プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニア
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。
エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、座禅、ヨガ、正食に励む。

後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。

以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。

「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。カナダBC州ネルソン在を経て、2013年1月から日本に在住。



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2006年05月21日

あの時代の思い出 

あの時代の思い出 

バーバラ・マ-シニアックがチャネルするプレアデス星人たちは、私たちが自分の過去について語る時は、いつも同じ話をするのではなく、するたびに変わっていないと意味がないといったのを覚えています。今日は自分の過去をちょっと振り返ってみる気分です。どんなアングルが飛び出すか、私にもお話を始めるまでわかりません。

1986年頃、ちょうど私たちは神戸の芦屋に住んでいました。長年住んだ京都を離れ、神戸に住んだ理由は子供たちを国際学校に通わせるためでした。エハンは当時、3人の子供たちのめんどうをよくみるパパだったのです。その頃、エハンは大学の講師をしながら、神戸のトアロードでクリニックを開業し、鍼灸師としてもがんばった時代です。エハンは当時12年間もまったく帰国せずに日本にとことんハマッていました。

この頃の日本での生活を振り返ってみると、いろいろ見えてきます。働き、子育てする以外に何があったでしょうか? 「何に夢中になって捜し求めていたか? あの頃は」とあなたもぜひ、ご自分の過去のある時期を振り返ってみてください。新しい発見があるかもしれませんよ。

私たちはあの頃、禅に夢中でした。いえ、ある意味でその時代のファッションだったのかもしれません。1974、5年から京都に私たちは住み始めました。その頃、京都では外人たちによるあるブームが起きていました。いろんな日本文化を学ぶために京都に住み着くようになった外人がその頃から増えだした時代です。中でも禅は多くの外人たちが学び、魅了される誇り高き日本の伝統でした。

エハンと出会う前に一度イギリスから帰国した私は南画家の直原玉青先生の元で学ぶことになりました。私がイギリスの学校を離れる前に作った作品は和紙で綴じられた一冊の本でした。その本のタイトルは、「タオの風景画集」というもので、マーブル技法を使って出来た偶然のパターンを、切り抜いて自然の風景に見立てた絵が左のページに貼ってあり、右には左の絵のタイトルとそれに合わせた短いポエムが載っている本です。

もう何も自分の手を加える必要はない、すべて自然に任せて、自分が作れば必ず、少しでも自分的なものが出ることを、なぜか、私は恐れていたのです。ヘドがでそうになっていた時期でした。今から思えば・・・それが禅的なものへの憧れとなっていきました。

あの時代の思い出 私が三年間のイギリスでの最終的な学びは、自分でも驚いてしまうのですが、モネでも、ゴッホでもなく、ダヴィンチでもなかったのです。あの頃、私はダダやポップアートも好きでした。ヨーコ・オノの前衛的な表現もすごく好きでした。
さて、その頃、一番、最後に私が学校で作った作品は、先生たちに反感をかう結果となりました。

私はただ、空に向けた絵のない額縁を教室の窓際に立てかけたものを作品として提示したのです。
それを先生に見てもらおうと平気でするぐらい、今から考えると恥ずかしくなるほど、私はとても生意気な生徒でした。しかし、最後に美術史の授業で見せられた一枚のスライドが、私には決定的な方向を示してくれることになったのです。そしてたちまち大きな変化が私の人生に訪れました。

あの時代の思い出 そのスライドは京都「竜安寺石庭」でした。批判的な表現の世界から、只、そこにあるという美しさを私は発見したのです。

私が求めていたものはまさにそれであって、西洋的なものではなかったのです。何も世界を一周することもなかったのです。皮肉なもので、わざわざイギリスまで行かなくてもよかったのです。でも17才から数年間のヨーロッパ生活は、今からするとバラバラですが、非常に大切なピースをいっぱい発見した私にとって貴重な時代だったといえます。最初から日本いたなら、禅に自分が魅せられることもなかったと思います。私の場合、外人から日本を教えてもらうことが昔から多いでした。

さて、遠く離れた異国で竜安寺の石庭がガーンと目の前に広がった時、これは今でも忘れられないシンクロの計らいだったように思います。京都なんて思ってもいないほど近くに自分が探し求める世界があったわけです。

あの時代の思い出 エハンと一緒になってからも、私たちは日本で二人が住む場所は京都以外に考えらませんでした。日本という国は修行において素晴らしく豊かなものを提供してくれました。エハンは弓道や書道、私は茶道やマクロビオティック、それからヨガなどに興味を持ち始めました。二人で子育ての合い間に日本文化を学ぶようになりました。

私たちは京都時代からミスティックなことに非常に引かれながら今日まで暮らしてきました。でもあの悟りを求める当時の意欲はいつ、どこで消えてしまったのでしょうか。まだ、心の隅のどこかにあるような気もしますが、エハンと一緒にそのように京都や芦屋に住んだ14年間がほぼ終わろうとしていた頃、あるアメリカ人の友人から私たちにビデオが送られてきたのです。

一つはシャーリー・マックレーンの「アウト・オン・ア・リム」で、もう一つは、ラムサのチャネリング・セッションでした。

宇宙人!?
チャネリング!?
異次元のマスター!?

禅でカチコチになっていた二人の頭はハンマーでカーンと殴れたようでした。あれからエハン家にはまた変化の嵐が訪れ、カナダまで私たちを運んでいったのです。

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Posted by 愛知 ソニア at 12:40│Comments(7)ソニア物語
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