2017年05月28日
緑色の子供たち
12世紀のイギリスに不思議な子供たちが現れたという話があります。
イギリスのサフォーク州ウールピットの村が作物の収穫期に入った頃、どこからともなく男女の子供が現われました。ウールピットの村ふたりは肌の色は緑色で、見たこともない素材でできた衣服を身にまとっていました。ふたりは未知の言語を話し、英語がまったく通じませんでした。
彼らは村人たちに捕らえられました。そのとき、ふたりは空腹に耐えかねていた様子だったので、村人がパンや他の食べ物をふたりの前に並べたのですが、彼らは一切口にしようとはしませんでした。
それが『食物』であることを把握できていなかったのだそうです。そこに収穫されたばかりの豆が運ばれてくると、それを見たふたりは欲しがったので、試しに与えてみることにしました。
しかし、ふたりは茎の空洞の中に豆が入っていると考えたらしく、サヤではなく茎を裂き、そこに豆が入っていないことに気がつくと再び泣き出しました。村人がサヤを剥いて豆を見せてやると、大喜びでそれをむさぼり、それからしばらくは緑の豆以外を口にしようとしなかったそうです。
彼らはサー・リチャード・ド・カルンという騎士の家に連れていかれ、見世物にされてしまいました。男の子のほうは、発見から間もなくして衰弱死しました。女の子のほうは、ほかの食べ物にも慣れていき、健康でした。ほかの食べ物を食べるようになってから、緑色の肌は消えていき、普通の肌色になったということです。
彼女はキリスト教徒として洗礼を受け、少しずつ英語を覚えました。やがて彼女はノーフォークにあるキングス・リンという村の男と結婚し、余生を送りました。彼女は子をもうけ、故郷へ戻ることなく、やがて亡くなりました。
英語が話せるようになった彼女に、ウールピットの村にたどり着いた経緯を尋ねてみると、このように語ったということです。
『私は‘聖マルチヌス’という地底の国の人間です。ある日、家畜の世話をしていたところ、洞窟からとても大きな鐘の音が聞こえてきました。その音色にうっとりして、鐘の音に導かれるようにして長い間さまよっているうちに、出口が見つかりました。とたんに強烈な太陽の光と、異常に暖かい空気に衝撃を受け、気を失って地面に倒れたようです。そこは私の国ではなかったのです。そこへウールピットの村人がやってきて捕まってしまいました。私たちが住んでいた聖マルチヌスの国には教会があり、広い川によって光の国から切り離されています。私の国では太陽が昇らず、日光が存在しません。この世界でいう日の出前や日没後のような薄日があるだけです。』
英国国立図書館の‘Chronicon Anglicanum’の1189年の記録としてこの話が書かれています。僧侶で歴史家であるニューバーグのウィリアムもやはり、『英国事件史』(Historia rerum Anglicarum)の中で、この子供たちの話を書いていますが、やがて実質的に削除されてしまいました。
イギリスのサフォーク州ウールピットの村が作物の収穫期に入った頃、どこからともなく男女の子供が現われました。ウールピットの村ふたりは肌の色は緑色で、見たこともない素材でできた衣服を身にまとっていました。ふたりは未知の言語を話し、英語がまったく通じませんでした。
彼らは村人たちに捕らえられました。そのとき、ふたりは空腹に耐えかねていた様子だったので、村人がパンや他の食べ物をふたりの前に並べたのですが、彼らは一切口にしようとはしませんでした。
それが『食物』であることを把握できていなかったのだそうです。そこに収穫されたばかりの豆が運ばれてくると、それを見たふたりは欲しがったので、試しに与えてみることにしました。
しかし、ふたりは茎の空洞の中に豆が入っていると考えたらしく、サヤではなく茎を裂き、そこに豆が入っていないことに気がつくと再び泣き出しました。村人がサヤを剥いて豆を見せてやると、大喜びでそれをむさぼり、それからしばらくは緑の豆以外を口にしようとしなかったそうです。
彼らはサー・リチャード・ド・カルンという騎士の家に連れていかれ、見世物にされてしまいました。男の子のほうは、発見から間もなくして衰弱死しました。女の子のほうは、ほかの食べ物にも慣れていき、健康でした。ほかの食べ物を食べるようになってから、緑色の肌は消えていき、普通の肌色になったということです。
彼女はキリスト教徒として洗礼を受け、少しずつ英語を覚えました。やがて彼女はノーフォークにあるキングス・リンという村の男と結婚し、余生を送りました。彼女は子をもうけ、故郷へ戻ることなく、やがて亡くなりました。
英語が話せるようになった彼女に、ウールピットの村にたどり着いた経緯を尋ねてみると、このように語ったということです。
『私は‘聖マルチヌス’という地底の国の人間です。ある日、家畜の世話をしていたところ、洞窟からとても大きな鐘の音が聞こえてきました。その音色にうっとりして、鐘の音に導かれるようにして長い間さまよっているうちに、出口が見つかりました。とたんに強烈な太陽の光と、異常に暖かい空気に衝撃を受け、気を失って地面に倒れたようです。そこは私の国ではなかったのです。そこへウールピットの村人がやってきて捕まってしまいました。私たちが住んでいた聖マルチヌスの国には教会があり、広い川によって光の国から切り離されています。私の国では太陽が昇らず、日光が存在しません。この世界でいう日の出前や日没後のような薄日があるだけです。』
英国国立図書館の‘Chronicon Anglicanum’の1189年の記録としてこの話が書かれています。僧侶で歴史家であるニューバーグのウィリアムもやはり、『英国事件史』(Historia rerum Anglicarum)の中で、この子供たちの話を書いていますが、やがて実質的に削除されてしまいました。
Posted by 愛知 ソニア at 11:42
│不思議な話