プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニア
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。
エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、座禅、ヨガ、正食に励む。

後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。

以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。

「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。カナダBC州ネルソン在を経て、2013年1月から日本に在住。



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イナンナから人類へメッセージ

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2006年07月31日

サイケデリック初体験

サイケデリック初体験なぜかわたしのサイケデリック体験は6才のときから始まった・・・これが本当のところです。
「ええ、ウソ?」っておっしゃるかもしれませんが、本当なのです。それでまた、あんなすごい幻覚はまあ、一生みさせてはもらえないだろう、といえるほどすごかったのです。

ことの始まりは、幼稚園での「予防接種」が原因でした。昼間、幼稚園で腸チフスの予防注射を受けて、家に戻ってきた私は仲間と一生に元気よくいつものように外で遊んでいました。その時、向かい側の家に住んでいたタミちゃんが駄菓子屋にいこうといいだしました。当時初めってインスタント食品が出回り始めたところでした。チキンラーメンなどお店にいくと買えるようになったばかりの時代でした。

私は虚弱体質だったので、絶対にそんなものは買ってはいけないと母から止められていました。近所の子供たちと手のひらに5円玉を握り、スキップして町のはずれにあった駄菓子屋まで駆けつけました。そこでお向かいに住んでいたタミちゃんがみんなに得意そうに勧めたのは、今発売されたばかりの「おしるこのもと」でした。5円で買える一袋を私は家に持って帰ると、こっそりとお湯を沸かして、一服を味わったのです。そしてまた、外で待っていたみんなと一緒にいつもどおり遊んでいたのです。そのころは、子供たちは今日のような怖いお外ではなく、日が暮れて、「カラスが鳴くからカーえろ・・・」とみんなで歌うまでは、真っ暗になるぎりぎりまで外で遊んだものです。

ともかくその日の私は夜7時半ごろになって、ひどい吐き気と下痢、熱で倒れてしまいました。「ママ、ごめん、おしるこ買って、タミちゃんと食べたよお・・・お腹いたーい」ととうとうばれてしまいました。夜9時ごろには布団がしいてあった前の白いふすまをスクリーンが代わりにして、私は大きく目を見開いて座り込んだ状態となっていました。次々と流れる映像にとっぷりとはまり込んで動けなくなっていたのです。「ママ、助けて・・・ラッシーが底なし沼にはまってる!」、「ママが助けてくれないから、リンチンチンがむこうからやってきたよー」、「こんどは大変、ママあ、ふたりとも底なし沼にしずんでいくよー、どうにかして、ママ」と、こんなふうに叫んでいたのが記憶にあります。テレビより大きいふすま2枚全体に、確かカラーで映っていたように思います、白黒の時代なのに・・・。

結果として私は父の車で大阪市内の大きな病院に運ばれ、もう少しで伝染病患者として隔離されてしまうのを、どうにか母の計らいで逃れ、病院のベッドで意識を取り戻したのは一週間ほど後でした。それから私はどんどん回復していったのですが、まだ時々現われる高熱と幻覚がとれずに、そのまま病院で一ヶ月ほど経ちました。あの時、始めて私は若いお姉さんの看護婦の方からお絵かきを教えてもらったり、病院の黄色いあまり紙をふんだんに使って一ヶ月をエンジョイしたりできたのを思い出します。

でも帰宅してからも高熱と幻覚は随分続き、こんな幻覚の一コマもありました。ふとんの中で水袋を頭にのせられて仰向きになってうなずいてる私を心配した母は、お隣のおばちゃんと一緒に玄関を上がってくる会話が聞こえてきました。「どうしよう、まだあんな状態なのよ・・・」、「ちょっと、あがらしもらって、いい?」・・・このように聞こえてくる声は確かに母ととなりのおばさんなのです。しかしふすまを開けると、なんと赤鬼と青鬼ではないですか! 「きゃあ、それ以上近寄るな、あっちへいけ、助けて!」という、幼い私にとって恐ろしさ極まりない次元の扉を開いてしまったのです。

私にとって予防注射はあれ以来、とても恐ろしい経験となり、エハンが鍼灸を勉強しているときもお灸の実験台は喜んでなりましたが、針となると私はあれ以来飛び上がり、反応します。大変だったのは三人の子供の予防接種記録です。私たちのように国外に住んだり、子供たちを転校させたりするときには、この記録なしでは学校に入れないこともあるのです。なるべくなら予防接種させずに済ませたいとあれこれ、子育てで工夫したことは確かです。

私のように幼くして経験するバッドトリップだってあり得るのです。それも政府のおかげで子供がおかしくなることもあるのです。それは私のように一生続くこともあるのです。(笑) 

誰もこれに関して責める気持ちはありません。私はこの経験をする運命にあり、それも自分で選択したことにはちがいないのです。でも、なぜ、それは地獄も闇あり、鬼だったのでしょう。鬼も異次元にしっかりと住んでいて、決して人間の想像だけの世界ではないということを知るためだからです。しかし、よりもよってなぜ、私は母を鬼としてみたか・・・それは戦争時代に病院で看護婦として過ごした母が、お医者さんを神さまのように崇拝する彼女の信条に幼いながらも不信感を抱いた感情が現れて、その幻覚を引き起こしたと思います。

しかしこの時から私は、なんだ、かんだとい難しい病名をつけられ、病院通いするようになり、結果は小学校の三分の一は休んでいたのです。熱が出たり、食事が出来なかったり、ぐずぐず泣いてばかりだったり、スッキリしない状態が繰り返し訪れるようになりました。小学校一年生の時に「自律神経失調症」などと、わけの分からない診断を病院でもらって、何かこれもまた、分からない薬をもらって帰ったのです。すると母は毎日3回それを私に飲ませようと必死になったのです。今から考えると、ようするに子供ノイローゼとして診断されていたわけですから、何か精神を落ち着けさせるものではなかったのか? ひょっとしたらそれによって躁鬱のパターンが強調されたのか? このようなことを過去を振り返って思います。そのパターンは私が大人になってからもまだ続いていました。一番、苦労したのは、エハンです。でも本当に彼のおかげです。ご存知のとおり、きわめて楽観的なエハンの性格ですから本当に癒されました。

いつの間にか、欝パターンはなくなっていたのですが、私自身も大変努力しました。ヨガや生食など健康のバランスを失わないようにやってきました。でもあの時に処方されたのは一体、何の薬だったのでしょうか。「インディゴ・チルドレン」の本にも子供の精神安定剤であるリタリンとサイラートの恐ろしさが書いてありました。

何年か前のPたちのセッションでも、予防注射には謎のインプラントが同時に体の中に注入される・・・という言葉を思い出します。小さなお子さんをもっておられる親の方々にぜひ、勉強してもらいたいと思います。親が子供たちのために正しく判断できる世の中になるためには、こういったことも含めて親の常識を変えていくべきだと思います。実験台となった自分がいるからこれもいえるのでしょう。あの時のサイケデリック体験で得た大切な宝物もこれからきっと思い出すことができるでしょう。

サイケデリック初体験マーサ作

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Posted by 愛知 ソニア at 12:18│Comments(927)ソニア物語
この記事へのコメント
ソニアさん、何故・・・また顎が、はずれた。2日続きで・・・
うちのインディゴちゃん、母子手帳が真っ白、予防注射、全然していません。小児科からも、保健婦からも、保母さんからも指摘されるの
ですが・・・なぜか不安感がぬぐいきれなかった。
やはり、そうだったのですね。
プレアデスに帰ろう。
Posted by yuuko at 2006年08月01日 09:18
Yuukoさん
あなたの子供に対する直観は、さびてないですね。これからも自分の気持ちを大切に判断して子育てしてください!

予防注射をしなかったので、はしかや百日咳などうちの子供たちは、もちろん経験して可愛そうでした。苦しんでいるときは、なんで予防注射を受けなかったか悔やみましたけどね。三人ともあとはケガくらいで今日に至るまでとても健康です。
Posted by sonia at 2006年08月01日 10:23
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