2007年02月16日
雪の中のゴンパ
カナダ、B.C.州ネルソンの町外れを車で十分ほどの山の中に走っていくと、黄色い旗が道の脇に立っているのが目に付いた。その旗には”Gompa”と書いてあった。
ゴンパとはチベットの僧院を意味するようだ。
「チベット」は私にとって最近、よく遭遇するキーワードなので、早速、Gompaという旗のたっている私有地に入っていった。何回かベルを鳴らしたのに、誰も出てきてくれない。そっと中に入っていくと、60才ぐらいの白人女性が出てきてくれた。その女性に案内されて中に入ると、瞑想するスペースがあった。中央には祭壇、周囲の壁にはタンカがたくさんかかっていた。

毎週日曜日にそこで瞑想会があり、誰でも参加できるというので、三日後の日曜日の朝、私とエハン、息子たちと四人で参加してみることにした。これで当分、タオには会えない。最後を瞑想でお別れするということに一同が同意して、その朝、ゴンパに向かった。
シーンと静まった雪の中のゴンパで、指示されたように自分の呼吸に意識を向けていると、私の思考はやっとストップした。何ヶ月ぶりだろう・・・ここまでの静けさを味わったのは。いつこの静けさを私は忘れたのだろうか? このように思考はまたスタートする。
ただこれを再認識するために、私はるばるこんな遠くまでやって来たのか? それでもいい、大切なことだから。
息子といっしょにこうして瞑想できるとは、まったく想像外の経験だった。何はさておき、これはすばらしい。
瞑想会は、まずチベットのお祈りとスートラを唱えた後、瞑想に入った。それからしばらくして、チーンという鐘の合図で私たちは立つと、ゆっくりとサークルを歩き、その後また瞑想に入った。それが終わるとスートラを参加者全員で一緒に唱え、瞑想会は終わった。たった十人足らずの集まりだったので、だから余計に静かだったのかもしれない。平和で静かな気持を感じさせてくれたゴンパに感謝して、その後ネルソンを去った。

「チベット」は私にとって最近、よく遭遇するキーワードなので、早速、Gompaという旗のたっている私有地に入っていった。何回かベルを鳴らしたのに、誰も出てきてくれない。そっと中に入っていくと、60才ぐらいの白人女性が出てきてくれた。その女性に案内されて中に入ると、瞑想するスペースがあった。中央には祭壇、周囲の壁にはタンカがたくさんかかっていた。

毎週日曜日にそこで瞑想会があり、誰でも参加できるというので、三日後の日曜日の朝、私とエハン、息子たちと四人で参加してみることにした。これで当分、タオには会えない。最後を瞑想でお別れするということに一同が同意して、その朝、ゴンパに向かった。
シーンと静まった雪の中のゴンパで、指示されたように自分の呼吸に意識を向けていると、私の思考はやっとストップした。何ヶ月ぶりだろう・・・ここまでの静けさを味わったのは。いつこの静けさを私は忘れたのだろうか? このように思考はまたスタートする。
ただこれを再認識するために、私はるばるこんな遠くまでやって来たのか? それでもいい、大切なことだから。
息子といっしょにこうして瞑想できるとは、まったく想像外の経験だった。何はさておき、これはすばらしい。
瞑想会は、まずチベットのお祈りとスートラを唱えた後、瞑想に入った。それからしばらくして、チーンという鐘の合図で私たちは立つと、ゆっくりとサークルを歩き、その後また瞑想に入った。それが終わるとスートラを参加者全員で一緒に唱え、瞑想会は終わった。たった十人足らずの集まりだったので、だから余計に静かだったのかもしれない。平和で静かな気持を感じさせてくれたゴンパに感謝して、その後ネルソンを去った。