょう。

 家族や先生たちの反対を押し切って歩みだした我が道をちゃんと全うするまでは、けして日本には帰国できない。張りつめたその気持ちが常に私を後押ししていました。だから外国にいても日本人と友だちになることを意識的に避け続けていました。なんとそれがあれから5年近くも続くことになったとは・・・。

 一日も早くイタリア語をマスターして専門学部に進まないと、それしか私の頭にはありませんでした。最初の数か月間は、一日に30単語を覚えるという勢いでした。ちゃんとした専門学部に進めるように準備に必死でした。そうして一年ほど経ったある日、私は大学の先生たちに自分の進路を相談したところ、イタリアの小学校からやり直さなければ、大学入学は無理だというはっきりとした答えが返ってきました。私は半年ほどそのままペルージャでイタリア語を勉強したあと、根拠地をイギリスに移すことを決意しました。

 英語ならきっと問題なく大学に進めると思ったからです。私は小学校の2年ぐらいから海外に出ることばかり考えていたので、そのころから英会話学校に通わせてもらい、おまけに外人の家庭教師までつけてもらっていました。幼い私がそこまで計画していたとは、両親はまったく気づいていませんでした。中学生の時は英語弁論大会に出場したり、英検2級をとっていました。イタリアに滞在している間もちゃんとアメリカ人の友だちをつくって、英会話の練習を怠りませんでした。

 私は1971年のクリスマス直前にロンドンに到着しました。オックスフォードサーカスのはずれの歯医者さんの家に一間を借りて、英会話学校に通うことからスタートしました。一年ほど昼間は英語学校で、夜は美大の夜間コースに通いました。そして当時O(オー)レベルと呼ばれていた検定試験を数科目受けてから、念願の美大に願書を提出しました。ウエストロンドンカレッジに所属する‘Hammersmith school of Art and Building’ という学校でした。ここに入学するにあたり、私は友人のイタリア人女性が勤めていた建築事務所の社長に頼んで推薦状を書いてもらったり、あらゆる努力をしてやっと入学できたのです。一年目は授業についていくのに必死でした。ちょうど一年目が過ぎようとした頃、まだ20才にも私は満たなかった私は、やっと雰囲気にも慣れてきました。夏休みにはペルージャでイタリア語の夏期講座を受けるために、ヒッチハイクでロンドンからイタリアまで一日半ほどかけて行きました。当時ヒッチハイクは、それほど危険なことではなかったのです。私は友人から借りた本を読みながら、ひとりでヒッチしました。今から思えば、大胆きわまる青春時代だったにはちがいありません。

 借りた本の中でも私が惹かれたのは、ランボーの詩とかサルトルの本でした。いわゆる実存主義の世界に私はどっぷり浸かっていました。イギリスでの一人暮らし、イタリアまでひとりで旅したりしていることにまったく寂しさを感じなかったのですが、心の中では人種差別を受けた様々な経験や孤独感が募っていたのでしょう。さらには、芸術というまた独特な世界が重なり合い、精神的にとても不安定な状態にありました。そんなある日、私は学校の帰り道で生きていることの意味を完全に見失いました。というよりも、むしろ、あの世に行ってみたくなったのかもしれません。ちょうど日本が嫌になって海外に飛び出したのと同じような単純な理由からです。

自殺未遂

 気がつけば、私は病院のベッドに横たわっていて、自分の指が二倍ほど膨れ上がっていました。

『ここを今すぐ出なければ・・・』

とりあえず、ベッドの横に置かれていた服に着替えてから、私は病院を脱出しました。ロンドン地下鉄の、たしかベーカールー線でした。じっと座って行ったり来たり何往復も終点から終点まで乗っていたと思います。すると、私のことを知っているらしき女性が突然、私が腰を掛けていた車両に乗ってきたのです。

「いったい、どうしたの!?」

その女性が、私が当時暮らしていたアパートまで連れて帰ってくれました。

記憶喪失

私は誰?

まったく自分のことが思い出せませんでした。あの事故で記憶が飛ばされてしまったのです。学校の友だちが次々と交代で私の看病に来てくれました。

「あなたは愛知早苗よ」

そういわれてみればそうかもしれない。このような状態が約一か月間続きました。記憶喪失というのは、植物人間のようで食べる気力さえも失っているのです。それにしてもなぜか、あの時に体験した向こう側(・・・・)の(・)世界(・・)の記憶だけが、生々しく鮮明に残っていました。あの経験はかれこれ40数年も前のことで、前世の記憶に等しいともいえるほど遠い過去の出来事であるにしても、私の人生がそれ以前と、それ以降とはっきりと分けられるほど劇的な出来事でした。

臨死体験

別世界の旅への入口は、なんと数字でした。私は2と3の間に滑り込むように入っていきました。しかし同時にそれはなぜか、フランスとイタリアの国境と重なりあっているのを意識できました。その入り口から中に入っていくと、ミラーハウスのようなたくさんの鏡の壁に私は囲まれていました。どの部屋に入るとそこから出られるのか、迷っている自分がいました。

 次なる記憶を辿っていくと、自分の体がまるで筒のように空っぽになり、上から下へ、下から上へと、風というか、エネルギーというか、なにかが勢いよく抜けては入り込む。これが永遠と思えるほど長く続きました。やがてそれが暗いトンネルであることに私は気づきました。今から思えば、死後の世界において初期段階に現れると一般に知られている、ほとんどの臨死体験者が記憶しているあのトンネルを私もまたそこで経験していたのでしょう。死後の世界のトンネルは、実は生命エネルギーの根源であり、いわゆる「クンダリーニエネルギー」の流れと同じではないのだろうかと、今となって私にはそう思えるのです。

 やがて私は、そのときまで生きて経験したすべての、こと細やかな記憶が再現され、次から次へと絶え間なく襲ってくる世界から出られなくなっていました。それにしても、それらはすべて私が好きという感情を抱いた記憶の再現でした。たとえば、みずみずしくて美味しそうないちごにミルクがかかっているイメージが現れたとたんに、次は大好きなビートルズの曲の一節だったり、それらが目まぐるしく交代しながら止まらない世界に私は責められていたのです。私が好きと感じたり、愛した一瞬一瞬が、次から次へと猛スピードで再現されながら襲ってくるのです。自分自身に嫌悪感を抱くほど、これでもか、これでもかと、空っぽの筒のようになった私に映像と共にその一瞬一瞬の感情がパッ、パッと永遠とも思えるほど続くのです。その時の私の意識は、普段よりもはるかにはっきりしていました。
全部なにひとつ残すものなく自分が愛した人や動物、モノをシャワーのように私は浴びさせられました。たった19才の私の自我の大きさにぞっとするほど見せられたのです。たしかに最初のほうは、その再現を楽しんでいたのですが、とうとう「もういい、やめてえー」と私は叫びました。するとそれは以外にも簡単にピタッと止まったのです。

 次なる記憶は、トンネルの向こう側の光が見えたことでした。にもかかわらず、私はトンネルの壁にある一つの部屋の扉を開けました。ギギギーと扉が開くと、その部屋の中はお化け屋敷のようで、薄暗く、灰色一色で包まれた古めかしい部屋でした。そこら中にクモの巣が張っていて、人の気配が長らくなかったような古い部屋で、気持ち悪さと恐ろしさが漂っていました。

 はっと気がつくと、私はその部屋の中央にある楕円形のテーブルに横たわっていたのです。テーブルの周りには、小柄で大きな目をした3,4人の存在たちが私を囲んでいました。人間ではないと、すぐに判りました。今になって思えば、たしかにあれがグレイエーリアンだったように思われます。この体験は1970年代初頭で、まだグレイどころか、宇宙人のコンセプトさえあまりなかった時代であるにしても。

 そのテーブルに私は縛られていました。ロープも何もなかったのに身動きひとつできないのです。彼らは私を見つめながら互いに無言で、テレパシーで会話しているようでした。

「どこから切開しようか?」

『冗談でしょ』と、私は一瞬思ったのですが、いや冗談ではなく、本気なのがその化け物の大きなアーモンド型の目からじわっと伝わってきました。見渡せば、その不気味な霧がかかったような灰色の部屋に、40センチほどの先が尖った大きな針のような刃物が、唯一リアルな世界と同じ輝きで光っていて、その太いほうの端を彼らの仲間のひとりが握っていました。

「やめてぇー」と私は大声で叫んだのですが、まったく動けないのです。先ほどの甘い世界から一変して、それまでに味わったことのない最大の恐怖を私は覚えました。どんなホラー映画も比較にならないくらいの究極の恐怖を体験させられたのです。いちばん恐ろしかったのは、彼らにはまったく表情もなければ、感情も一切ないと悟ったときでした。私に対して憎しみの感情さえない、単なる実験動物を扱うような冷酷さでした。その恐怖の絶頂の瞬間がしばらく続いた後、私は完全にあきらめの境地に入っていきました。どうしようもない、逃れられない運命を覚悟したのです。

『これで一巻の終わり・・・私はなんとバカなことをしでかしたのだ。でももう遅い!』

その刃物は、上方からゆっくりと私の心臓を目指して降りてきました。「いよいよもうだめ!」と思った瞬間に私は目を閉じたのです。するとその刃物はプチンと、まるでちっちゃな針が刺さったぐらいのインパクトで胸に刺さりました。

「あれえ、なにこれ?!」

まったく痛くもなにも感じませんでした。しかし、ほっと安心したのは束の間で、次の瞬間には、ものすごいスピードで私は上昇し、その不気味な部屋を上へと突き抜けていきました。どんどん私は上昇していき、下方に地球が小さく見えるくらいになっても止まりませんでした。私の体が止まったところは、広大な宇宙の彼方で、夜空の青さが広がっていました。周りには惑星や星が散らばっているのが見えていて、私はあのテーブルに寝かされていた状態のままで宇宙に浮いて漂っていました。

 自分の胸のあたりから渦巻き線が、いくつもさざ波のように宇宙に向けて広がっていました。私は独りっきりで、あるのは宇宙の壮大さだけでした。意識ははっきりとしていて、底知れない孤独感に私は包まれていました。

「誰もいないの? たった一人っきりなんだ」

そのとき私の足元から宇宙に溶け込むように消え始めていました。それにしても、私の意識だけがその孤独感と共に残っていました。

『これが死なんだ。ほんとうにバカなことをしてしまった。意識はこのまま残るとは。いや、生きている時よりも、むしろもっとはっきりしている・・・』

 と、どこからか声がしてきました。

「そうです。意識はそのまま残るのです。しかし、その孤独感はもうすぐ消えますから・・・」

その声は、先ほどの気持ち悪い存在たちのものではなかったことは、はっきりと判りました。少なくとも私のことを思っていてくれている愛ある存在の声と感じられたのです。その声が聞こえるや否や、孤独感は消えていました。最終的に私には、ただそこに存在するのみという感覚だけが残りました。私は宇宙の一部である。ただそれだけ感じられる自分が、はっきりとした意識としてありました。

『ああ、これが永遠・・・これでいいんだ』

生前の心の葛藤や疑問がすべて消えて、静寂とすべてがそれで完璧という感覚だけが最終的に残りました。浮いている自分を眺めると、あの渦巻きも私の肉体もほとんど胸のあたりまで消えしまっていました。文字通り私は宇宙に溶け込み、一体となっていたのです。

 すると突然、どこからともなく先ほどとはまた異なる質の声が聞こえてきました。こんどは宇宙全体に深く響きわたる声でした。そしてこう告げられたのです。

「あなたが所属する村を探したのですが、見つかりませんでした。あなたはもう一度、地球に戻ることになりました」

 そこで私の意識は一瞬にして肉体に戻り、目が覚めました。そこがロンドンの、あの救急病院だったのです。あれからずいぶん後になってわかったことですが、‘所属する村’とは、おそらくグループソウルのことだったのでしょう。

 もうひとつ、あの経験から何年も経ってから気づいたことですが、グレイエーリアンというのは、別に悪い奴らではなく、むしろ人間が死に至るまでに、最大の恐怖を浄化するプロセスを手伝ってくれる役目があるのではないかということです。私たちが魂の故郷に帰還するイニシエーション(通過儀礼)に関わってくれる存在たちが、きっと彼らなのです。そういう意味では、「コミュニオン」(扶桑文庫、1994)というグレイエーリアンについての小説を書いたウィットリー・ストリーバーという作家の結論的な気づきと同意見ということになります。

 プレアデスの存在たちが、いつか教えてくれたことがあります。それは、私たち人間が死に直面する際に、彼ら(プレアデス星人)も必ずそのプロセスを誘導するために関わるということです。ということは、だれでも遅かれ早かれみんな彼らと遭遇するということになります。だとすれば、私の彼らとの最初の遭遇は、ロンドンで経験したあの臨死体験から始まっていたのかもしれません。いえ、ひょっとすると、私が幼いころに腸チフスにかかり、生死の境をさ迷っていたときから始まっていたのかもしれない、ということです。

 あのときの記憶がもっと鮮明な時期に記録しておけば、今こうして思い出せる内容よりも詳しく残っていただろうと思うことがよくありますが、それと同時に忘れたいという気持ちが常にありました。現実生活とまったくつじつまが合わない経験だったからです。経験直後は、あの経験以前の自分のすべてを、一か月ほど思い出せないくらいのショック状態に陥っていたことはたしかです。

 臨死体験を経験した人たちが、その後劇的に人生が変わり、必然的にスピリチュアルな生き方を探求するようになると、よくいわれています。あの世を垣間見たショックは、この世の価値観を一変させ、あのトラウマ的な体験が偶然に起きたのではないことを、体験者はいずれ悟ることになるのだと思います。そして、あの世で体験したことの方が、この世で起きることよりもはるかにリアルで意味深いと捉えるようになるのでしょう。いつの日かあの世に再び戻るまでは、できるだけ意味深い生きた方をしようとするようになるでしょう。すなわち、常に死を身近に感じられる生き方へと切り替わるのです。仏教でいうところの諸行無常を、身をもって知るに至る、ということです。これがスピリチュアルな生き方の基盤かもしれません。

臨死体験後のシンクロに導かれて

 さて、あのような体験をした直後の私は本来ならば、精神科医かセラピストのお世話にならなければならない状態でした。しかし、彼らは誰一人として私を癒すこともできなければ、あのとき私に囁きかけた声の存在に会わせてくれることなどできるはずがないと、私は確信していました。私はあの時以来、ずっと今日まで目に見えない糸で導かれながら、次から次へと多くの精神性豊かな人々との出会いがありました。その目に見えない糸とは、シンクロニシティの計らいです。

 その計らいによって、あの経験から間もなくして私は、ロンドンの街で運よく魔術師(私がそう呼んでいる)アルフレードに発見され、数時間内に奇跡的にも記憶喪失から解き放されたのです。それどころか、彼の導きによって前世の記憶まで甦らせることができました。と同時に完全なサマーディ(覚醒状態)を体験したのです。残念ながらその状態はわずか数週間しか続かなかったのですが、その間思考が完全に静止していました。その上、睡眠や夢を見る必要もまったくなく、目を開いたまま横たわり、体を休めるだけでした。至福に満ちたワンネスだけの世界です。

 それから徐々に私は俗世界に落ちていきました。もがけばもがくほど沈んでいくようななんともいえない最低の気分を味わいながら、日増しに自分が堕天使のように思えてきました。あれは一時的な覚醒にすぎなかったのです。考えてみると、たった19才の私にはまだまだ俗世界で学ばなければならないことがたくさんあったからです。とはいえ、あのときから私はアルフレードの弟子になり、不思議な魔法の世界を出入りする方法を学び始めていたのです。

 ロンドン? 魔法? ハリーポッターの世界じゃないか、って思われる方もおられるでしょうが、実際にロンドンという街は、パリやプラハ、トリノと並んで中世期の錬金術が栄えただけあって、不思議なパワーを秘めたスポットが実際に現代でもあちこちに点在している街なのです。住んでみないと、普通の観光では決して発見できないですが。

 アルフレードに教わる魔法のレッスンは、たいていは戸外で行なわれました。まずは歩きながら、パワースポットを見つけることから始まります。明らかに異質のエネルギーに満ちた直径1メートル半くらいの円形エリアが見つかるのです。それらを発見する度にその中に入ったり出たりしながらその日のレッスンに相応しい力を与えてくれる、文字通りパワースポットを探し当てるのです。そのあと様々な術を彼は私に伝授してくれました。

 不思議としかいいようのない世界に彼は私を導いてくれました。そんなある日、ひょっとすると魔法は私独自の力ではなく、彼の力によって起きているのではないかという疑いが私の心に生じたのです。それとほぼ同時期に、彼は私の前から姿を消しました。若さがゆえの純粋無垢な心が、超自然の教えを素直に吸収できたのです。そういう意味では、あの頃が私の人生で最高のクレシェンドだったのかもしれません。

 あれから少し時が流れてから、私の夫となるエハン・デラヴィに、これまた奇遇な巡り合せによって結ばれることになりました。正直なところ、それは私にとって偉大な魔術師になるという生涯をかけた、途方もなく現実離れした冒険の夢を断念しての決断でした。アンデス山脈のどこかに存在する異次元の扉までいつかアルフレードが案内してくれる、という約束まで交わしていたからです。

 しかし、その時期が訪れるまでは、まずは普通の人間としての経験が必要だと、直観的に私は悟り、結婚という道を選びました。それが二十歳そこそこの私の思考だったのです。たしかにあの臨死体験以来、私が何歳であれ関係なく、必要に応じて賢い老婆のような英知が与えられることがあるのです。それが私自身の‘ハイアーセルフ’であることに、後に私は理解するに至りました。

 私と夫との接点とは、最初から形而上学であり、いわゆる精神世界のことでした。こういうとうらやましがられるかもしれませんが、とんでもございません。二人そろって現実生活においてはビギナーズどころではなく、相当なハンディキャップ同士だったのです! これが解る頃には、すでに三人の子供たちが誕生していました。

 実は彼こそ、まさしく堕天使なのです。あきれてしまうほど、人間界に慣れていない人なのです。妻である私がそれをいちばんよく知っています。私たち夫婦にとって、いかにスピリチュアリティを現実生活に融合させるか、これが四十数年間片時もなく継続させてきた共通かつ究極のテーマであり、ときとして辛い学びでもあるわけです。

 私は夫と巡り会えたことによって今日にいたるまで、世界中の注目すべき人々に直接会うチャンスにも恵まれ、また様々な専門分野の優れた研究家たちから多くの知識を与えられるという、とても意味深い人生コースを歩むことになりました。その知識の中には、若い頃にアルフレードが私に見せてくれた世界を、論理的に説明づけてくれる学者まで含まれていました。ちゃんとシンクロニシティによって導かれているのですね。

 むろん、夫のエハン自身から私が得た知識や情報は、40年という長い歳月を通して無限に等しいほど莫大な量です。とりわけ、私がいちばん彼に感謝しているのは、スコティッシュ特有の明るさで何事も積極的に捉え、また躊躇せずに行動に移せるという、本来私に欠けていたクオリティを譲り受けたことです。

  


Posted by 愛知 ソニア at 10:03ソニア物語

2015年08月03日

宇宙人・天使・スピリットのガイダンス

メンタルオアシス(DVD Vol.2(収録時間107分) が出来上がりました。

「宇宙人・天使・スピリットのガイダンス」を中心テーマに
収録時間は107分の驚愕の内容です。


販売サイトのリンク:
http://castlerock.free.makeshop.jp/shopdetail/000000000077/

1. イントロダクション
2. 毎晩現れた空飛ぶ発光体
3. メルカバとの再会
4. 毎年、毎月のテーマ
5. オレンジの発光体が回転
6. シンクロニシティとテレパシー
7. 未確認飛行物体と天使とのかかわり
8. 古代人の目に見えない存在との関係性
9. テクノロジーに繋がる時間が邪魔する
10. 天使とは…
11. 語りかける大天使
12. 堕天使
13. 巨大人の地下の異次元へ そして…
14. ダークな天使 ?
15. 宇宙人と天使との関係
16. 旧約聖書からの情報
17. 天使の種類
18. 守護天使
19. 緊急事態で助ける天使 大切なメッセージを伝える天使
20. 名乗った二人の天使
21. 天使たちとのコンタクト法
22. マヤ・バリ島・日本に残る天使たち
23. 私たちのライフパーパースを知りサポートする
スピリットガイド
24. アニマル・スピリットとは…
25. シャーマニズム
26. 香りのサイン
27. 宇宙人の種類
28. 交信する危険性と注意点
29. 空飛ぶ公案
30. 明晰夢で交信するエイリアン
31. アクチュール星人 シリウス星人
  プレアデス星人  アンドロメダ星人 オリオン星人
32. 最大のミステリーが人間の意識
33. 次元について…
34. 判断基準について…
35. 時間のサイクルによるリンク
36. 古代になればなるほど巨石群が進化している
37. スピリットガイドに感謝と数字のサイン
38. 日本人の進化した信仰
39. 子供たちに見習う
40. ガイダンスカードとアーシング
41. ヤハウェについて…
42. ダビデ王とヤハウェとの契約
43. 教会から消される
44. 宇宙人と遭遇していた古代人
45. ダビデ王への罰
46. アヌンナキと旧約聖書
47. キリストの正体
48. 残酷な神?
49. 次元の違い
50. 聖書を学ぶ目的
51. 生贄・儀式について…
52. 宇宙人が人間を支配?
53. 優れたガイダンスを受ける
54. スマホ・インターネットに潜む罠
愛知ソニアによる誘導瞑想
55.スピリットと出逢うための誘導瞑想



  


Posted by 愛知 ソニア at 21:44お知らせ

2015年08月01日

ラマス

今日はちょうど夏と秋の中間点に達しました。
月光を浴びた母なるゴデスのパワーがいっそう増していく時期です。
昼はこれからどんどん短くなり、獅子の太陽の熱は最高に達します。

今日は古代ケルトに伝わる収穫祭(ラマス)です。
「ハボンディアス」とも呼ばれることもあります。

畑の実り、自分の心の実り、人間関係の実り、健康の実りを祝う祭りです。
ラマスが訪れると、一年の最初の収穫を歌い祝います。

☆祖先の知恵を収穫するとき
☆地球の子孫と土と血を感謝して祝う日

石窯でパンを焼いてみるのもよし、畑の収穫をお供えするのもよし。
古代ケルトの慣わしで祝うのもよし。
トウモロコシ一本を女神デメテルに奉げてからあとでそれを食べるのもよし。

このようにラマスを祝うことによって、
なにかアルケミカルなエネルギーが生まれて、
次のサイクルへとシフトできます。

☆ 使徒ペテロの投獄と奇跡的脱出を記念する日がちょうどラマスにあたり、
(聖ペテロの鎖の記念日)とも呼ばれています。

8月1日、カレンダーによっては8月2日は、
マザーゴデスにとって最も大切な日です。
ちょうど臨月の女神を思い浮かべてもらったらよいです。

大地と共同創造する女神は、
一年でもいちばん重要な収穫祭の儀式を私たちに告げてくれます。

ゴデスは満ちる生命の力で膨らみ上がり熟しきりました。
大地は彼女の愛の収穫を力強く押し出す準備ができています。
木の実が重く枝に垂れ下がっています。
農家に人々の庭に夏の収穫が訪れました。
今こそ、女神たちの多くの祝福を、
私たち人間に与えてくれる時期です。

女神たちに感謝し、また人生が運んでくる贈り物に感謝する時です。
今日、この時代に感謝したい事はさくさんあります。

私たち女性は、昔と比べて、
信じられないほど多くの特権や選択が与えられるようになりました。
そのことも含めて今日は感謝の気持ちを女神たちに捧げます。

情報社会によって今日女性は、
過去に知ることのできなかった多くの情報と知識を得ることができるようになりました。
このこと自体すごいことなのですが、
私たちはつい当たり前として見逃しています。
この豊かさに気づくと同時に、
この世界にはあらゆるレベルの特権 が存在することにも気づくべきです。

「ラマス」の日には、自分に与えられている特権に感謝し、
世界に存在するあらゆる階級問題について目を向けて、
自分よりも特権の少ない人々に対して、
サポートのエネルギーを送りましょう!

  


Posted by 愛知 ソニア at 08:10世界の女神