2014年11月08日
ナシーム・ハラメイン その1
エハン・デラヴィが、科学者ナシーム・ハラメインさんにインタビューを行なうために、彼が住むハワイのカウアイ島のご自宅を一緒に訪問したのは、6、7年前だったように思います。
その時に収録した映像は、後日エハン・デラヴィのDVD「地球巡礼者」に一部紹介させていただきました。
あとは今回、数回にわたってお伝えするのは、2011年に出版しました「新たなるフォトンベルトか」(ヒカルランド出版)に書かれているエハン・デラヴィのナシーム・ハラメインさんへのインタビュー内容です。幸いにも私が訳したその本の原稿ファイルが見つかったので、紹介いたします。
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「あまりにも驚いたのとその恐ろしさで、彼は愕然として、ずっとひざをついたまま立てなくなってしまった・・・」
超話題のマージナルサイエンティスト(異端科学者)が語ってくれたこと
ナシーム・ハラメインへのインタビューは二日間に及ぶ長いものとなりましたが、それを済ませると、一生懸命集中した私に彼が思わぬご褒美をくれました。あるおもしろい話を聞かせてくれたのです。その突然の出だしは、文頭の衝撃的なことばでした。私は耳をそばだてて、彼の話を聴く姿勢に入りました。この話は彼の研究とはまったく関係のない、彼個人に起きたある出来事についてでした。
その話を聞くことになる少し前に終わらせた彼へのインタビューは、私が想像した以上に内容が深くて、濃いものとなりました。話の中では、複雑な方程式を交えた物理や天文学、古代文明を含むかなり広範囲のトピックをカバーすることができました。さすがのナシーム・ハラメインです。
彼は現在アメリカでは、話題の科学者であり、スピリチュアルなアドバイザーとして、マドンナとも交流しているほどです。彼は人気者で注目されているマージナル・サイエンティスト(異脳科学者)と紹介したほうがいいのかもしれない。
実際に彼に会ってみて、異脳というより少なくても私にとって、異星人にインタビューしているくらいの迫力さを感じました。それにしても、かなりの集中力が必要でした。彼についていくためには。どこかでついていけなくなったらどうしようという不安もあり、ドキドキハラハラしたインタビューではありましたが、どうにか無事に終了し、ホッと私の緊張がとれたところでナシームは、若いころに自分が実際に体験したある出来事について語り出しました。
夕焼けの美しい光が差し込むカウアイ島のリビングルームにゆったりと腰をかけたナシームは、真剣な顔で冒頭のことばを発しました。もちろん私は、「で一体、彼に何が起きたのですか?」と聞かずにはおられなかったのです。
「あの瞬間から彼は一年間、いや一年以上かもしれない、完全に気が変になってしまった。そのあと彼は、“ボーンアゲインクリスチャン”に加わったとかいうような話が耳に入ってきました。それにしても、まだ彼はあの夜の出来事から完全に回復したとは思えない」と、ナシームはさらに深刻なまなざしになっていいました。
彼は若い頃、カナダのブリティッシュコロンビア州の山奥で生活していたようです。そこでその出来事に遭遇しました。まだ彼が二十代のころで、山岳レンジャーのアルバイトをしていた時代のことです。そのころ彼は、ひとりの助手といっしょに深い山奥の小さなキャビンに住んでいました。彼らは周囲の動物、渡り鳥、樹木などの生態と環境を毎日観察する仕事をしていて、得たデータを政府の役員に報告していたようです。そのような仕事をしている間でもナシームは、自分の専門分野の研究をちゃんと進めていたということです。
アインシュタインも同じことがいえるのですが、アインシュタインの場合は特許事務所で事務員として働きながら、あの有名な“相対性理論”を構想していました。彼のような偉い科学者たちによって科学は進歩していくのですが、その裏を覗くと、大学のような実験室から偉大な仮説が生まれるのではないということです。これからもわかるように、大学というところはけっして知的環境とはいえない環境で生まれた偉大な人たちの理論を学ぶところであり、科学者たちのたまごを育てる場所ということになります
。
アインシュタインであろうと、ハラメインであろうと、すばらしい科学者は皆、大学のようなところであまり時間を費やさないと考えてよいでしょう。
瞬間移動した6体のエイリアン
20才ころのナシームも今と同じようにきっと長髪で、よくある弱々しい学者タイプでなく、がっちりとしたスポーツマンのような若者だったでしょう。そんな彼がカナダの大自然に囲まれた山小屋で、助手と一緒に仕事をしていたある夜のこと、空を見上げると万点の星が輝いているとても美しい夜だったので、彼らは望遠鏡をもってキャビンの外に出ることにしました。するとすぐに少し向こうの木陰で何かがガサガサッと動いている気配を暗闇の中で感じ取ったそうです。きっとグリズリーだろうと思った彼らはあたりを見回したのですが、調査のために用心して近づいてみることにしました。すると、薄暗い森のむこうの茂みの中に、六体ほど生き物がいると気づいたようです。
そこまで聞かされると、「六体って、クマですか、何ですか?ナシーム」と、私は彼の話の腰を折るように質問せずにはおられなくなりました。
「彼らはたしかに人間ではなかった! 背丈は人間ぐらいだったけれど、とても強そうな感じがしたので、僕の相棒はそこでパニックに陥ったんだ!」と彼は答えました。
「僕がそれを確認できたとたんに、10メートルぐらい先にいた彼らが、いきなり僕たちの目の前に瞬間移動したんだ。ショックを受けた僕の相棒は恐怖のあまり助けてくれ、と悲鳴をあげました。と同時に彼はひざまずいた姿勢になり、動けなくなってしまった」と、ナシームは続けました。
彼の話から、私はまるでそれが自分の目の前で起きているようなインパクトを受けました。
しかし、ナシームの目の前に現れた人間と比較すると少し大きめの存在たちは、一体何者だったのでしょうか?
彼らにはなんらかの目的があるようにナシームには感じられたそうです。
「そのうちのひとりは頭からエネルギーを放出していました。まるでドリルで穴を開けるように僕の頭にエネルギーを感じた。ちょうど第三の目のあたりに何か転写されるような感覚がありました。おそらく、なんらかの情報を僕に注入していたのでしょう。でもたしかに強烈な痛みを感じた」と、ナシームはそのときことを思い出しながら語ってくれました。
そんなすごいことが起きている間も彼は、どうにか冷静さを保つことができたようです。かなりショックも受けたそうですが、彼の場合はその体験を乗り越えることができました。彼の助手はそうはいきませんでした。
一言もしゃべらない、沈黙の訪問者たちとナシームは、このようにしてカナダの深い山中で遭遇したという貴重な体験の話を私にしてくれたのです。
それにしてもなぜ、ナシームはその助手とちがって錯乱状態に陥らなかったのでしょうか?その答えはきっとあの全力集中して行なった二日間のインタビューの中にあると私は思ったので、家に帰ってから私は何度もそのときの収録を聞き直しました。さらにもうひとつ私の頭を過ぎったのは、彼のあれほどの頭脳はどこから来ているのかという疑問でした。
ナシーム・ハラメインは1962年にジュネーブで生まれました。‘ハラメイン’というのは、イラク人の姓です。彼はたった9才のときに、すでに “統一理論”に関する物質とエネルギーについて取り組んでいたというほど、知的天才少年でした。かなり後になってからナシームは、 “統一理論”を彼流に“ホロフラクトグラフィック宇宙論”とよぶようになりました。“宇宙はホログラム”であるという意味です。明らかにホログラムとして現れているのが宇宙です。
ナシーム・ハラメインは、“ホログラフィック”ということばと、ごく最近生まれた専門用語の“フラクタル”を組み合わせて彼の理論を名づけています。
フラクタル”については私自身も“生命の樹”というテーマで、2008年に行なった一日セミナーを通して私なりの説明をさせていただいたことがあります。また、“ホログラフィック理論”に関しても馴染みがありました。私は“ホログラフィック・ユニヴァース”という題の本を90年代の初頭に読んだことから非常に感動したので、どうしても日本で紹介したいと思い、その翻訳を友人の川瀬勝さんにお願いしたことがあります。私にとって「ホログラフィック宇宙」とはなにかとひとことでいいますと、“すべての原子に宇宙のすべての情報が含まれている”ということです。私たちの肉体の細胞の一つ一つにも体全体の情報が含まれています。このように“ホログラフィック”はとてもシンプルです。
“フラクタル”とは、最小から最大までそのパターンが繰り返えされることです。したがって原子は、太陽系にも、銀河系にも、さらに宇宙全体にもパターンが“レプリケート”(複写)される、という意味です。ミクロへと、マクロへとこれが無限にリピートする現象をいいます。このようなことからしても電気的(プラズマ)宇宙論とまったく同じ原理であるといえるのですが、そのようにして拡大/縮小していく‘スケーラビリティ’(拡張性)の宇宙こそが、ナシーム・ハラメインの研究のキーコンセプトとなっています。
ナシーム・ハラメインを知ることによって、今まで私が探求してきた“電気的宇宙論”と彼の“ホロフラクトグラフィック理論”によって、まったく異なる二つの方向性から同じひとつの宇宙の真相(データファイル参照)に辿りつけたということで、私は嬉しく思いました。
それまで私は “ホログラフック理論”と“フラクタル理論”をバラバラに捉えて、その二つの科学をひとつに結びつけることができなかったからです。これをやり遂げたのがナシーム・ハラメインです。
彼もその他大勢の学者たちと同じように、科学の難しいテーマを解決することに魅せられたひとりです。アインシュタインもご存じのとおり、ある大きなテーマに取り組みましたが、残念なことにアインシュタインは、完成させずに途中でこの世を去っています。
アインシュタインの研究は具体的にどのようなものだったのでしょうか? これをできるだけシンプルに考えてみようとすることがナシームの研究であり、理解しやすいものです。多少難しいかもしれませんが、以下は彼の理論のコアとなるものです。彼の発見の重要性についても、きっと理解していただけることでしょう。
Posted by 愛知 ソニア at 13:43
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