プロフィール
愛知 ソニア
愛知 ソニア
1970年よりイタリアとイギリスに留学して芸術を専攻。
エハンと結婚後、日本で十五年間、生活しながら子育て、座禅、ヨガ、正食に励む。

後十二年間はカナダに移住し、夫と共に日本向けの精神世界情報誌、「トランスダイメンション・ヴィスタ」を発行してきた。海外ワークショップの企画や翻訳も手がけている。

以前から主に西洋の女神史に関心があり、「女神シリーズ」をヴィスタに記載する。未来学者バーバラ・M・ハバード女史をはじめとして、意識の進化をアシストする様々な女性たちにインタヴューを行ったことがある。

「パワーかフォースか」(三五館)「インディゴ・チルドレン」(ナチュラル・スピリット)、「水からの伝言Ⅱ」、「光の家族」など、数々の本を夫、エハン・デラヴィと共に翻訳する傍ら、講演活動や海外ワークショップを1993年ごろから行ってきた。カナダBC州ネルソン在を経て、2013年1月から日本に在住。



2分でわかる愛知ソニアのMAO
「ミラクルアカシックオラクル」




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イナンナから人類へメッセージ

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2014年07月29日

先日のセミナーで言い忘れたいちばん大切なマホウ

先日大阪にて、「ザ・シークレット オブ ライフ & 宇宙」というタイトルの講演会をさせていただき、さまざまなマ・ホ・ウを紹介させていただきました。最後にひとつお伝えするのを忘れた項目があります。いちばん大切なメッセージだったのですが、ついマ・ホ・ウに熱中しすぎて大事なことをお伝えできませんでした。

ずっと以前にホーキンズ博士の「パワーか、フォースか」という本を翻訳し、ご紹介させていただきましたが、その本では人間の意識レベルを1000の数値に当てはめていろんな角度から自分を知るという内容でした。しかし、2009年に徳間書店から翻訳を出版させていただいた「スピリチュアル・コンパス」という本は、「「パワーか、フォースか」と同じように人間の意識を始めとし、さまざまなことを測定する内容でした。実際のところ、その尺度(コンパス)となるのはたった3つの分類方法で、「パワーか、フォースか」の1000の数値で分けるよりももっとわかりやすく、より簡単に自分のことや様々なことを知ることができる方法であることを知りました。

著者のサティッシュ・クマールさんは、イギリスの思想家で、彼はインド西部ラージャスターン州の町シュリー・ ドゥンガルガルで生まれ、9歳で出家しジャイナ教の修行僧となる。18歳のとき還俗。マハトマ・ガンディーの非暴力と自立の思想に共鳴し、2年半かけて、 核大国の首脳に核兵器の放棄を説く1万4000キロの平和巡礼を行なった偉大な人物です。私の夫エハンとのインタビューは本(こわれかけたこの星に今してあげられること)になったり、「地球巡礼者」の映画に収められています。

先日の講演会で私が引用したかったのは、「スピリチュアル・コンパス」の中のある昔話でした。なぜかというと、私たちには様々な夢があり、それらを実現化させるノウハウを知ると同時に大切なことを忘れてはならないのです。あまり夢に夢中になるとかえって逆効果だということを、マ・ホ・ウの大切なエレメントとして知っていただきたかったのです。引き寄せの法則を実践したり、なにかを達成させるためにあまりにも夢中になるとかえって逆効果を招くということを、古代インド哲学を通して、あの日の講演でみなさんに私は最後のアドバイスとしたかったのです。ではこれからそのインドの哲学を簡単に説明することにしましょう。(以下は、スピリチュアル・コンパスから引用)


まず、三つの新しい単語を学んでいただきたいのです。それらは古くからあるサンスクリット語で、インドでは数千年も前から普段からよく使われてきた単語です。それらはもっと素晴らしく生きる為に役立つものです。

 一番目の言葉は、ットヴァ/サトヴィック(sattvic)です。私はこれを優雅さ、あるいは簡素さと訳しています。基本的にこの言葉は、心のいちばん深いところで真実として響くことに従うように人に思い起こさせる為に使います。それがいちばん自然だからです。よって、大いに受け入れるべきことです。
                                                                二番目の言葉は、ラジャス/ラジャシック(rajasic)です。これは、度を越していることや贅沢さ、と訳せます。この言葉は、華やかに魅了するものには落とし穴が必ずあると忠告する場合によく使われます。ラジャス的な生き方が魅力的であっても、しかしそれが有す複雑な気質によって、結局は失望や不満をもたらします。よって、普通は避けるべきです。

 三番目の言葉は、タマス/タマシック(tamasic) です。これを‘闇’とか‘気が滅入ること’として私は定義しています。タマシックを言葉に表現する時は、誰かに『あなたの目先には、危険が迫っているよ』、と警告したい場合に使われます。そして、タマシックな行動は表面的にどう映るかというと、大胆不敵に見えたり、スリル満点なエキサイトすることのように見えたりします。しかし、このようなタマシックな生き方は極めて破壊的なものであり、私たちの力を奪って無力させ、混乱に導くものだから、絶対的に避けるべきであるという教訓を賢者たちは私たちに繰り返し与え続けてきました。

以上の三つの言葉を、本書全体を通じて私はよく使用しています。各々に含まれている多義にわたる深い意味合いを知っていただきたいからです。さらには、それら三つの関連性を私たちの環境や発展、食物、農業、政治、権力などの多くの課題を例にとって説明しています。サトヴィックな生き方の優雅な簡素さが、いかにスピリチュアルな生き方には欠かせないものであるかを、これも例を挙げて様々、明瞭にしています。

これら三つの気質の生き方は、私たちの現実の生活を通して外的世界に現れるのと同じくらい私たちの内的世界にも現れます。私たちの内なる心に抱く様々な意図や衝動は、私たちの外に現れる行動と同等に重要です。ですから無論、外見だけで人を判断すべきではないといえるのです。

最終的には超越した意識に辿り着きます。私たち人間の、秘められた中心部においては、もはや分離や区別化、カテゴリー化は存在しません。サトヴィックも、ラジャシックも、タマシックも存在しません。私たちは、すべての二元性や分離を超越し、私たち自身に対しても、そして、周囲の世界に対しても完全な調和を見出すことができるようになります。それが無我の意識で生きることです。その状態にて人間は、完全たる覚醒に到達します。

このようなことから、よい人生を送る為にはまず、サトヴィック、ラジャシック、タマシックな気質を知っておく必要があります。そして第一に大切なのは、私たちは最初にこれら三つのバランス感覚を養うことにあります。つまり、サトヴィック、ラジャシック、タマシックの三つの正しい交わり方を知ることです。二つ目に大切なのは、いかにそれら正しく、適切に選択ができるか、ということです。三つ目は、それらすべてを超越することにあります。すると私たちは人生の喜びそのものとなるでしょう。より一層、幸福に満ちた人生を手に入れることが可能となります。


古代インドの伝統には‘ヴェーダ’とよばれる経典があり、そこには、‘現実はすべて三つの基本的な気質から成り立っている’、と説かれています。それら三つとは、サットヴァ、ラジャス、タマスと呼ばれるもので、‘三つのグナ’として知られています。サットヴァは、正しさや自然なあり方、滋養に関係しています。ラジャスは、変化や達成、刺激に関係しています。タマスは重さや支配、怠慢さに関係しています。

宇宙はこの三つの要素で構成されていて、これらのいずれかに相当しないものは何一つ存在しません。どれがいちばん優位を占めるかが、重要なポイントです。

このような‘スピリチュアル’の真髄について、サティッシュ・クマールは、人間の心に存在する‘三つのグナ’とよばれる、アーユルヴェーダ哲学でも引用される古代インドの秘伝を明かしています。サティッシュは、三つのグナの根源的な気質を今の私たちの生活のあらゆる側面に巧みに当てはめてスピリチュアリティを追求しています。

サットヴァ=純質 (静けさ、明晰さ、純粋さ)
ラジャス=激質 (情熱、エネルギー) 
タマス=惰質 (無気力、無知)

これら三つの気質を私たちの仕事や環境に当てはめて考えることができます。例えば、これを食事に当てはめるとサトヴィック・フード、ラジャシック・フード、タマシック・フードとなり、それらがどのように違うか、明確に知ることができます。アーユルヴェーダとは、‘簡素さ’であり、できるだけ‘自然な生き方’を目指すものです。サトヴィックに生きること、ラジャシックな傾向を減らし、タマシックを避けること――これらに徹する道がアーユルヴェーダです。


時間における三つの気質

現在(サトヴィック)・未来(ラジャシック)・過去(タマシック)


時間もまた、この三つの気質から理解することができます。この場で、今というこの瞬間に生きられること、自我欲に囚われずに自発的に行動できること、ありのままの状態を受けとめられること、一瞬、一瞬の美を感じるこができること――これらはすべてサトヴィックな気質です。サトヴィックな時間には、判断や虚飾、解釈などは存在しません。なぜなら、これらは過去や未来に所属し、すでに起きた何かに影響されているか、これから起きそうなことに影響されているからです。今この瞬間を生きるということは、今、あるがままの状態に満足し、この瞬間がもたらしてくれるすべての贈り物に対して感謝の気持ちを感じられることです。

以下は古くインドに伝わる物語です。

シェイク・チリという名前の若者がいました。彼がある日、市場に立っているとゴビンダという名前の商人が向こうからやって来ました。

ゴビィンダはその若者に尋ねました;

「ごま油がたっぷり入った粘土でできている壷を、反対側の町はずれに建っている私の家まで運んではくれないか?  10ルピー払うから。」と頼みました。

すると、シェイクは、「15ルピーですよ、旦那」と値切りました。

「じゃあ、15ルピーでOKかい?」と、その商人は若者に念を押しました。

ゴビンダは、シェイク・チリの頭の上にバランスよく壷が運べる為の布製の輪を置いてあげ、壷を担ぎ上げようとするシェイク・チリを嬉しそうな顔で手伝ってあげました。運ぶ準備が整ったシェイク・チリも、楽しそうにその商人の後に続いて歩き始めました。

するとまもなくシェイク・チリは、自分の未来として起きそうなことを次々と連想しながら白昼夢を見始めました。

『今回、稼いだあの15ルピーでまず、めん鳥とおん鳥を買おう。買ってきためん鳥は、卵を産む。すると、たくさんのひよこが生まれてもっと増えていくだろう。そのひよこを売ったお金で雌ヤギと雄ヤギが買える。ヤギはたくさん子ヤギを産むだろう。子ヤギを全部売れば、たんさん、お金が稼げる。そしてそのお金で牝牛と子牛を一頭ずつ買えばいい。家も買って持ち主になれる。そうなると結婚もできるだろう。嫁の持参金も合わせればもっと金持ちになれる。やがて子供も生まれて、妻の作ったおいしい夕食も一緒に食べることができるだろう・・・』

このようにシェイク・チリは、夢見ながら歩き続けました。彼はまちがいなく、未来の計画を立てていたのです。そのような多くの夢を見ているうちに、彼はどんどん楽しくなっていきました。自分の未来の子供たちを想像しながら、『よしよし、父さんも来るからな。母さんの作ったおいしいご馳走がのっているそのテーブルに』と、頭の中でこんなことをちょうどつぶやきました。その想像にすっかり囚われてしまったシェイクは、楽しさのあまりに頭上のごま油の入った壷のことをつい、忘れて両手を大きく広げてしまったのです。その壷はガッチャーンと音を立てて地面に落ちて割れてしまいました。破片があちこちに散らばって、当然、中の油は溝に流れ込んで完全に消えてしまいました。その上、大変なことには、ゴビンダは弁償しろとカンカンに怒っています。

以上が、泣き泣き一文無しになってしまったシェイク・チリの話です。

ラジャシックは未来に生きることです。『なぜ、あなたはそんなことをしたの?』、『なぜ、私はそんなことをしたのか?』、『あんなことをしなきゃよかった・・・』などと言いながら過去に生きるのはタマシックです。

私たちはブツブツと不平を言いながらよく嘆きます。しかし、過ぎてしまったことは、しかたがないのです。すべては訪れては、過ぎ去るものです。そして起きたことを変えるのは、不可能です。このように過去を生きることによって、重苦しく、憂鬱になります。その上、全体的に把握できる力を私たちは失います。なぜなら、完全に今この瞬間に生きることから注意は逸れてしまうからです。

先日のセミナーで言い忘れたいちばん大切なマホウ

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Posted by 愛知 ソニア at 12:00 │パーソナル・メッセージ