プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニア
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。
エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、座禅、ヨガ、正食に励む。

後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。

以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。

「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。カナダBC州ネルソン在を経て、2013年1月から日本に在住。



2分でわかる愛知ソニアのMAO
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イナンナから人類へメッセージ

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2007年03月16日

“Resist not evil”

キリストがいわれたことばに “Resist not evil”がある。
悪を無視するのでもなく、
悪を拒むのでもなく、
また、悪を克服するのでもない。
善悪という二元性を超越するためには、
「悪も受け入れよ」とキリストは説いたのだろう。

スピリチュアルな成長を望めば望むほど、このへんが引っかかってくる。
スピリチュアルなことを学べば学ぶほど、
悪は邪魔で、なるべくなら避けたいと思うようになってくる。
つまり、美しく、崇高なものにだけ魅かれる傾向が生まれてくる。
でも、そうすればそうするほど、邪悪がチャレンジしてくる。
「あなたは本当にその微妙な二元性を超越したのか」と。

ということで、この“Evil”(逆のスペルは“live”)をちょっと調べてみた。
タロットカードでこれを表しているシンボルは、
“Evil”ということばの前にDがついた“Devil”(悪魔)のカードだ。

“Resist not evil”これを手がかりに調べてみると面白いことが分かった。
Devilは、もともとギリシャ神話に登場する
牧神パーンだったそうだ。
ヤギの角と耳と人間の顔、
ヤギの体をもつ家畜の神さまで、
笛を吹くのが大好きだ。
森の精霊でもある半神獣の神さまパーンは
お酒の神さま、バッカスやニンフ、
山羊座の神話にも関係している。




“Resist not evil”さらに古代エジプト時代に溯ると、
太陽神「ラー」となるらしい。
ラーは力や生命を象徴する神さまで、
とても支配的な強さを持っている。

ラー神

パーン

Devil なるほど!



“Devil”ということばを逆にすると、“Lived”となる。
英語の表現で“Living it up”は、
贅沢に遊び、陽気に暮らすという意味である。
ヨーロッパ中世の時代に新しい風潮をもたらすためには、
そんな浪費的な快楽主義は、
悪魔に取りつかれているとして押さえ込む必要があった。
そこから人々に恐怖を与える“Devil”のイメージが生まれたそうだ。

タロットの“Devil”をパーンと解釈した場合、
ヤギのように揺らぎのないしっかりと強い足で立つ安定さとバランス、
そしてパーンのような陽気さとユーモアを忘れずに・・・ということだろう。
自分の思わしくない側面を見つめるときにもこれが必要だ。
太陽神ラーのシンボルも不屈の強さと勇気を表す。

深刻になりすぎると内なる変容の妨げとなり、
思い込みにはまりやすい。
何が悪なのか?
何が問題なのか?
問題意識は、実際には単なる思い込みにすぎず、
自分の想像が大きくしていることもよくある。
「深刻になり過ぎないようにユーモアを忘れずに」
これがタロットの“Devil”のシンボルが伝える真髄のメッセージなのかなあ。


Posted by 愛知 ソニア at 11:23│Comments(21)
この記事へのコメント
ソニアさん、こんちには

ある人とメールで「光と闇の統合」について、やり取りしていて、ふとソニアさんのブログをみたら同じテーマなので、そのシンクロニシティに驚きました。

大切なのは
「ユーモア」
これは真実をついているのではないでしょうか?
メールの一部を書きますね。

「光と闇の統合

これは永遠のテーマではないでしょうか?

××さんがいつも言われているのは、実はこのことを言いたいのだと思います。
どちらだけ、あればいいというものではないでしょう。

それにしても
戦争や支配構造、暴力の連鎖。
あまりにも過酷なこの地球での光と闇の軋轢。

なぜ、このような構造に、この世の中はなっているのか、はまだ理解できませんが、
少なくとも、光と闇に分かれて学び合っている、刺激し合っている。
同じ存在が、光から闇へ、そして光へと、変遷しているようにも
感じます。
自分の中にある「光と闇」も感じます。

でも、さらに深く、理解が進む、
進化が進めば、その道筋というか、シナリオが見えてくるのでは
ないでしょうか。
最近、注目しているカリスマコンサルタントの神田昌典さんが
言われている「神話の構造」に非常に興味を引かれています。
その中に、なにかのヒントがあるような気がしてなりません。
Posted by jimi at 2007年03月16日 15:25
これからますますシンクロで、共感しあうエネルギーが必要になってきます。

あなたは何に共感するのか?
今、同じ学びが展開するのはなぜか?
このテーマを学び終えると何が訪れるか?

いっしょに考えていきましょう。

Thank You!
Posted by ソニア at 2007年03月17日 10:54
「あなたは本当にその微妙な二元性を超越したのか」
って的確な表現ですね。
正しい表現は恐れを取り除きます。

悪魔の多くはカソリック教会以前の土着の神々ですから、実は恐ろしいものではないのでしょう。

本当に恐ろしいのは実際に神に触れず、教義やドグマ、神以外の何かに支配されることなのかなと?と思います。
Posted by IZANAGI at 2007年03月17日 13:07
過去と現在を問わず、地球上の実態を程々理解する能力を持つ人間ならば、人間の限界を知る事が出来るに違いない。
人間は、限界を感じた時、達観して立ち止るか、悪あがきするか、自滅するだろう。
中には、限界の感知能力を持たず、足踏み行為自体を自覚出来ず、自慰(自己満足)行為の続行になるだろう。
人間史が示すものは、限界と、継続と、終焉である。
Posted by 風 at 2007年03月19日 04:27
こんにちは!
「微妙な二元性」にチャレンジしては破れている日々ですが、メゲずに頑張っています^^
事後承諾になってしまいましたが、この記事をリンクされていただきました。
よろしくお願いします。
Posted by icapo at 2007年03月19日 10:52
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