プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニア
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。
エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、座禅、ヨガ、正食に励む。

後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。

以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。

「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。カナダBC州ネルソン在を経て、2013年1月から日本に在住。



2分でわかる愛知ソニアのMAO
「ミラクルアカシックオラクル」




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イナンナから人類へメッセージ

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2016年10月20日

クンダリーニ上昇と進化のエネルギー



 現在人類の意識の進化はこれまでにないレベルに到達しています。その背後のメカニズムについて熟考すると、クンダリーニという我々の身体のいたって神秘的な働きを無視することはできないのです。世界中の何百万人という意識レベルの高い人々の間で、クンダリーニは活性の度合いが低いので自覚されるにはいたってないものの、たしかに動き出しているように思われます。また、同じくクンダリーニがもたらす副産物として、不安定、あるいは異常な精神状態や、不明の肉体的障害を抱えた人々も増えてきているのではないかと考えられるのです。人類の意識上昇プロセスの至難な最終段階に今あることはたしかです。

 さて、私自身とこのクンダリーニとの関りはというと、ヨガを真剣に学びだして6年ほど経過した32才のときに、かいま体験したことがあります。突如としてそれまでに経験したことのない強烈な変性意識状態に入りました。その体験が今も私に強く影響していることを最近理解するようになりました。あの体験は、たんなる幻覚の罠におちこんでいたと考えるには、あまりにも強烈すぎたのです。それ以降の私は変わってしまったといってもよいほどです。そして、今日に至るまで、ちょくちょくとごく小規模ではあるのですが、あの時と同じような体験が私の体内をめぐり、繰り返されていることに最近気づくようになりました。

 これといった理由もなく、体がカッカッと燃えるように感じられることが、長年しばしば起きます。それが夜中に起きると創造性豊かな思考がもの凄いスピードで次から次へと頭を過るのです。また冷水に5分ほど浸かっているときにも、背筋がなんともいえない心地よいエネルギーが走ったかと思うと、視界がぱっと明るくなって、周辺の音が普段の数倍も大きく聞こえだす聴覚の変化とともに超意識状態にほんの数分間満たされるのです。こういった状態はすべて、私の体内でクンダリーニが上昇していることに関係しているのではないかと、最近思うようになりました。

 そのクンダリーニを一度強烈なレベルで体験した32才の時には、その頃の私はヨガと瞑想に熱意を注いでいました。ヨガは一日に朝夕2回行ない、座禅も週に3、4回のペースで繰り返していました。そんなある日のことでした。注意力を集中することがぜんぜんできず、なにをしても心が落ち着かない状態に陥りました。かといって、体にみなぎるエネルギーをどう持っていけばよいのかわからずに、家の中を動きまわっていました。そんな状態の自分を一週間ほど感じていたように記憶しています。それがあるとき、凄まじい体験へと私を導いたのです。

 その夜は、ヨガのレッスンを受けにヨガの先生の自宅に行くことになっていましたが、落ち着きを失った状態ではとうてい無理なので、先生に電話をして状態を説明しました。すると先生は、今日は来なくてもいいので、家で瞑想をするようにと助言してくれました。

 子供たちも寝かせて家事も終えてから、夜10時頃から白いふすまの前で、結跏趺坐で私は座禅を組み始めました。30分ほどは、呼吸だけに意識を集中させて、心を落ち着かせようと努めました。

 そいしているうちに突然、私の下半身から上に向かって、コンクリートで固められたようにだんだんと固くなり、身動き一つできない状態になりました。呼吸もどんどん弱くなり、胸のあたりまで固まった頃には、驚いたことにまったく呼吸をしていない自分がいました。それまでに一度も経験したことのない、なにか異常なことが起こったことを自覚しました。不安な気持ちもよぎったのですが、身動きひとつできないので、そのまま内観を続けました。足の先から頭の先までかちんこちんに固まるまであまり時間を要しなく、ひょっとすると自分は死んでしまったかもしれないと思うほどでした。

 そう思うや否や尾骶骨のあたりから、なんともいえない不思議な感覚が走りました。尾骶骨周辺からくるっとなにかが回転したように動きがあり、それが背骨を伝って上昇するというエネルギーをはっきりと感じとれたのです。『これが幻のクンダリーニか!』と、瞬間的に内心確信しました。当時の私は、クンダリーニに関する知識がほぼゼロに等しかったにせよ、これは間違いないと瞬時分かったのです。それははっきりしない微妙なものではなく、強烈なエネルギーの流れでした。それを自覚した瞬間から、止めどもなく連続的にそのエネルギーの流れが背筋を伝って上昇しだしたのです。仙骨のあたりから背骨を経て脳に上昇していく精気の流れで、私の体内は満たされました。そうしているうちに一条の光の流れが、脊髄を伝わって脳天まで達するのを感じました。

 ちょうどその時点で、半眼でふすまを見つめていた視覚範囲が拡大し、自分の背後まで360度見えるほどの状態になりました。同時に明るさがぱっと増しました。それは普段の私が世界を見ている明度が、比較にならないほど暗かったということを、私に気づかせました。

 視覚に関してもう一つ驚くべきことは、目の前のふすまにゆらゆらと燃えている陽炎が映っていたのです。不動明王の背後に描写されているような炎の影でした。『ひょっとするとこれって、燃えているのは私!?』と一瞬思ったのですが、その程度の短い単独思考だけで、連鎖的に次に頭をよぎる思考が途絶え、思考が停止したかのような状態になっていました。しばらくそうしていると、周りの世界と自分との境界線が消え失せて、自分イコール世界として感じ取ることができました。

 身動き一つしないで座禅を組んでいる私からさざ波が立つように幾重もの光の輪が広がっていました。まるで光の分子が見えるかのように。各分子が淡い蛍光色の虹色の光を先端にまとっていて、周囲のあらゆるものと自分との境目がないパターンとしての視界が広がっていました。そのような状態で、おそらく私の脳の視覚中枢が、きわめて微細な光明分子を網膜や視覚神経を経由せずに直接とらえていた、と考えられます。

 このプロセスによって私自身である自我は肉体の束縛から解放され、いわゆる「法悦」状態に入っていきました。肉体的感覚は失せ、まるで空中に浮かんでいるかのような感じでした。呼吸もしていなく、身動きもできずに法悦の境地に入り込んだ私は、やはり死んでしまったのかと、また一考がよぎりました。それにしてもそれは、その時点でどうでもよい些細なことであり、それまでの私の生は、この境地にたどり着くためにあったとさえ感じられたのです。生きていようが、死んでいようが関係なく、ただ至福にみち、至高の意識と同一なる者である私となったのでした。そんな状態の中で、聞こえてくるなんともいえない天使が奏でるような音響と、知覚できる光彩は、私が錯覚したということはありえない強烈さと鮮明さを伴っていました。決して夢でもなく、自分が作り上げた妄想でもなかったことを、今でも私は断言できるのです。

 思考が完全に静止した状態となる直前には、その時点までの人生のあらゆる疑問や悩みがひとかけらもなく、一切から解放された格別なすがすがしさに包まれました。それと同時に至福の光で私の頭は満たされ、なんとも表現しようのない歓喜に包まれました。

 このような状態が、夜明けまでの6時間ほど継続しました。朝日が昇ろうとした瞬間に、パチンという体内の音とともに、まるで電源を抜いたかのように身体の硬直は溶けて、私はその場で崩れてしまいました。そのあと徐々にまた元通りの意識と生活に私は戻っていったのですが、その神秘体験から数日間は、時間が逆になったと思えるほどの鮮明な予知能力が続きました。例えば、誰かが電話してくる数分前に誰がかけてきて何を語るかが、明確に全部わかってしまうのです。

 しかし、あのような境地を一度味わうと、また戻りたいと思うのは当然です。私は何度も瞑想を試みたのですが、そのような下心で座ると逆効果であることは明らかでした。ならばまた呼吸法に集中して座禅をと試みたのですが、それによって少しは体が硬直するところまで、意図的にもっていくことが可能でした。それにしても、あの時のような強い精気の流れをまったく感じとることができませんでした。

 そうしているうちにクンダリーニについて書かれている本を偶然にも手に入れることができました。その本はダンテス・ダイジという名の座禅老師によって書かれたもので、最後に電話番号が載ってました。その本を一読した後、私は電話をかけてみました。すると驚いたことに受話器を取られたのは、著者本人だったのです。私がなにも述べない先から、「座布が低すぎるので、流れが止まってしまうのだ」といきなり助言されると、その一言だけで電話を切られてしまいました。なんとも信じがたいことですが、さすがにクンダリーニを覚醒させた人物だけあって、透視力をまざまざと証されました。もっと聞きたいことがあったので、そのあとも何度か電話をかけたのですが、かいもく応じてくれませんでした。

 まさにあのような超常現象を体験することになるとは知らずに、なんの準備もなく、私は固く封印されていた古代人の秘密の鍵をはずしてしまい、人間の中に眠っている凄まじい力を突然解き放つことができたのです。

 『クンダリーニとは、生殖器より少し下がった尾骶骨のまわりに蛇のようにどくろを巻いている休眠状態の宇宙生命エネルギーである。その蛇の口にあたるところが、スシュムナー管(脊髄にそって頭頂の意識中枢までのびている毛髪様の導管)といわれ、普段の状態で開口部はふさがれている。クンダリーニが目覚めると、スシュムナー管を頭頂に向かってシャクティ(女王)が昇り、神経組織全体が影響を受け、重大な変化が起こる。つまり、はるかに広範な神経細胞群がいっせいに活性化し、体内のより大きな拡がりをもつ部位から抽出されるプラーナ放出成分が、濃縮された形で脳に流入するようになる。最終点で身体の第七生命エネルギーセンター(クラウンチャクラ)に住するシヴァ神とシャクティ(女王)は合一するといわれている。その際に身体の生命機能は全面的、もしくは部分的に停止するので、しばらく身体が冷たく死んだようになるといわれている。』と、クンダリーニの説明には書かれています。

 クンダリーニは、私のように急激に活性化させることもありますが、徐々に穏やかに活性化する場合もあります。後者のほうがむしろ多いようです。各人の気質、体格、成長の度合いなどに応じてその深度と効果も異なります。霊能力やチャネリング能力、透視力、予知力などといったいわゆる超能力や、果たしては並ならぬ創造性なども、すべて目覚めたクンダリーニの働きであるといえましょう。そして、今回このクンダリーニついて記述する理由は、まさに今アセンションのプロセスにある私たちの身体と意識がこのクンダリーニ上昇現象という観点からとらえることによって、より具体的な見方ができるのではないかと思ったからです。

 シャクティが断続的に活性化したという人間の例はかなりあります。クンダリーニが早くから活性化していて、幼少の頃から超越的ヴィジョンを見たり、時には法悦状態に入ったりもする人たちもいますが、しばらくすると平常意識に戻るというような例は、世界各国にみられる神秘家や聖者たちの場合に多いのです。幼少期から自然と起きる場合もあるということであれば、ヨガの修行や瞑想などの精神訓練の結果導かれるということでもないのです。それにしても、クンダリーニの覚醒に伴って起きるさまざまな徴候のことを説き明かした書物はきわめて少ないといえます。

 クンダリーニが突然覚醒するとどうなるのか、なかなかやっかいな精神的症状がちょくちょく出てくる可能性も多いのです。時として気を狂わせ、人生をめちゃくちゃにする危険さえもはらんでいます。理由もないのに落ち着きがなくなってイライラすることも、このクンダリーニに関係しているのかもしれません。しかし、うまくクンダリーニが上昇すると、超人的ともいえる驚くべき能力と卓越した意識につながることができるので、実に紙一重なのです。

 このクンダリーニのパワーについて、もう少し古代インドの哲学をもとにそのメカニズムを捉えてみることにします。

 宇宙からのエネルギーであるプラーナが通る気道を「ナディ」といいます。ナディは体内に約72,000本あるとされていて、中でもクンダリーニ覚醒に重要だと考えられているのがスシュムナー、イダ、ピンガラの3本のナディ(管)です。スシュムナー管は脊髄の末端から頭頂へと伸びていて、それに絡むようにイダ管とピンガラ管がらせん状に伸びています。この3本が交差するところにアジナチャクラ(第三の目)があります。イダ管は、仙骨の左の方から始まって左鼻腔まで続き、右脳に作用します。女性と月のエネルギーを象徴しているといわれていて、身体や精神を浄化し、栄養を与えます。一方、ピンガラ管は仙骨の右の方から始まって、右鼻腔で終わり、左脳に作用します。男性と太陽のエネルギーを象徴していて、肉体を強化し、パワーを与えてくれます。

 ムーラダーラチャクラ(仙骨)に眠るシャクティ(王女)がスシュムナー管を通って、アジナチャクラに眠るシヴァ神(王)の元に行き、1つとなってサハスララチャクラ(頭頂部)から宇宙に向けて解放されるといわれています。シヴァは智慧、シャクティは生命力を表していて、これらが合体するということは、すなわち解脱を意味します。

 クンダリーニがスシュムナー管以外のナディ(管)から誤って上がると、霊的にも肉体的にもきわめて重大な混乱が起きえます。治る見込みのない身障害や気狂いになったり、時には死を招くことさえあるといわれています。スシュムナーの右側に位置する熱を統御する太陽の気道ピンガラを通ってクンダリーニが目覚めると、外から治めようとしてもまったくコントロールのきかない体内熱のために、最悪の場合は文字通り、焼け死んでしまうこともあるそうです。私は32才のときに体験した強烈なクンダリーニは、左側の月の気道イダを目覚めさせたらしく、身体を内部から焼き尽くすピンガラの焦熱効果を中和させていたと考えられます。

 クンダリーニが覚醒した日から死ぬまで不断に蛇の炎が燃え続け、そのために意識変革を起こさせていると古代インドの文献は説いています。

 さて、クンダリーニと神経系とは切っても切り離せない関係があります。現代病の代表的な一つとして、自律神経失調症というのがよく知られていますが、これはご存知のように交感神経と副交感神経のバランスが崩れることによってもたらされる病です。実は古代インド医学ではすでにこのような症状についての知識があり、この二つの神経系を、イダ管とピンガラ管に当てはめています。つまり、イダ管が交感神経で、ピンガラ管が副交感神経に関係しているとしてとらえています。自律神経失調症がクンダリーニに関係して起きているのならば、西洋医学的な治療だけではどうにもならないように思われます。

 ここで一つ面白いのは、医療のシンボルマークである「カドゥケウスの杖」は、まさにスシュムナー管を軸に左右絡むイダ管とピンガラ管を描いたものであり、クンダリーニエネルギーを明らかに表現しているように思われます。私たち人類の進化とクンダリーニ上昇は、密接に関係しているのではないでしょうか。まずはこれら3つの管を心の中でイメージし、クンダリーニを活性化させることに役立つのではないかと思っています。意外とすんなりと安全に・・・



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Posted by 愛知 ソニア at 12:54魂の話

2016年01月24日

夢メモ

5つの惑星直列のせいか、近頃面白い明晰夢続きです。
今朝方のドリームボイズっぽい明晰夢はけっこうドキッでした。

コロニアル風の建物の中の教室にいて、
なにやら授業が始まろうとしていて、
私はいちばん前の席にいました。
皆白人でドレス姿。
半透明の幽霊のような先生が私の前まできて驚いた様子。
「あなたは私の生まれ変わり」というと、気絶しそうになりました。
幽霊が気絶!?
先生の助手が私に教室のドアの横にかけてある白い飾り皿を指さして、
「これがジュリエッタ先生です」という。
イタリア系移民ぽい・・・

その後ドリームボイス;
1822年誕生 場所 アラバマ州 仕事 霊媒師

その直後にはっと目覚めました。
二つ前の私の生まれ変わり・・・というはっきりとした感覚がありました。
夫も手伝ってくれて、ネットで探しましたが、見つからない。
ということは、記録に残るほど有名ではなかった、
ということかもしれません。
彼女はポチャッとしていて、髪の毛はカーリーで結っていました。
いちばん近い雰囲気の写真は、こんな感じです。









  


Posted by 愛知 ソニア at 10:42魂の話

2016年01月20日

ソウル・グループとグループ・ソウル



私たちの誰もが、二つの魂のグループに所属しています。

先日出版となりました「プレアデス 新生地球への移行」の中でもお伝えしていますように(p33グループソウルの学び)、私たちの魂は「身内サークル」、あるいは、「ソウル・グループ」と呼ばれる霊的家族があり、典型的に25人くらいのメンバーから成っている魂のグループに所属しています。同じ魂の進化のプロセスをいっしょに学ぶメンバーで、兄弟姉妹、夫婦、親友など身近な人たちが含まれています。一つの生涯から次の生涯へと役割交代しながら同時期に受肉します。

これからもまだまだ身内サークルに巡りあえるチャンスがあります。

ソウル・グループのメンバーに出逢ったときにどんな感じがするのでしょうか?

1. たとえば、知人からある人を紹介されたときに、ただちに意気投合したり、初めて出会ったのに前から知っているような感じがします。「どこかでお会いしたことありませんか?」なんて、つい聞いてみたくなります。自分とよく似たユーモアのセンスがあったり、よく似た考え方をしている人たちです。

2. あなたの成長、成功を称えてくれて、また、あなたの価値を認めてくれて、あなたの幸せをこころから祝福し、支援してくれる人たちです。

3. しかし、あなたが間違っているのなら、正直に教えてくれます。たとえあなたがすぐには受け入れられなくても、ほんとうのことをあなたに伝えることをためらいません。逆にあなたが真実を伝えても、一時艇に距離を置くことがあっても、関係性が絶えてしまうようなこともありません。心の深いところで常につながっています。

4. あなたが辛い経験をしているときでも、励ましてくれたり、面白いジョークをいって互いに笑えるような人たちです。

5. お互いに平等なエネルギーを分け与えることができます。

私たちの魂は、「グループ・ソウル」(類魂)と呼ばれている、さらに大きなグループ(1000人以上)にも所属しています。大勢で同時代に受肉する集団、民族グループです。そのように霊界では、一つの大きな意識体グループが存在します。私たちの魂が誕生した時点から長い魂の旅をいっしょにし、グループの関係性を共に構築します。世界が一日もはやく平和になり、日本も平和で住みよい国になることを願っている私たちは、魂レベルでグループ・ソウルとしてそれを望んでいるのです。過去世においても同じようにそれを望んだ仲間かもしれません。

この惑星にやって来た私たちの魂は、グループソウルに引き寄せられて、特定の国や地域を選択します。さらには、世代や文化などをサブグループとして選択します。またさらに、人種、宗教、哲学など細かい状況を魂は設定してからここにやって来ます。そうして一緒になったグループソウルのメンバーたちは、過去世においてもよく似た経験や記憶を共有しています。

それにしても、同じソウルグループにずっと所属するとは決まっていません。各自の自由意志によってグループ替えすることも可能です。たとえば、今生において意識を進化させようと常に努力すると、それにふさわしいソウルグループに加わることも可能です。また家族のメンバーと同じソウルグループである必要もないのです。来世も同じ家族といっしょのグループに所属するとはかぎりません。それにしても、ソウルグループはうまく確立されているので、よほどの強い魂の意志がないかぎり、同じグループに留まることが多いのです。

エドガー・ケーシーは、このソウルグループに関して二つの流れを説いています。これは、彼がアメリカ人であったことからあくまでもアメリカ人の魂グループの流れです。

エドガー・ケーシーのリーディングによる主な二つのソウルグループの過去世

グループ1


初期アトランティス時代

初期古代エジプト

紀元前500~600頃のペルシャ時代

キリストが生きていた頃のパレスチナ(1世紀)

十字軍遠征時代(9世紀~13世紀)

開拓者時代のアメリカ

グループ2

後期アトランティス時代

後期古代エジプト

初期ギリシャ時代

古代ローマ時代(キリスト誕生期)

フランス(ルイXIV, XV, XVIの時代 14,15、16、17世紀頃)

アメリカ南北戦争時代(19世紀)

以上となていますが、もちろんこのふたつのリストは魂のすべての生まれ変わりではなく、それら以前にも、またそれらの間にも魂は生まれ変わっているはずですので、大まかなリストです。またどれかスキップする魂もあるはずです。また私たち現在日本人として生まれてきた魂にもケーシーのリストの中のどれかを経験している者も多いはずです。ソウルグループは、過去世の時代のカルマを一緒に浄化するために同じ時代に生まれてくるのでしょう。時代のカルマを浄化するには、7~80年かかるとケーシーは述べています。ということは、私たちの平均寿命と同じくらいですので、生きている間は意識していなくても、私たちの魂はソウルグループのカルマを浄化しているということなのでしょうか。

  


Posted by 愛知 ソニア at 12:38魂の話

2016年01月18日

関係性と過去世

「人生」は、川を比喩に用いてよく例えられます。

私たち自身の意識についても、川に例えることができます。

川面には流れがはっきり見えていますが、見ることができない川底にも別の流れがあります。魂の記憶や秘められた欲望が力強く流れているのです。それは、何回もの生まれ変わりを通して魂が経験したすべての蓄積がもたらす流れです。深いところのその流れによって、人生を通して誰に惹かれ、誰を避け、なにを好み、なにを避けるか、表面の流れ方を影響します。人生のパターンや習慣、他とのかかわり方といったものも、川底の流れに左右されます。今までに魂が経験したすべてが無意識層を形成し、強い影響を与えているのです。

今生でかかわる人たちの大半が前世でもかかわっていた人たちなのです。おそらく、多くの生まれ変わりを通して、役割交代しながらかかわってきた人たちなのでしょう。私たちの両親、兄弟姉妹、子供たち、友だち、知人、上司や職場の人たち、セミナーで出会って意気投合する人たちなどです。苦手な人たちや、喧嘩別れした人たちも含まれています。今の自分の人間関係は、幾度もの生まれ変わりの総決算であり、結果でもあるわけです。魂の過去世の記憶が、今生の人間関係や経験に強く反映され、ご縁や経験を引き寄せます。また、物事に対して私たちがどのように反応するかも、実は魂の記憶と深くかかわっているのです。勿論、他人の反応も、彼らの魂の記憶と深くかかわっているといえるのです。

ですから、理由もないのにどうして自分が責められるのか? 

こういった意味不明なことのたいていが、相手がその人自身の魂の記憶に反応しているだけなのです。これが納得できると、余計な心配をしたり、傷ついたり、反応したり、憤慨させられることも減るのではないでしょうか。

誰もが過去世を通して、愛、情熱、思いやり、疑惑、憎しみ、嫉妬、復讐、絶望感といったさまざまな感情を経験した上で、今ここに生を宿しています。今生において、恐怖心などさまざまなネガティブ感情がなかなか手放せない場合は、過去世における魂の記憶が強く残っていることが多いのです。その記憶を辿り、認識さえすれば、特定のネガティブ感情から解放されることが可能です。

夢はそういったネガティブ感情を克服する手段を与えてくれます。たとえば、なにか恐ろしい生き物に追いかけられるような悪夢はその典型です。繰り返しそのような夢を見るのであれば、過去世から続くネガティブ感情を、今生で克服するチャンスを夢が与えてくれているのです。夢の中でいつも逃げ回っていたり、恐れていては、ネガティブ感情は浄化されません。逆に夢の中でその恐ろしい対象を攻撃している間は、これもまだ浄化できずにいるのです。何度も同じような夢を見ているうちに、いずれ夢の中でそれほど怖くないな、と感じるようになっていきます。これはある特定のネガティブ感情を完全に克服できるまであともう一歩というサインです。夢の中でその恐ろしいしいものに面と向かって、「もうやめて!」という勇気をもつようにしてみてください。あるいは、その恐ろしいものと仲良くなるようにすると、克服したことになります。退行催眠や過去世療法を受けるよりも、ずっとパワフルな方法です。

さて、過去世から引き続いている深い関係性は、「良い関係性」と「悪い関係性」といったように明確に分けられるものではありません。たいていは、両方がミックスされた深い関係なのです。一緒によき人生を送った、つまり、よいカルマの魂の記憶か、あるいは一緒に多くの問題や不一致を経験した強い魂の記憶によって、今生でも互いに巡り会うように引き寄せ合うのです。

それにしても、過去世の良好な関係性が、今生においても同じように持続するとはかぎりません。先天的な相性の良さがあったとしても、互いに今生におけるライフパーパスは異なるので、それによって対立も起き得るのです。しかし、たいていの場合は、過去世の良好な関係性が確立していることによって、今生でも互いにサポートしあい、楽しい関係性を築くことができます。

逆に過去世において良くなかった関係性は、今生においても知らず知らずのうちに、苦痛を生みやすくしてしまいます。過去世の関係性のあり方を意識して、改善しようと互いに努力しないかぎり、カルマをさらに大きくしてしまいがちです。そのような関係性を避けようとしても、カルマの法則によって避けられない状況が生まれます。その良くないカルマを今生で解消させようとする目に見えない力が働きかけるからです。過去世において相手に与えた影響が、今生でも受け継がれて苦しい関係性を生み出すことになるのです。

自分の周りの関係性を、川底の流れである過去世を含めた捉え方をすることによって、冷静に見つめることができたり、さらに改善できるように心がけることができるようになるでしょう。

  


Posted by 愛知 ソニア at 11:09魂の話

2016年01月13日

この世は待合室  



三人目の孫が1月11日11時41分に誕生しました。

長男の快が待ちに待った娘です。
分娩が終わった直後泣いている赤ちゃんに
息子が‘Mila ちゃん、泣かないでパパだよ’というと、
ピタッと泣き止んだそうです。
それを聞いて、
分娩台にまだ横たわっていた嫁が
内心驚いたといっていました。

息子夫婦は昨年中に、
生まれてくる子の名前をいくつか考えていて、
迷っていたのですが、
生まれてきた赤ちゃんを見たとたんに、
‘Mila’がという名前が自然に出てきたと息子はいうのです。
そうか、‘Mila’は ‘千’という意味がありますね。

嬉しそうにMilaちゃんを抱きかかえている息子の顔を見ていると、
彼の魂の声が聞こえてきました。

‘やっと出会えたね。
ぼくはきみにこうして巡り会うために千年待ったよ’ と。

Milaちゃんと息子は、命を宿すたびに
きっといつもどこかで、
出逢っていたのかもしれないのですが、
父親と娘というこのコンビネーションは、
長い間待っていたような気がします。

帰宅してから私は、
息子が生まれた時のことを思い出しました。
34年も前のことです。
息子が生まれて直後に、
私は分娩台で数分間うたた寝し、
その間、体外離脱しました。
疲れ切っていたので体外離脱しやすい状態にあったのです。

その幽体離脱の旅は不思議でした。

生まれたばかりの息子が、
すでに成長した姿がそこにありました。

大きな岩肌に仏像の顔がいくつも彫られている山岳地帯を
上空から一緒に眺めていました。
‘やっと巡り会えたね’と顔を見合わせて、
にっこりと互いにほほ笑みあったのです。

きのう新生児を抱いていた息子の顔が
ちょうどあのときの私が体外離脱して見た
彼の顔とまったく同じでした。

34年後にやっと理解できることってあるのですね。
それにしても、
仏像が並ぶ岩肌はどこだったのでしょうか?
中国のどこかか、バーミヤンあたりでしょうか?
いや、それとも、
地球には存在していない場所かもしれません。



ともかく今は、
なにか肩の荷がどんと落ちたような感覚があります。
私のライフパーパスのひとつが完了したような
達成感があります。

‘息子とMilaの出会いを見届ける’
これが私のライフパーパスのひとつとして、
組み込まれていたような気がします。

1月10日、11日、12日あたりのエネルギーは、
強烈だったように思われます。

有名なロック歌手のデヴィッド・ボウイさんが死去され、
世界中にそのニュースが流れました。
彼は自分の死を知りつつ、
友人たちにまったく知らせることなく、
メッセージをすべて久々のニューアルバムに込めたと、
報道は伝えています。
最後まで、
アーティスとしての信念を貫かれたような気がします。

きのう産院でMilaちゃんを抱きかかえていたときも、
長い間闘病生活を続けていらした奥様が、
息を引きとられた、
という知らせがある知人から入ってきました。
心からご冥福をお祈りします。

生と死と復活
まるで歯車がかみ合うようなタイミングで、
この世に生まれる者もいれば、去る者もいる。
定められたタイミングで歯車のように、
巡り会いと別れが訪れる。
この世はそんな待合室なのでしょうね。

  


Posted by 愛知 ソニア at 11:06魂の話

2015年10月09日

あなたはウォークイン?

地球のシフトが本格的になるにしたがって、タイムラインが頻繁に変化したり、さまざまなポータルが開いている状態が起きます。そのようなシフトが、ウォークインという現象をも、起きやすくさせています。

ウォークインというコンセプトが一般的に知られるようになったのは、ルース・モンゴメリー(1912 –2001)著の"Aliens Among Us"(我々の中のエイリアン)という1986年に出版された本が発端となっています。

ウォークインとは、肉体に宿った魂が去り、その肉体に高次のエンティティ、あるいは宇宙人が入り込み、元の魂と中身が入れ替わることをいいます。高度に進化した魂は、重要な使命を果たすために、一般的には胎児から思春期までのプロセスを経た肉体を選ぶようです。年齢的な制限はありません。

 ウォークインは、高次の知性をもっていて、不要になった人間の肉体内に宿ることを許可されます。その目的は、人類の進化を促進したり、人道的な助けを他者に促す者です。ウォークインは、自己中心的な目的のために肉体を宿すことは許されていません。

 魂が入れ替わるためには、ウォークインする側の魂とウォークアウトする側の魂との両者の同意が必要です。ウォークアウトする側は、たいていはその肉体のライフパーパスを終えている場合が多いですが、そうでない場合は、ウォークインした魂が残された使命を受け継ぐ必要があります。ライフパーパスを終えずにウォークアウトする場合は、それなりの理由があります。

 プロセスとしては、ウォークアウトする魂が、地上での成長を果たし終えて、次に移行する準備が整います。その魂は以前の肉体とは異なる能力を養う必要がある使命が与えられます。‘魂の移動’許可を得てからプロセスがスタートします。

 ウォークアウトは、つまり、肉体の寿命を終えることなく肉体を去ることを決心する魂は、早くしてライフパーパスを完了させた場合がほとんどです。しかし、なかには絶望を経験し、死ぬことを強く願ったケースもあります。肉体の死が臨床上確認された後や臨死体験をとおして、魂の入れ替わりが起きるのが一般的です。ウォークインは、死にそうになっている肉体に再びエネルギーを与えて蘇らせることができます。

 高次の知性としっかりとした使命をもった魂が肉体内にウォークインしたため、肉体の元の主の失望や無関心な態度に慣れていた友人や家族は驚いてしまう場合が多くあります。人格が変わったと思ってしまいます。それにしても、もちろんウォークインは完璧な魂ではないので、欠点も持ち合わせていれば、皆と同じように多くのことを学ばねばなりません。しかし過去の多くの人生経験を重ねているウォークインの意識は高次に進化しているため、彼らには苦悩にさいなまれている魂に、とって代わることが許されています。

 幼年期と小児期をスキップすることにより、ウォークインは肉体に宿ってすぐに、その肉体の前の持ち主について学びながら、自分の新たな使命にとりかかることができます。それにしても、自分の新たな使命には即座にはっきりと認識することはできません。ただし、いずれその肉体をもって目覚めることになるだろう、という予知を心に秘め続けます。

 では、自分が「ウォークインかもしれない」ということをどのように知ることができるでしょうか? たいていは、自動車事故や手術、長い闘病生活、人生に疲れ果てた状態を通して入れ替わりが起きますが、稀に睡眠中に起きることもあります。そのような場合、起きると身近な人たちも含めて周りのすべてが変化していた、と感じます。身近な人たちに対して、急に親近感を失う、無関心になるといった距離感を経験しますまったく別人なのですから、仕方がありません。

 ウォークインした魂は、肉体の前の持ち主の細胞記憶を甦らせることに、しばらくはエネルギーを使います。肉体はかなりのショック状態にあります。

 その肉体を離れたウォークアウトはどうなるのでしょうか?

 その魂は魂の旅を続けます。愛する人との再会や、引き続き学ぶために別のところに移動します。その時点で逆戻りは、もはや不可能となります。とくに今というこの時期には、特別な選択肢があります。それは、ウォークアウトがアセンションのひとつの形となり得ることです。

 ウォークインした魂には、いくつかの選択肢があります。新しいライフパーパスを全うすること、すなわち、新しい肉体に転生するという意味です。もうひとつは、その肉体が衰えるまで生き、普通の人間のように死を経験するということです。死のプロセスを経験したいという目的で、ウォークインする魂も少なくはないのです。さらには、その肉体をウォークアウトするという選択肢もあります。その場合、その肉体の次のオーナーとの間に同意が必要です。

 一般的にある魂がウォークインする場合には、何度か新しい肉体を試す機会が与えられます。ちょうど新しい服を試着してみるように、何日か試してみることができます。これは、ウォークアウトが予定されている肉体の魂には、瞑想中か睡眠中にこれが起きます。よって夢を通してや、瞑想中に、あるいはチャネリングしている最中に高次の存在たちが、それが起きていることを告げにやってきます。今朝方、私はこのタイプの明晰夢を見ました。

 夢の中で高次の存在が現れました。とてもステキで、偉大さが感じられ、完全に信頼できる男性性のエネルギーでした。その存在からウォークアウトの提案を受けました。しかし、後に残された者たちが可哀そうではないかと私がいうと、まったくその心配はなく、ほとんど気づかないだろうというのです。そして、私の次なる魂の旅において、拡大された意識と今まで経験したことがないほどの素晴らしいさがあることを、ちらっと夢の中で経験できました。それにしても、まだ完全な同意をしないまま私は夢から覚めました。

 ウォークインのプロセスは、それほど難しくはありません。現在、私たちは皆、光体へと変容しつつあります。ということは、肉体の細胞レベルは、新しいエネルギーを受け入れやすくなっています。そして、個々の性格も新しいアイデンティティに馴染みやすくなっています。その上、このプロセスをサポートしてくれて、任せられる高次の存在たちもいることを忘れてはなりません。ウォークインのプロセスを意識的に経験する人たちも増えてきています。

 ウォークインのプロセス中に、肉体の元の所有者のエーテル体、感情体、メンタル体、スピリチュアル体、アストラル体が解放され、新しい魂のそれらのパターンがエーテル体に転写されます。ウォークアウトする魂は、何も残さず、とくに感情的な囚われを残しません。前の所有者のカルマも残らないので、肉体は新品同様になります。新しいウォークインにとって難しいのは、周囲の人たちが前の所有者の特徴を引き戻そうとすることです。超視覚をもつ人がそのような状態を透視すると、ダブルイメージとして、その人が二人の人間に見えることもあります。このような状態が続くと、ウォークインした魂はストレス気味になったり、精神のバランスを崩すこともあります。

 ウォークインした肉体に馴染まない場合は、食物アレルギーを始めとして、さまざまなアレルギー反応を示すこともあります。最悪の場合は、てんかんや気絶など重い症状が現れることもあります。これは脳の電磁波に対する抵抗です。

 ウォークインは、頭上の第七チャクラが活性化している場合が多いです。これはそのプロセスにおいて開花している必要があるからです。逆にいうと、第七チャクラが活性化すると、ウォークインプロセスを受け入れやすくなります。よくチャネリングする人も、そのチャクラの活性化を促すので、自分とエンティティとの境目が分からなくなることが生じやすいのです。

 ウォークインの性質の目立つ特徴として、子供のような素直さと純粋さが現れています。ウォークインであるということを認識できない場合は、常に何か大切なことを完成させなければならない、という理由が突き止められない焦りとして意識に常に働きかけます。

 新しい肉体に完全に慣れるまで、ウォークインした宇宙人は母船や星に戻ったり肉体に戻ったりを頻繁に繰り返します。現在多くの高次元宇宙人(とくにハイブリッド)たちが、地球の住民を5次元にシフトさせる目的のもとに宇宙連合の計らいで、人間に進んでウォークインしている最中です。

  


Posted by 愛知 ソニア at 15:52魂の話

2015年04月25日

カルマについて



今日は少し気が進まないテーマなのですが、春の大掃除と共にこの「カルマ」について少し考えてみたいと思います。

「カルマの解消」、「カルマを燃やす」、「カルマを断ち切る」というような言葉をもって「悪いカルマ」とおさらばしたい、カルマという因果関係を卒業したいと誰しも思うのですが、カルマをただ無視することではそれは起きません。むしろ素直に自分の「カルマ」を認識することからそのプロセスは始まるかもしれません。

私たちが自らの魂についての学びを深めていく過程で、カルマについてよく理解することは必然的だといえます。

カルマからそれほど簡単に解放されるものでしょうか?

私たちの多くは、年齢を重ねるとともにカルマについて深く考えさせられるようになります。昔の人々は、「親の因果が子に移り・・・」などとよく言ったものですが、実際にカルマとは深く私たちのサイキに細胞深くから根づいていることに気づかされます。

たとえ自分自身はカルマから抜け出たように錯覚できたとしても、自分の子供たちや周りの人たちにも浸透していることを認識できたり、また集団レベルのカルマもなかなか消えたりしないことに気づかされます。

まず、カルマという言葉は、古代サンスクリット語で、「行為」とか「因果」、「宿命」といった意味があります。ヒンズー語でよく現れる言葉でもあり、「働き」とか「行ない」を表す意味で使われています。

カルマとは、私たちにとって最高で、もっとも真実の本質と再び融合するための、魂レベルの努力も含まれていて、私たちの人生で展開されるものを形づける目には見えない力が常に働きかけています。

したがってカルマは、もちろん「悪いカルマ」だけではなく、「良いカルマ」もあります。「インスタント・カルマ」、「集団カルマ」といったような言葉もあります。

「インスタント・カルマ」というのは、とてもわかり易いです。たとえば、誰かに対してネガティブな思考を抱いたとたんにつまずいて転んだりすることです。「集団カルマ」は、たとえば日本人である私たち皆が共に負うネガティブな社会的出来事などです。

カルマのホイール(輪)



カルマの車輪が回り続けているときに、人生が私たちに与えなければならない最高と最低を経験します。喜びと苦しみ、快楽と苦痛、勝利と落胆、光と闇のサイクルを繰り返します。なにごとも決して偶然には起きないのですが、過去世のカルマについては、前世療法などを通してでなければなかなか気づきにくく、納得できるものではありません。今生ではとてもスピリチュアルで申し分のないほど善良で素晴らしい人間であっても、記憶にない過去世のカルマに悩まされていることも多々あるのです。ほかの生涯でなした行ないの残骸として、今生で得体のしれない罪の意識や恥といった心理的苦痛を味わうこともあります。このサイクルを断つ鍵は、私たちが過去世において他者になしたかもしれないことに対して自分を許すことです。これができないために何度も生まれ変わる必要が生じることもあります。もちろん、これは現世においても同じことがいえます。過ぎた過去の過ちで自分を苦しめないことです。

カルマとは、一言でいうと「記憶」です。その多くが意識レベルに現れていなく、細胞レベルに浸透している過去世からの記憶であり、今生に至るまで影のように付きまとい、知らず知らずのうちにその因果関係の輪を広げていることになりかねないのです。それを「カルマのホイール」と言います。

カルマは、あまりにも辛く苦しくて、心に傷を負わせるようなものが多いので、私たちはもっとも偉大な真理に対して自ら心を閉ざしてしまうことがよくあります。

それらの真理とは、

この世界は幻想にすぎない
人生の出来事は偶然には起きない
行為には結果が伴う
愛することを学ぶためにここにいる
他に与えるものは何であろうと自分に帰ってくる


すでに真理を見抜いた者にはこれらは当然であり、幼稚園レベルのスピリチュアリティな教えに思えますが、頭でこれらを理解しているだけではなく、実際に生活する中でちゃんと把握できていないかぎり、カルマのホイールから脱出できることはあり得ません。

もっとも素晴らしい経験からもっとも悲惨な経験まで、目に見えない力によって私たちの人生で展開されるものが形づけられ、取り決められるのです。決してなんの原因もなく偶然に、ランダムには起きえないのです。つまり、カルマは宇宙を通じて働く絶対的な法則だといえるのです。

カルマの簡単な例えとして、もし私たちが他人の自由意志を尊重して協力するのなら愛を選んでいるので、「良いカルマ」を生むことになります。これは特に自分の子供たちや家族に対してよく心しておくべきことです。他人の自由意志を支配したり、自分の利益のために操作したりすることは、もちろん「悪いカルマ」を生むことになります。私たちの思考や言葉、行為が目に見えないレベルで常に愛か支配を選択しているのです。愛を作り出すのなら、愛は自分に帰ってきます。

このような収支決算のシステムから、つまり「カルマのホイール」から実際に抜け出る方法はあるのでしょうか?

それは「許し」です。

キリストのカルマの教え

他人を許すことは、比較的容易いことであるといえましょう。いちばん許しがたいのは、自分自身を許すことです。つまり、過去世にまで浸透している細胞レベルのネガティブ記憶を解放することにあります。これは、「奇跡のコース」の主な教えのひとつでもあります。奇跡のコースを一生懸命学んでいるある方が、コースの許しの教えの引用を抜粋してくれました。



キリスト教では、ヒンズー教、仏教のようにカルマや生まれ変わりについてはあまり語りませんが、「悪い行ないをすると地獄に落ちる」と教えています。今日のほとんどの聖書に「地獄」として訳されているヘブライ語は、‘sheol’は、ほんとうは「墓」を意味する言葉なのです。墓は肉体をもってこの世に生まれたならだれでもいずれは行かなければならない場所です。

神は善悪を知る木から実をとって食べたアダムとイブが地獄行きだとはいってはいなく、ただ永遠の命を授かった者たちに死がもたらされる、といっているのです。「地獄」のコンセプトとして聖書では、「ゲヘナ」というギリシャ語を用いていますが、これはもともと「町のゴミ焼却場」を意味しています。イエスは「人を馬鹿にするとゲヘナ行になる」と比喩としてこれを使ったのは、カルマを焼き滅ぼさなければならない、つまり、「カルマの浄化」を意味したのでしょう。また、聖書の中でカルマと同じ意味を表している個所として明らかな言葉は、誰もが知っている「撒いた種は刈り取らねばならない」(ガラテア6:7)です。

聖書の中で生まれ変わりについて明らかにしているのは、「これこそその人だ。・・・バプテズマのヨハネ以上に偉大なものが現れたことはない。・・・そして、もしこれを受け入れる用意があれば言うが、彼こそ来ることを予定されていたエリアである。耳ある者は聞くがよい」(マタイ11:11-15)

AD325年の「ニケイア公会議」とAD553年の「第二コンスタンチノープル公会議」にて、ローマ政府は、生まれ変わりを信じたり、教えたりすることを違法だと公布しました。その時代から政府の力を強める道具としての宗教が確立され、永遠に地獄の火にさらされるというコンセプトを用いて、いかなる抵抗も押しつぶす権力にキリストの教えは利用されるようになりました。

実際にキリストが教えたのは、私たちの不純を焼滅ぼすカルマの火をもって自らを救済することができるということと、カルマの出来事を起こさせているのは、私たちが究極の愛を理解するためだということです。ひとたびそれを理解したならば、悲惨や苦しみといったサイクル(カルマのホイール)から、すなわちゲヘナの火を繰り返し潜ることから救われることが可能であると説いています。

以上のことを理解できたとしても、実際に悪いカルマはとても嫌なもので、なにか見えない力によって戒められ、恥じらいを受けてひ弱に感じさせられます。無意識レベルで私たちがなにを信じようと関係なく、カルマはある絶対的な法則で襲いかかってくるように感じられます。いくら嘆こうとも、遅かれ早かれ私たちのエゴは少しずつ後退し、悪いカルマとその背後にあるものを理解しようとし始めます。

シンクロとして現れるカルマ

カルマのあるものは、一連のシンクロによってまるで黒魔術に引き込まれるように起きます。皮肉なシンクロの連鎖を引き寄せるのです。たとえば、誰かに傷つけられたことに腹を立て、仕返しを考えていたら、連鎖的なシンクロの導きによって新たなカルマが形づけられていくことがあります。自分のスピリチュアルな強さをそこぞと発揮して、感情に流されずカルマが生じるのをストップさせることができます。逆に左脳的な理屈で自分を正当化させると、やがて孤独感、絶望、落ち込み、悲しみや嫉妬に苛まれることになりかねないのです。

ひょっとすると私たちは、こういったカルマのホイールに気づいていなく、何度も生まれ変わりながらこれを繰り返しているのかもしれません。世界で起きている戦争のカルマは、まさにこれを物語っています。私たちひとり一人が、愛の道を学ばなければならず、これが宇宙を通じて起きるときに、宇宙は再び一つとなり、存在のひとつのサイクルを完了させることが可能になるのでしょう。

あいにく私たちのほとんどが、いかに他者を扱うかについて、ネガティブとポジティブの間をふらついています。無意識にせよ、誰もがサディスティックな潜在性をもっています。このような面を見ないように、自分を善なる者と信じ込んでいる場合もあります。他を批判しても自分はそうではないと否定し続けたり、自分は絶対に傷つけられるまいと、構えていることもあります。

私たちがどう感じて、どういう意識状態に普段あるのでしょうか? 

一つ確かなことは、私たちは他と分離してはいない、ということです。この真理がますます当たり前となっていくにつれて、「カルマのホイール」への理解を深めることができ、また自分自身を癒すことができ、さまざまなことが深いレベルでつながっていくのが感じられるようになります。

すると見境なく同じサイクルを繰り返す必要が自然となくなっていくはずです。私たちがひとたびカルマの支払い(心理的な支払)を済ませたら、再び恐怖を感じる必要もなくなり、自由に人を愛せるようになります。もし私たちがポジティブな選択(良いカルマ)を取り続けることができるなら、ネガティブなカルマが入ってくる余地もなくなり、輪廻転生と呼ばれている現象も必然性が消えて、きっと自然になくなるのでしょう。




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参加者募集中 残り2名
--- 究極のデトックスと異次元探訪と ---
愛知ソニアと行く「スピリチュアルデトックスの旅カナダ」
http://sonia.aichi.jp/?p=1065
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Posted by 愛知 ソニア at 12:54魂の話

2015年03月22日

グループソウルの学び



一般に「グループソウル」と呼ばれているものには、
二つがあります。

一つ目のグループは、
典型的に3人から25人くらいまでの魂の集団で、
これは「身内サークル」です。
生涯から生涯へかけて一貫して変わりません。
同じくらいの魂の進化の過程を一緒に辿る
夫婦であったり、兄弟、友人であったりする身近な人々です。
ひとつの生涯から次の生涯へと、
役割交代をしながら一緒に受肉します。
パートナーや夫婦はほとんどの場合、
今生で初めて巡り会えたのではありません。

二つ目のグループは、
最低1000人くらいの魂で形成されています。
もっと大勢の魂が一緒に受肉する
大きいグループにも私たちの魂は所属しています。
町全体とか、集団、民族グループで、
異なった場所と時代を移行し続けている可能性があります。
人生の後半に出会う人たちに、
そのグループの魂たちで、
とても意味深い出会いになる可能性が高いといわれています。

死後の世界のある段階で、
私たちの魂は好きだった
地上の場所から選んだ風景が見えてくるそうです。
臨死体験を経験した西洋人の多くの人々が、
ギリシャの神殿が見えてきたと報告しています。
こういうことから、
ギリシャの神殿を一度は訪ねてみたいという
無意識の働きかけを察することができます。

私たちが今生でなに気なく訪ねていく
世界のあちこちの場所も初めて行くのではなく、
きっと過去世に深く関係した場所のように思えます。

ロドルフ・シュタイナーは、
これに関して面白いことを述べています。
ビザンチン帝国(14世紀東ローマ帝国)に生まれた魂が、
その後、19世紀にイギリスの産業革命時代と、
日本の明治維新時代に、
グループで生まれ変わってきたそうです。

そのため、
正確に繰り返す歴史的出来事のサイクルが形成されるのが、
浮き彫りとなってきます。
それが起こり続ける必要がなくなるまで続くのです。
すなわち、カルマが解消されるまで、
地球の歴史は繰り返すことになります。

これは個人の魂レベルでも同じメカニズムだといえます。
アカシックオラクルコースで私は同じ質問をいつも
参加者の方々にします。
「もう一度この地球に生まれ変わりたいですか?」
これに対してほとんどの人が、
「もういいです。これで終わりにしたいです」
と返事をされます。
「今度生まれ変わるときは・・・」
という人はあまりいません。

問題は、今どのように生きると、
再びこの次元に戻らなくてもよくなるのか、
ということです。
簡単にいうと、肉体を持って生まれてきたこの次元で、
心のひっかり、わだかまりを残さないことだと思います。
そこで仏教の般若心経の教えや、
奇跡のコースの究極の教えを理解することが、
必然的になってくるのでしょう。

  


Posted by 愛知 ソニア at 12:29魂の話

2015年03月20日

魂のエネルギー



カリフォルニア州公認の催眠療法修士であり、
カウンセラーとして有名なマイケル・ニュートン博士(「人生は何のためにあるのか」「死後の世界が教える・・・」の著者)は、魂が肉体を持ってここに生きている私たちに注ぐエネルギーについて語っています。





平均的な、あまり進歩していない魂たちは、
そのエネルギーの50~70パーセントを肉体に投入する。
より進んだ魂たちは、25パーセント以上肉体に投入させることは決してない。
もし、ある魂がそのエネルギーの100パーセントを、
ある肉体に投入するのなら、
脳の電気化学的回路を焼き尽くすことになる。
そればかりか、その脳は全体的にその魂のパワーに征服され、
私たちの進化の必要な一面といわれている
「ヴェーリング」(覆いかぶさり:過去世を忘れているなど)が、
消失すると博士は述べています。

この「ヴェーリング」に関しては、
プレアデスの存在たちも教えてくれたことがあります。
彼らの説明によると、
人間はこの世に誕生してくると、
頭に白い粉のようなヘルメットが付着し、
前世の記憶や自分の魂について、
そして生まれる前に決めてきた
ライフパーパスを忘れてしまうといっていました。
すべて覚えていると、
今生でなにもできなくなるからだそうです。

ニュートン博士の説明によると、
我々が投入するエネルギーの量は、
その魂の知恵と経験の全体的な質と洗練度ほどには重要ではない。
したがって、より成熟した魂は、
エネルギーをあまり使わず、
死後世により多くの柔軟性を残しておくことによって、
より成功するのだといっています。

ということは、もしあなたが進化した魂の持ち主であるならば、
魂のエネルギーはほとんど今の現実に関わってはいなく、
せっせと死後世と来世の準備をしているということになります。

もうひとつ、博士が説明する面白い内容があります。
それは、非常に野心のある魂たちは、
自分の進化を劇的に早めようとして、
自分自身を2つ、あるいは3つの同時的な
地上受肉に分割して、
死後世には彼らの魂のエネルギーの10パーセントしか残さないことがあるそうです。

これは「ツインソウル」、「トリプルソウル」とは、
また異なることなのか、
それは博士に聞いてみないと分からないですが、
ひとたび、このようなコースをあなたが選べば、
あなたの肉体、あるいは肉体たちが、
生きている間ずっとそれを続行しなければならなくなるそうです。

ニュートン博士は、それを選んだほとんどの魂は、
直ちにこの道の愚かさに気づき、
彼らのガイダンスから止めるように警告され、
これがよい方法ではないと分かるので、
1度か、2度以上は試みないことを博士は発見しました。

しかし、魂は、現在の受肉期間が終了する前に、
別の新しい肉体に自己を宿す
「オーバーラップ」は可能であると、述べています。

この魂の生まれ変わりに関するコンセプトは、
ほとんどの人が考えている直線的な、
一対一のコンセプトを覆すものです。

ライフパーパスのテーマ

私たち誰もがこの世に生まれる前に
予め今生で経験したいことや学びたいことを、
ガイドたちと共に私たちの魂は決めてきました。
それをライフパーパスといいます。
そしてそれぞれのライフパーパスにおいて、
幾つかのトピックとなるテーマを選びます。

● 創造性を高めること
● 感情表現を豊かにさせること
● 好奇心を掻き立てること
● 理想を追い求めること
● よいパートナーシップを築くこと
● 家族愛を経験すること
● 豊かな人生に恵まれること
● 孤独感を味わうこと
● 美を追求すること
● 分析、思考を追究すること
● リーダーになること
● コントロールすること/されること
● ハンディキャップを克服すること
● ヒーラーになること
● 常に調和と平和を重んじること
● 人道主義を全うすること
● 動物を愛すること
● 正義を貫くこと
● 世界中を旅すること
● 英雄的人生を歩むこと
● 有名人になること
● 目立たない人生を送ること

などなどたくさんのテーマの中から、
いくつかを私たちは今生のライフパーパスのテーマとして決めてきます。

私たちは過去を振り返ってみて、
なんのためにそれを経験したのか、
理由がわからずにいたことがけっこうあると思います。
しかし、ライフパーパスのテーマを知ると、
なるほどと、その理由が納得できることもあるのです。  


Posted by 愛知 ソニア at 13:37魂の話

2015年03月06日

生まれ変わりのメカニズム



魂はあくまでも進化を目的として生まれ変わってきます。
場合によっては進化を促進するために、
ごく稀にですが、
ひとつの魂が、2つ以上の分霊として
同時に二人以上の肉体に宿る場合もあります。

さて、魂の話その2では、
エドガー・ケーシーの例をあげて、
彼の生まれ変わりについてお伝えしましたが、
今回は、私たちの魂が生涯の行為が、
いかに魂の生まれ変わりに影響するかについて、
再びケーシーの生まれ変わりを例にして熟考します。

まずケーシーは、自分の生まれ変わりは、
全部で13回だといい残しました。
そのうちの12回については、
彼自身がリーディング通して知り、
残りの一回は、自分の夢を通して知ったということです。

13回に加えて2回の未来世が含まれています。
一回目は1998年に、
アメリカ合衆国バージニア州南東端に位置する都市
バージニアビーチに現れる不明の生涯と言い残しました。
そして最後の生まれ変わりは、
2158年に生まれ変わる(不明の生涯)と述べています。



エドガー・ケーシーの生まれ変わりリスト 

①  アサファ王 (5万年前古代エジプトの霊的統治者)
②  ラー(プター)(トートと共にピラミッドを設計した聖職者)
③  古代ペルシャの王 Uhjltd(歴史からその名は消されている)
④  古代ギリシャの戦士クセノン (自殺した)
⑤  アレキサンダー大王の化学者 Armitidides
⑥  ピタゴラス(幾何学の父として有名)
⑦  アルティミディアディス(ギリシャの化学者)
⑧  キュレネのルシウス(聖書ルカの福音書の著者)
⑨  アラワク族のインディオ(名前はわからない)
➉  英国人ジョン・ベインブリッジ(超能力を使ってギャンブルに耽るアル中)
⑪  同上ベインブリッジ家の2人の魂として生まれ変わる 
⑫  ラルフ・ダール(ルイ14世の娘の子 5才にして殺される)
⑬ 南北戦争の兵士として生まれる(名前はわからない)

・  1998年 
・  2158年

ケーシーのすべての生まれ変わりのうち、
④と⑨の生涯は、とても苦しくて、
ネガティブなものでした。
よってそれら二つの生涯のネガティブを打ち消すために、
複数の受肉を必要としました。

➉と⑪では、ケーシーは、
1700年代に2度イギリス人として
同じファミリーに生まれ変わっています。
➉のケーシーは、アメリカに開拓者として渡りましたが、
大酒のみのギャンブラーで女狂いでした。
イカサマでサイキック能力を失いました。
しかし、そのライフスタイルがあまりにも楽しかったので、
もう一度生まれ変わって自己陶酔を繰り返した結果、
カルマを大きく増加させてしまいました。

しかし彼の魂はもっともドラマチックな方法で、
そのカルマの解消を図りました。
⑪の生涯の最終期を迎えたころ、
ベインブリッジは、
餓死寸前の状況に追い詰められました。
手元に最後の食糧だけが残っていたのです。

それでもベインブリッジ(ケーシー)は、
同じように餓死寸前の少年に気づきました。
そこで彼に初めて同情心が芽生え、
少ない食料をその少年にあげました。
少年の命を救ったあと、
ベインブリッジは餓死します。

彼は生き残るチャンスがあるかもしれないのに、
そのわずかな食料をその少年に与えることで、
自らの苦悩が消えるかもしれないと瞬間的に悟ったのです。

ケーシーはその時の様子を、
リーディングを通してとても楽しそうに語ったといわれています。

若者を生かすために自分を犠牲にした。
このたった一度の無私の振舞によって、
二生涯分のネガティブなカルマを
ケーシーは消すことができました。

これは極端なケースではありますが、
これに似たことはよくニュースなどで聞かされます。
たとえば、溺れそうになっている子供を救うために、
海に飛び込んだ人が溺死したなどといった話はあります。
同じような前世のカルマの浄化として、
考えることができます。

確実性の高い自分の前世についての情報を得ることは、
私たちがこの世で果たすべきライフパーパスを
より良く理解できることにつながります。
さらには、この人生で起きるシンクロやカルマ的出来事が、
いかに背後で働かされているかを知ることに
導いてくれるように思われます。

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Posted by 愛知 ソニア at 15:03魂の話