2007年10月09日
新月の女神
この次の満月を占ってみたい人このゆびたあかれ!
それにはこれから移り変わる新月のエネルギーを
今どのように表現しているかによって変わってきます。

Kさん
ソニアです。
元気かあい?
「ちょっと大変」と感じているのなら
こころの底から本当にそう感じているのなら、
それは、このドサクサにまぎれ、
もう消せられそうになっている
あなたのインナーチャイルドです。
どうしても認めてあげられないあなたがいるかどうか、
もういちどゆっくりとふりかえってみてください。
もしその無垢なありのままのあなただけが知っている
あなたを100パーセント受け入れてください。
さもなければ、それは当然、苦し実として現れます。
皆おなじですそれは・・・
今から新月に向かって十分に休憩をとり、
これからの方向性をよく、よく、
ぜひもう一度考えてみてください。
満月の女神より
それにはこれから移り変わる新月のエネルギーを
今どのように表現しているかによって変わってきます。

Kさん
ソニアです。
元気かあい?
「ちょっと大変」と感じているのなら
こころの底から本当にそう感じているのなら、
それは、このドサクサにまぎれ、
もう消せられそうになっている
あなたのインナーチャイルドです。
どうしても認めてあげられないあなたがいるかどうか、
もういちどゆっくりとふりかえってみてください。
もしその無垢なありのままのあなただけが知っている
あなたを100パーセント受け入れてください。
さもなければ、それは当然、苦し実として現れます。
皆おなじですそれは・・・
今から新月に向かって十分に休憩をとり、
これからの方向性をよく、よく、
ぜひもう一度考えてみてください。
満月の女神より
2007年03月15日
ベニシアのハーブ便り
30年以上も前に知り合った古い友人でベニシア・スタンリー・スミスというアイルランド人の女性がいます。彼女は京都大原の古民家で自然と共にとてもオーガニックな生活をしています。しかもとてもスピリチュアルで、素敵な人です。ベニシアは四人の子供の母であり、今では二人の孫もいます。英会話学校を経営する傍ら、ガーデニングのテレビ番組にも多数出演しているので、ガーデニングが好きな人なら知っている方もおられるかもしれません。
彼女は元々、英国貴族の出身で、バッキンガム宮殿のようなお城の生活を捨てて、インドに渡り、そこでスピリチュアリティーに目覚めたのです。その後、京都に彼女がたどり着いたのは、エハンよりももっと以前の1971年のことでした。今では古い大原の民家をセンスのよいインテリアで見違えるようにして、庭もこれもまたジャパネスク風のハーブガーデンに変えてしまいました。彼女のユニークな芸術センスもさることながら、ハーブに関しては精通している知識の持ち主です。
三月下旬には彼女の「ベニシアのハーブ便り」(世界文化社)という新しい本が出版される予定です。世界的に有名なターシャ・テューダおばあちゃんの世界が好きな人はベネシアのハーブ便りもきっと気に入ると思います。この本は、料理やクラフトなどベニシア流ハーブの使い方、育て方など実用的な情報が中心だそうですが、彼女の幼い頃の思い出や日本に来ることになったいきさつ、また現在の大原での暮らしなどのエッセイが満載されているそうです。
この本が出来上がる過程で、彼女が自分のライフストーリーを綴ったので、目を通してほしいと私に送られてきました。「こころの庭にたどり着くまで」というタイトルのその原稿を読ませていただいたのですが、彼女の波乱万丈の生い立ちに、かなりショックを受けました。「へえ、ぜんぜん知らなかった。」よくあることです。長い間、よく知っている人と思っていても、実はそうでないんですね。この本は写真家のご主人の梶山正さんが撮った素敵な写真もたくさん載せられているらいので、手に取る野が待ちきれないです。
ベニシアさんの好きなことば:命は最初の贈り物、
二番目は愛、
そして理解は三番目の贈り物 (プレム・ラワット―1995)
2006年07月28日
収穫祭を祝おう!
Lammas(第一期収穫祭)は、毎年異なる日となるのですが、たいてい8月の1日か、2日です。一年を四区切りにするとちょうど真ん中に当たります。今年のラマスは8月1日で、お月さまもちょうど半月となります。この日はケルト、あるいはウィッカの文化においてはとても大切なお祭りです。今年もあっという間にすぎてしまい、なにも特に今年は収穫することもないなんて、思われている方は、ぜひ8月1日にセレモニーをしてください。
ちょうど臨月でお腹がはちきれそうな女神を、目を閉じて心の中にイメージしてください。もう早くお腹の赤ちゃんを外の世界に押し出したくてたまりません。そして大地と一緒にコークリエートする女神は、いちばん大切な今年一番目の収穫期を迎えた私たちにセレモニーをして祝いの準備をするように告げています。
この日を古代ヨーロッパの土着の人々は祝ったのです。そしてアメリカ大陸でも同じように「コーンゴデス」を祝ったのです。ゴデスは満ちる命の力で膨らみあがり、熟しきりました。大地は彼女の愛の収穫を力強く世界に押し出す準備を終えました。丘の上の木の実も大きく熟して垂れ下がっています。すると向こうの畑では農家の人々が一生懸命、何か収穫している最中です。いまこそ、私たちに多くの祝福を与えてくれる女神たちに感謝するときが来たのです。
今日、世界ではいろんなことが起きています。それでもこの時代に感謝することはたくさんあります。この時代を生きる私たち、女性は今までになく多くの選択肢があることに感謝せねばなりません。
『私は文明の母であり、農業を産んでくれた女神に感謝します!』
情報が発達した現代の世界に住んでいる私たち女性は今まで決してアクセスできなかった知識を手に入れることができました。これ自体、今の女性にとってすごい豊かさを手に入れたことなのです。これを現実生活で、つい忘れがちになることはたしかです。なぜかというと、私たちは人間としてこの地上で生きていく上で、儀式をしてその大切さを味わうという習慣が、男性的な左脳上位の社会で見失われてきたからです。女神の存在や儀式の重要性を軽視する社会を私たちは築き上げてきたからです。
自らの右脳が生む直観すらほとんどの人々がバカにするような世界を産んだのです。そして様々なアースカルチャーが地上から消えていき、各家庭のアルター(祭壇)にはテレビが置かれ、消費文明を崇拝するカルチャーと移り変わり、女神や儀式の重要性はむしばまれてきました。
しかし、私たちが古代からある伝統儀式を復活させることによって、再びアースカルチャーを蘇らせることもできます。自分の民族にも収穫祭があり、秋祭りがあるように世界の人々の伝統にも同じような祝い事が昔からあったことを知り、儀式を復活させないことには何も始まらないのです。まずは自分がセレモニーマスターであることを自覚するのです。そのためにも、ぜひこの今年第一回目の収穫祭をやってみてください。一人でやるのもよし、家族や友人たちとしっかりと儀式をしていってみると、秋の2番目の収穫祭、ハロウィーンの時期の3番目の収穫祭と、どんどん増していく収穫に忙しくなってください。
Lammasのもう一つの呼び方はHabondiaです。アルターをつくって、黄色か、金色の布をひいて、夜ならばキャンドルを灯しセレモニーをしてみましょう。そして自分の特権についてや今年の収穫について、つまり自分は何を学びえたかなどをゆっくりと考えてみるのもよいでしょう。また、今までの特権を失った世界にいる人々に愛のエネルギーを送りましょう。ガーデンで育ったトマトやきゅうりを供えるのもいいですね。そして収穫祭らしく、手づくりの料理を友だちやお世話になった人たちにふるまうのもアイデアかもしれません。ぜひ、やってみてください。
2006年07月23日
聖女アナンダマイ・マー(1896-1982)
1922年8月3日の夜、マーは自らのシャクティパワーに導かれて、セルフイニシエーションを自分自身に与えた。マー自らがグルの役割と両方を担いながら儀式は行われました。彼女に口からは、古代の奥義「ビジャ・マントラ」が自発的に繰り返し唱えられました。この様子を目撃した夫ボラナースと家族の者たちは大変なショックを受けました。インドのある古代文献にある細かい内容までがマーの口から発したのです。そのような知識については彼女は一度も見たことも、もちろん教わったこともなかったのです。このような出来事が何回かマーに度重なり起きたのです。そしてついにマーは自分自身がブールナ・ブラマン・ナーラーヤナ(神の生まれ変わり)であると、夫とある学者の二人に告げたのでした。そのように語るマーのきらきらと輝く光は否定できないものでした。若くて美しく、しかも神々しい女神を妻にした夫、ボラナースの驚きと喜びが伝わってくるようです。自分の妻は一体、何者かと、彼自身もきっと真剣に考えたでしょう。
マーの神聖さはこの頃、どんどん強くなってきました。しばしば神々のヴィジョンを彼女は見るようになって来ました。そして彼女は自分もまた現われてくる神々と同じエッセンスを共有する者であることを確信していきました。そしてマーは、その頃から殆ど食事を取らなく、また殆ど睡眠を取ることもなくなりました。そしてとうとう彼女は3年間の長い沈黙に入ったのです。マーの周りにはこの愛の女神に仕える信者たちが集まってきました。少しでもマーの口に食べ物が入れば、彼らは喜ばしいと感じたのですが、彼女は時として23日間も食事も一滴の水さえ口にしないときがあったのです。伝統的にインドでは聖者の前に頭を下げて跪き、足に触れるという習慣があるのですが、彼女は誰にも頭を下げさせず、また少しでも触れさせるようなことのない時期が長く続くこともありました。あるとき信者のひとりがマーに一生懸命になって食事をとらせようとしました。それをじっと見ていたマーは突然、そこに積まれていた揚げパン70個を全部一気に平らげたあげく、大きな器に入っていた8キロのミルクを飲み干したのです。もちろん、これは偏食なんかではありません。霊性が高まれば食事など取らなくてもよいし、またいくら食べても害にはならないということを彼女は示したのです。
アナンダマイ・マーが大勢の人々の注目を集め始めたのは、1925年に「黒い女神の祭り」というカリ神への奉養祭のときでした。人々はカリ神の像を飾り、お香を塗って祝うのです。しかし、マーは何を気にすることもなく、自分の頭に飾りをつけて、白檀のペーストを自分自身の体に塗って登場しました。その時彼女のオーラは輝きを一層増し、そこにいた誰もがマーにうっとりと魔法をかけられたように恍惚状態にさせられたということです。もちろん、マーの美しさは普段から誰も否定できないほど特別でした。背はすんなり高く、しっかりとした骨格を持つ彼女の顔の輪郭ははっきりとしており、唇は情熱的に厚く、大きな輝く瞳と腰まであろうか、長い黒髪がまた極めて魅力的でした。モナリザのように微かに微笑む彼女の笑顔は誰をも虜にしました。そんなマーのところに大勢の人々がヒーリングを受けに、遠方からもやってきました。そして彼らの多くが彼女から治療を受けたのですが、中には彼女がその人に対して、「あなたは理由があって病気になっているのですから癒すことはできません」と、きっぱり断られた人たちもいました。さらに彼女は彼等に神への気づきを追求するようにとアドバイスしました。マーの人生でもっとも興味深く、また重要なこととは、彼女が自らの内なるガイダンスであるケラーヤ(神の意志)に忠実に従ったことです。ヒーリングを誰にして、誰には施さないか、すべてこのケラーヤにマーは従った結果です。彼女の話を聞こうと夜、人々が集まってきました。しかし彼女は彼らを置き去りにして、突然、衝動に駆られたかのように汽車に乗って消えてしまうことも何度もありました。これは決して気取った態度などではなく、人々が彼女に頼ってしまうことを避けるための、これもケラーヤに従う行動だったのです。そして不思議なことに彼女の行く先々ではもっと自分を必要とする人々が待ち受けていたのでした。
マーは弟子たちには、彼女の高い霊性によって、同時に数箇所に偏在できるパワーを使って安心させました。「私はどこにも行きません。私はいつも同じところにいます。なのになぜ、あなたは私を避けるのですか? 私は常にあなたとともにあります。あなたのすること、そしてできないこと・・・私はしっかり見ているのです。」とこう彼女は告げました。
ありのままの自分に気づくということは、マーのような輝く人間に私たちは誰もがなれるということで、それに100パーセント気づけば、マーのように至福に満ちた一瞬、一瞬を送れるのではないでしょうか。
2006年07月21日
至福の母 アナンダマイ・マー
至福の母アナンダマイ・マー(1896-1982)このブログの最初にもお伝えしたように、十年ほど前に私は「女神たちのパッチワーク」と言うテーマで日本国内を講演して周ったことがあります。その講演にて毎回欠かさずお話させていただいたのがこれからお話するアナンダマイ・マーです。
アナンダマイ・マーは、インドの聖者といわれている人たちの中でも一番人々に今日も愛されている女性です。グルの中のグルとも彼女はいわれています。
あるとき彼女は西洋社会に大きな影響を与えた聖者、パラマハンサ・ヨガナンダ(1893-1952)に、「あなたの人生について何かお話ください」と尋ねられました。すると彼女はこのように答えました。
「少ししか話すことはありません。私の意識は一度もこの仮の肉体と結びついたことはありません。この地球に私が辿りついた以前からずっとまったく同じです。女として成長しても同じです。私の家族によってこの肉体は結婚させられましたが、しかし私は同じです。こうしてあなたの前にいる私もまったく変わらない私です。永遠というホールで創造のダンスが変わってしまう時も、きっと私は同じはずです。」とこう述べました。
インドの東ベンガル地方(今のバングラディッシュ)に1896年4月30日に生まれたアナンダマイ・マーは、はっきりと自分の誕生時の記憶が後にも薄れずに残っていました。マーは厳粛なブラフマンの家庭の次女として生まれました。彼女の母親はマーが生まれるまでに夢の中に何度も神や女神が連続的に現われたといいます。この世に生まれたマーは最初から産声を上げることもなく、幼い頃からも一度も泣くことはなく、常に死ぬまで平和の表情をみせ続けたのです。そのようなマーの特殊な子供としての様子はよく知られていて、彼女は幼い頃、特に動物を愛し、それがゆえに肉や魚など一切口にしなかったといわれています。
マーはこれといった教育を受けてはいなく、小学校には2年も通っていません。インドのブラフマンのしきたりに沿って彼女は家族の望むとおり、早くして13才の時に、いいなずけのいとこのボラナースと結婚しました。彼は仕事で旅することが多かったので、マーは結婚式を済ませた後、一年間は実家で自分の家族と一緒に暮らしました。その後の4年間は、夫の姉夫婦と一緒に暮らしました。働き者でいつも朗らかなマーは、夫の家族からとても愛されました。しかし彼女は時々、仕事をしている途中にトランス状態に入ってしまうことがあり、家族たちは、それはマーが働きすぎて疲れているので眠気がさしたと思っていたのです。
マーはこのように生涯を通して、突然トランス状態に入ることがよくあったのです。しかしそれは、本当は周囲の人々の愛によって許されていた至福の女神の深い側面だったのです。突然、神でも乗り移ったかのようにサマーディ(恍惚)状態に入ることがよくありました。
1914年、18才になったマーは夫のボラナースと一緒に暮らすことになりました。しかしまったく肉体関係のない結婚でした。なぜかというと、ボラナースが一度、彼女に触れてみようとしたとき、彼女の体から強い電気のようなエネルギーを受け、ショックで倒れてしまったことがあったのです。彼はまだその時が熟していないと解釈しました。二人が住んでいたのは大家族で、ボラナースの兄弟たちはマーを「聖なる母」として、つまり聖者としてみるようになっていきました。夫の友人たちもマーがあの不思議なサマーディに入るのを何度も見ていたのです。
ある日、キルタナ(聖歌を歌う会)に出席したマーを見た人たちの中には、彼女が女神ドゥルガ(インドのカリ神と共によく知られている女神)に見えたという人たちもいました。何かの霊がマーに乗り移っているのではないかという噂が広がりました。
マーはこれといった教育も受けたことはなく、特別グルについて教わったわけでもありません。もちろんヨガの経典や古文献など何もまったく読んだこともないのですが、突然、様々なヨガの難しいポーズを始めたりして、自発的に体が動いてしまうのです。何年も修行をした人しかできないポーズを何時間も続けて止まないこともありました。そして彼女の口からは一度も聞いたこともないようなマントラが発せられ、繰り返し彼女はそれを唱えることもありました。
しかしマーにとってはこのような行為は、自分にとってあまり意味がないと知っていました。そしてマーはこのエネルギーの源について自分自身に質問したのです。すると『それはあなた自らのシャクティである』という答えが返ってきたのです。シャクティとは神聖な内なるパワーを意味します。この答えを得てマーは自らが宇宙と一つである統合に目覚めました。
マーの不思議な表現を周囲の人たちはひょっとしたら悪霊が憑いているのではないかという疑いをつのらせ、とうとう祈祷師たちが次々とマーの家を訪ねてきたのです。そして祈祷が始る度に決まって祈祷師は自分たちの体に強烈な痛みを感じたのです。その痛みはマーには悪霊などまったく憑いていないと彼らが分かるまで続きました。結局彼らはマーには悪霊どころか、神聖なパワーが働きかけていることに気づかされたのでした。
つづく


